Short.T
□夜のせいにした、
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ぽたり、温かい滴が冷やされて、洗いたての髪からひんやりと裸足の甲に、落ちる。それは次々に滴り、床に点々と染みを作った。
不快な冷たさなので、少し眉を寄せて、水気を切りにかかる。
鏡の中の自分を、観察するように眺めた。
風呂上がりにはとても見えない、青ざめた、表情。
あまりに間抜けた不幸面だったから、にこりとやってみる。
酷い顔、幸せな笑顔なんて作れないような気分、もしかしたら予感。
新しいくせにたてつけの悪い窓が、耳障りな音を立てて不意に開けられるのを聞いた。
とある侵入者を悟る、悟った心は酷く苦しくなる。
予感胸を焼く、か。
頬を叩いて、取り敢えず赤みを差そうと試みた。
「 すまんな 」
「ん…、どうぞごゆっくり」
くすり、と彼は皮肉げに口角を上げた。
薄暗い部屋に、彼を追う赤い回転灯が、落ち着かない光を投げ入れる。
息が少々弾んでいるようだった。
汗ばんだ額に、白い首筋に張りついた漆黒の髪を、目を伏せたまま酷くゆっくりとした所作で払う。
妙な気持ちになって、ヅラは女みてぇだ、と言っていた誰かに、密やかに賛同する。
――だから 何だって言うんだ、全く。
鉄の塊を抱えたみたいに、心臓が軋んだ。
「風呂上がりだったのか…
間が悪かったな、すまない」
「…入る?」
冗談めかして、背を向けて言ってみた。
「、いや遠慮しておく」
「あ、今変な想像したでしょ」
少し赤くなった顔を上げて、直ぐ様焦ったように否定した。
からかっただけ、そう言って彼女は僅かに笑う。
新たな試み。何時もは、こんなに言葉を交したりしない。
じわりじわり、呼吸をも躊躇われるような沈黙が、何時ものようにすぐ空間を埋めていく。
腰を下ろした彼はやや俯いて、何も言わずじっと、座っていた。
違和感を感じる。触れ難い影の中にいる、そんな風に思った。もしかしたら、予感。
「… どうぞ、… 、」
小さな音を立てて、湯気の立つ湯飲みを、彼の前に置いた。
耐え切れなくなって、彼女はありきたりな状況打開策をとる。
それだけなのに、彼は驚いたようにはっと顔を上げた。まるで初めて会うものを見るような眼差し。
じっと、感情の薄い鳶色は彼女をただ、見つめる。
「… … 、」
「……今日は、」
絡んだ視線を、上手く外す事が出来なかった。
何となく逃げるように、咄嗟に沈黙を選択する。
彼の瞳は、揺れていた。
「3人…、斬った。」
「…そう、でしたか」
「斬らねば、ならなかったのだ、どうしても」
「……、」
「 儘ならぬものだな 」
耳を疑う程、静かな声音だった。
暗闇からの懺悔の様に淡々と、しかし紡がれる言葉は氷の針の様に、刺さった。
ちくりと嫌に冷たく痛んで、刹那そこに存在しなかったかの様に、消えていく。
それが何だったのか反芻する暇を与えず、残痛があるのみだ。
それを受け取る術を知らなかった。私はどうすれば良い?
そこに本当に、あなたはいるのか。
「桂さ――」
「愚かだと、」
手首を強く引かれて膝を着くと、想像以上に近くで放たれた、声。
白い袖から、微かに血の匂いがした。
「外道だと、何なりと思えば良い、何一つ違わぬ事実だ。」
「馬鹿なことを、」
「どうだかな」
彼の唇は熱かった。
私が冷たいから?
薄く開いて重ねられたそれは、呼吸の度に震えていた。嗚呼、この人はこんなにも――
彼女はきつく瞑っていた眼を、そっと開いた。
彼の瞳は目蓋に隠されて、伺うことは出来なかった。珍しいこと、何時もは逆なのに。
畳の上で、彼の拳――人を斬ったと云う手が、白く筋が浮き上がる程きつく、耐える様に握られていた。
いっそ、このまま押し倒してしまえば良いのに、と願った。
だが彼は知っているのだ、例えば今を紛らわすのは、決して彼女を求めることでは無い事を。
苦し気に寄せられた形の良い眉も、熱を含んだ吐息も、それならばどうする事も出来ない様だ。
何が出来るかなんて考えている間にほら、彼は懊脳を深める。
彼の背に無用な重荷を、確信的に積み上げる。
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