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□頑張り屋さんな君に
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少しづつ暖かくなり始めた季節。
校庭の桜の木は今だ色はついておらず、花壇の花も秋の色褪せたままだ。
風は真冬のように冷たく 肌を叩くようにすり抜けては指先の暖かさと感覚を奪い去っていく。
廊下や別棟の教室、体育館は外よりはまし、といった状況で 風が吹かないだけまだよかった。
教室や職員室はまた別で 一般家庭用のものよりひとまわり大きいストーブが一台ずつあるせいか、春のあの陽気に似た
ふわふわと火照ったような暖かさが、授業中の睡眠を促しているようだ。

そんな空気の中、僕は涼しげに無表情で黙々と書類に目を通していた。

常にそんなものだが、実の所 仕事中は眠くならない僕でさえも激しい睡魔に襲われているくらいにこの空気の威力は凄かった。
しかし今日の放課後までに全て印をしておいてほしい、と草壁に渡された書類だ。今眠って集中を途切れさせるわけにはいかない。
これでも、期限は守る主義なのだ。

この陽気...咬み殺したい。

そして あまつさえふわふわした陽気に苛々している所に、さらに厄介なものが来た。

「よ、ひばり!起きてるかー?」

「うるさい咬み殺すよ」
「会って第一声にそれはねぇだろー」

冷たい態度を取る僕に発した ひでぇのな、という言葉とは真逆の 楽しそうな笑みを山本は浮かべた。

「とにかく、今は僕君と遊んでる場合じゃないの。話しかけないでくれる」
「ん?風紀の仕事忙しいのか?」
「そーだよ。分かったらとっとと出てって」
「俺、大人しくしてっから。ここに居させて」
「...」

渋々 仕方ないな、と首を縦に振る。
すると、少し苦笑にも似た 申し訳ない、といった風な笑みを浮かべて「ありがとな」と言ったかと思うと
こてん、とソファに倒れこんで 動かなくなった。

しばらくして、僕は少し ぞくりとした、不安にも似た震えが身体を走った事に気付く。

山本が、本当に 静かだ。
いつもはあんなに煩く、「大人しくしている」と言っても
たいして大人しくしていた事のない、あの山本が
今日に限っては異常なほど静かだ。
そして、寝転がったまま ぴくりとも動かない。
動いているとしたら、呼吸のせいだろう 身体全体が浮き沈みしている。
不自然な呼吸の仕方に、思わず聞いてみた。

「...山本、どうしたの」

すると、くるりとソファの上だけで寝返って 少し赤い顔でにこりと いつもの笑顔を浮かべた。

「んーん。...なんでもねぇぜ」

どこがだ。と内心苛立つも 冷静を装い 寝転がる相手の前にしゃがみこむ。

「ひばり...」
「うるさい。だまってて」

はぁ、はぁと赤い顔で 肩で息をする山本の声は、少しだけ鼻声だった。
汗をかいているらしく、額にはりついた前髪を頭を撫でるようにすいてやった。
頬に手を当てると、熱くほてっていて 眼差しは熱に浮かされてとろりと溶けていた。
こつん、と軽く額を相手のそれにくっつけると、じっとりと汗ばんだ肌が 自分のものより
圧倒的に熱いのを感じ取る事ができた。

「...熱、あるね。なんで黙ってたの」
「......熱、なんて ねぇの、な」
「どう見たってあるでしょ。今更誤魔化しても弱音にしか聞こえないんだから」
「ひばり...」

少し強めの口調で言い放つと、瞼を開けているのがやっとの眼差しをこちらに向けて
少しだけ しゅん、としたような仕草をした。

「何時から」
「朝部活、の あと」
「保健室には」
「行ってない」
「昨日は寒かったりした?」
「んーん。...お風呂、入ったあと 頭乾かさなかった、けど」

それだ、とばかりに こつり、と軽く額を小突く。
すると、ごめんとでも言うかのように 山本は赤い顔で苦笑した。

「ったく...とにかく、保健室行くよ。それから親に来てもらって」
「ひばり、やだ」

言いかけた時、僕の言葉に反応するかのように 僕の服の袖を掴んで
泣きそうな目で見ては、そんな 我侭を言ってきた。

「...何言ってるの。そんな状態で」
「でも、やだ。...保健室、行きたくない」

必死で首を振って嫌がる山本に 少し苛立って眉間に浅くシワを寄せた。
しかし あまりの嫌がりように、疑問を抱いて 少し話をきいてやろうという気になった。

「...なんで」
「おやじ、来ちゃう」
「それがどうしたの」
「...っ、心配かけちまう...し、まだ店 やってる時間なの、な...
 じゃま、しちゃいけない...から」

息荒く、途切れ途切れに 言葉を紡ぎながらも
とろけた眼差しには切実な願いと本気さが滲み出ていた。

「...でも」
「お願い」
「...」
「ひばりぃ...」

切なげな声と眼差しで 我侭を言う山本に、深く深く溜め息をついた。
しかし、山本が我侭を言うなんて珍しい。
色々と思考を巡らせた後、またひとつ 大きな溜め息をついて、仕方ないなと漏らした。
すると山本は さきほどの表情など欠片も見せない笑顔で、有難うと言った。

「...ここに居ていいから、君は少しの間寝てなよ。
 寝るとだいぶよくなるだろうし」
「うん...ありがと、な...」

安心したのか、ゆっくりと瞼が閉じて それから開く事がなかった。

静かな寝息が聞こえるのを確認して 僕はその場を離れると、迷いなく応接室を出ていった。


しばらくして 保健室で奪い取ってきた熱さましの薬と毛布、汗を拭くタオルに冷却シートを抱えて帰って来た。
粥はあとで草壁につくらせよう。

山本はまだ寝ていて、気休め程度にかけておいた僕の学ランの中に身体がおさまるように
長身の身体を 精一杯丸めて、少し荒い寝息をたてていた。
このふわふわと気持ち悪い陽気の中に居て 寒いと思えるのは君だけなもんだろう。
学ランを剥がそうとすると起きてしまいそうなのでそのまま毛布をかけてやった。

そこにタイミングよく副委員長の草壁が入って来た。
と、ソファに横たわっている山本に少し動揺したらしく 指差してはおそるおそる聞いてきた。

「これは...?」
「どう見てもうちの生徒だよ」
「それは分かりますが...ここで、何を...?」
「熱出たとかで、泣きついてきた」
「それでは、保健室まで届けたほうがいいんじゃ」
「いいよ。そっとしといてやって。
 ...それより草壁。君、料理できたよね」
「え、あ はい」
「粥でも作ってきてよ」
「!....はい」

従順にして忠実な草壁は、どうして自分が というのをぐっと抑え、頷くと足早に応接室をでていった。
足音が遠退くのを確認して 溜め息をつくと、苦しそうに息を吐く山本を じっとみつめた。

それからどれくらいの時間が経っただろう。
突然がらりと扉が開いて、湯気をたてる 真っ白な粥と、木で出来たスプーン それと味付け様の塩がのせられた
プレートを慎重に草壁が運んできた。

「どうぞ。」
「あぁ...有難う」

山本以外に有難う、と言うなんて何年ぶりだろう。

「山本。起きて」
「ん....ん...?」
「草壁が粥を作ってくれてから。
 それ食べて薬飲んでおいてよ」
「ん、んー.....」

熱で思考が効かないらしい頭を少しだけ傾けて 少しの間、僕の言葉を理解しようと物思いにふけっていた。
しばらくしてやっと理解できたらしくこくり、と頷くも このままでは動きもきっと、鈍く
粥が冷めてしまうのが予想された。
仕方ないので 僕が食わせてやろう。今日だけ、特別に。

「...仕方ないな。山本、口開けて」
「ん?うん...」

口を小さく開けて不思議そうにしている。
そんな事などおかまいなしに、ふうふうとスプーンの上の粥に息を吹きかけ
はい、と呟くように言いつつ それを口の中へと入れてやった。

「ん。...うまい」
「へぇ。お手柄じゃない、草壁」
「あ、くさかべ先輩が 作ってくれたの、な?」

こくり、と僕の3歩後ろで 優秀な部下がこくり、と頷く気配。
ありがとうございます、と言った山本は 睡眠を取ったからか、少しだけ意識がはっきりしてきている様子で
先程の熱に浮かされて時よりは楽そうだ。

「山本。...冷めちゃう」
「ん」

山本は差し出された木のスプーンをぱくり、と口に含んではそのまま粥をこくり、と飲みこむ。
僕は 口を開いて山本がスプーンを解放する前に それを引っ込めてはまたすくって差し出す。
その動作を何回か続けると あっという間に皿の上には残り汁しかなくなっていた。

「...他に食べたいものは」
「今はねぇのな」
「そう。...薬用意してあるから それ飲んでまた寝ててよ」
「ん、さんきゅ」

へらり、と笑った顔は随分とすっきりしていて 下校までには回復するだろう、と予想できた。

山本は、白い錠剤の薬を2粒 口に放りこんで、頷くように首を軽く振りつつ水と一緒にそれを飲み下すと
疲れた、と一言言って 気絶でもするかのように倒れこみ、ぽふ とクッションに受けとめられた時には
既に意識を手放した状態だった。
そんな山本の様子に やれやれという風に溜め息を漏らし、汗ではりついている前髪をすいてやるついでに撫でてやった。

(...無理なんてしなければこんな目に合わないのに)

僕は 丁度昨日の放課後のことを思い出していた。

その日はみぞれが降っていて、校庭はぐちゃぐちゃな状態だった。
当然 屋外で活動する部活は休止。早々に校内は静かになっていた。
そんな時、僕がふと応接室から校庭に視線を向けると ぽつん、と人影がひとつあって
しきりに一定のリズムで同じ動きを繰り返していた。
ガラリと窓を開けた。ひゅう、と冷たい風とともに びちゃびちゃとしたみぞれが頬に当たった。

「ちょっと!部活動は休止のはずなんだけど
 それに 校庭が汚れるからそういう事はやめてくれる」
「...ん?あ すいませーん! 今すぐ帰りますんで...ってヒバリか」
「そうだけど。 とにかくもう下校時刻過ぎてるんだからさっさと帰ってよね」
「あぁ、悪ィ」

それは紛れも無く 素振りの練習をしていた山本武だった。
もうすぐ大会だからだろう、野球命なあの子には1分1秒も惜しいらしい。

あれからロクに頭も拭かずに帰ったんだろう、それでこの有り様だ。

それを思い出し、またひとつ大きく溜め息をついた。

もっと自分の事も考えなよね...

君は人の事を気にしすぎて身を殺す性分だ。
それを自覚して、年相応の我侭を言ったらどうなの。

そこがまた、愛しいのだけど。

文句の次に そんならしくない事を思った。
それがどうしようもなく可笑しくて思わず笑みを漏らした。
僕はこんな 天然野球少年に魅せられ、恋心を擽られたのか。
僕も甘くなったものだ、なんてのんきな事を思って また笑えた。

「...早くよくなってよね」

聞こえるはずのない励ましの言葉を ぽつりと呟くように言い
少しだけ汗ばんだ額にキスを落とした。

時刻はもうすぐ、夕方になる所だった。

















「ん....」

反射的にむくり、と体をおこすと 額に乗っていたらしい、真っ白のタオルが床へと落ちた。
寝起きでふわふわしている意識で 辺りを見まわすと、そこは見覚えがある場所で
意識が飛ぶ前のことを思い出した。

(確か...熱が出て、ヒバリに看病してもらって...)

あぁ、ここは応接室か と気付いた時、丁度部活動始まりのチャイムが鳴った。
今日は確か グラウンドが整備され、使用できるということで 部活があったはず。

「...やべっ」

急いでソファから飛び降りた。
その時。

ふぁさり、と毛布と一緒に なにか紙が落ちたようだ。

「...?」

手に取り、ふたつ折りになっている中身を見ると
見知った字で こう書いてあった。

「今日の部活は欠席して。
 欠席届も出しておいたから」

一気に読み終えると、安堵にも似た溜め息を吐いた。
吐くとともにソファにくずれ落ち、同時に何故か笑いがこみあげた。
それと、この文章を書いた人物への愛しさが胸をしめつけて 顔が熱くなった。





....まだ、熱があんのかな。

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