蒼天輝く
□波
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『 駄目だ 』
キーンと尋常でない緊張が走った。
暫しの静寂の後、すぐに騒めきが無遠慮に広がって急に辺りが慌しい空気に変わった――
その中心にいるのは、息の荒い副長と呼ばれる男と、小屋の若い主。
上半身を起こそうとした男を、そいつは真直ぐ見据えたまま動かない。
すらりと光る刀が、男の首の皮まで一直線に迫っていた。
『此処で切腹するのは許さない』
ごくり、と切っ先が3ミリまで迫った喉が上下する。
男の赤黒い眼が刀の峰を伝って、自分を見下ろす相手を恐ろしく睨み付けた。
「謀反ごっこかい、兄ちゃん」
男は口角を引き吊らせて、怒りを孕む好戦的な声を発した。
そいつは何一つ表情を変えぬまま、黙っている。
「刀をどけやがれ」
『思い留まるなら』
「俺を愚弄するか!
永く無いこの命、潔く断ってくれる。それが在るべき道理だ」
『諦め腹を切ると?
ならば明日敵刃に死すとも同じであろう』
「貴様ごときに解る話で無いわ」
『美しい最期に意味など無い』
「こんの若造が!武士道を汚しよって…!」
顔を歪めて、男は声を荒げた。
刀を跳ね退けようにも深い傷がそれをさせない。
ずんっと痛みが身体を貫いて、くぐもった呻き声を上げて床に臥せた。
そいつは刀を収めて、素早く屈み込んだ。
『動くな』
男は目を剥いた。
六番隊副長と云う地位がある身にも関わらず、何処の者とも知れぬ若造に命が握られているのは信じ難い事実だった。
押さえつけているそいつを憎悪を込めて睨み付ける。
視線が強く交わったが、直ぐ逸らされ、酷く丁寧な手付きで開いた傷口を縛り直し始めた。
『安静にしていれば、
明日には動けるようになるから』
懇願するように、そいつは続けた。
『――頼む、此処は死ぬ所では無い』
桂は話を聞き終えて、殆ど無意識に立ち上がっていた。
当の本人も何故か解らず棒立ちになって少し考え込む。
ほんの数分、数えるばかりの言葉によって
死に急ぐ者は生という選択肢を提示され
それを選んだと言う。
視線を巡らすと、件の副長の元から離れる彼と視線が触れた。
先程の話が疑われる程落ち着いて、揺るぎ無い。
此処は修羅の巷、圧倒的に死に逝く者が多い中尚もそれを生きる場所だと言うか。
彼にとって生きる場所だから、その様に泰然としていられるのか。
彼は僅かに首を傾げて会釈をすると、背を向け台所の方に消えていった。
名を何と言うのだろうか。
何処の者なのだろうか。
彼の齢は、剣の腕は如何程か…
声を掛ける隙は無く、伸ばしかけた右手は行き場を失って空を掴む。
不思議な奴だ。
目の前にいるけれど、誰かに居ないよと言われたら信じてしまうかも知れない。
「桂さん、間諜が」
「待ちかねていたぞ、」
直ぐに桂の意識は他に移った。
耳元で小声で報告を受け、桂の思考は一気に覚醒する。
踵を返して、戻った間諜の報告をもどかしく聞きながら廊下の風を切る。
「では明朝、日の出と共に」
「要の一戦となりましょう」
「坂本と高杉、銀時も呼んでくれ、話を詰める」
間謀は短く返事をして、弾丸の如く外に飛び出して行った。
足首に触れる夜風が冷たい。
此処は戦場、修羅の巷。
生きる為の妥協策など有り得ない。
少なくとも桂はそうだった。