rainy rainy

□其ノ玖。
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 雨の中を駆ける。
 学院は広く、其の上其の敷地内で最奥に建てられている施設であるが故、先輩と僕はしばらく煉瓦調の敷石を踏み続けていた。
 正門に辿り着く直前、急に先輩が足を止め、僕も慌てて立ち止まった。
「傘ぐらい、差したら?」
 闇に溶けるように目の前に在る、女の姿。紛れもなく、先刻の女のものだった。
「逃がすんじゃ、なかったの?」
 先輩は問うた。雨の音に掻き消されないよう、少し張り上げた声で。
「そう思ったんだけどねぇ、やっぱりやめたわ。よく考えたら、此処の中にいる限りは、子羊も柵の中だもの。磔は兎も角ね、首を落とすには遅くない気がしちゃって」
 傘の下に覗く紅唇は、柔らかく笑っていた。
「山羊屠殺用大剣でもあれば、もっと雰囲気でたけど、贅沢は云えない筈だってね」
「やっぱり、狂ってる」
「返す言葉はさっきと一緒だけど、云ってほしいかしら?」
 先輩は背負ってきた竹刀袋から木刀を抜き、其の一閃で応えた。
 音もなく、女は其れを受ける。いつの間にか取り出されたナイフが掲げられ、木の柔身に喰い込み木刀と進行を止めていた。傘は差したまま其の身を雨から守っていて、僕は戦慄する。
 いくら先輩でも小剣を相手にしたことはないだろうし、何よりあの女も只者では無さそうで。死は、ようやく其の姿を明らかにした、とでも云おうか。いや、全く喜ばしくないが。
 強引にナイフを引き離し、半ば折れかけた木刀で突きを繰り出す先輩。
「貴女の負け筋が見えたわ」
 女は、正確に木刀の先刻の傷を下方から突いた。僅かな手ごたえを残し切っ先は宙に舞い、雨に浸った敷石に落ちる。木刀の断面を腹で押さえていたナイフも次の瞬間にはひらりと舞って。
「っ……!」
 先輩の突き出された左腕の肌を裂いた。白いワイシャツは、みるみるうちに其の色を変えていく。
「先輩っ!」
 ようやく反応した僕は木刀を手に先輩から女を離そうと前に出る。が、切っ先が届くより速く、女は其の身を退いた。
「傷は浅いわ。けど、ちゃんと血管は裂かせてもらったから、其の内尽きるわよ」
 僕は木刀を投げ出し、倒れかけた先輩を両腕で受け止める。胴着の袖に血が写るが気にしてはいられない。袖口を噛み裂き、先輩の肩に巻きつけ止血を試みる。其の様子を眺めていた女は、無表情で呟いた。

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