創作
□御伽噺異伝 陸之後
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夢を見たんだ。
カウ、カウ、カウと、一羽の鶴が鳴いている。
青い空を悠々と、一羽の鶴が飛んでいる。
小高い丘から眺めていると、低く掠れた音が聞こえた。断続的に聞こえるその音に意識を向ける。
―――潮騒だ。
音の正体に気付けば、視界からは緑の野が消え、青い海が広がっていた。
更に視線は瞬時に高度を上げ、見上げるばかりだった空が一気に近付いた。
足は地を離れ、身体は宙を漂う。
急な展開に驚きの声を発すると、それは「カウ」という音となって耳に届く。
そうして、おらは自身が鶴になっていることを知った。
おらは鶴の姿で空を飛ぶ。カウ、カウ、カウと、鳴いているんだ。
真白な羽で風に乗り、青い空の直中で泳ぐように円を描く。
ふと眼下を臨めば、そこにはよく知る浜辺と海があった。
おらが生まれた地にある浜辺だ。一目で分かった。懐かしい、あの浜辺。
波打ち際は浜辺と海をぼんやり区切って、砂から水へと支配を移す。
沖へ広がる海はどこまでも青くて、果てなどなかった。
おらは鶴の姿で飛んでいるんだ。
たった一羽で、青い世界を…たった一人で………?
「…いや、違う?」
昨夜見たという夢の内容を桃太郎に聞かせていた浦島太郎だが、自分の言葉にふと首を傾げる。
「何が違う?一人ではなかったのか?」
黙って話を聞いていた桃太郎も疑問を口にする。
野に寝転んだまま、視線だけを隣に座る浦島太郎へと向けた。
柔らかな陽射しの下、夢路を辿っているらしい友人が、茫洋とした瞳で虚空を見つめる。
その視界に何が映っているのかを、桃太郎は知らない。
「おらは、鶴は一羽きりだったけど…もう一人、もう一つ、存在していた…?」
「もしかして、それは俺か?」
期待を込めて問うも、それは外れていたらしい。俯いた浦島太郎が、首を左右に振った。
時が経つにつれ、夢は霞の如く朧に変じ霧散する。早く思い出さねばと気が逸るも、夢の欠片は記憶の底へ溶けるように消えていく。
「懐かしい、会いたいと願う人…おらが、おらの、大切な…」
誰かがいた。何かがあった。それは確かなのに、上手く思い出せない。思い出したいのに、思い出せない。
早く、早く。夢を掬い上げる事に集中する。眉を寄せ、こめかみを手で押さえる。呼吸をするのも煩わしい…
「浦島」
「っ」
桃太郎の強い呼び掛けに、浦島太郎はハッと顔を上げた。隣を見れば、仰向けに倒していた上体を起こした桃太郎と目があった。
目を瞬かせる浦島太郎に向かい、桃太郎は一言一句を強調するように話し掛ける。
「夢は、夢だ。夢に意識を注ぎ過ぎれば、現に戻って来られなくなる」
「桃…」
「浦島の夢に誰が出て来たのか俺は知らない。だが、浦島の隣りに今いるのは俺だ。それは胸を張って言える」
宣言通り桃太郎は反り返らんばかりに胸を張って見せた。そんな大仰な仕草に、浦島太郎は思わず笑みを零す。
「ありがとう、桃。なんだか現と限らず、夢にまで現れそうだね」
「そうか?それもそれでいいな」
笑顔で浦島太郎が紡ぐ言葉に気をよくし、桃太郎は上機嫌で頷いた。
「もしまた夢に惑う事があれば、俺の名を呼べ。夢でも現でも、お前の声に応える奴が俺だ。応えない奴は俺以外だ。それでいいだろ?」
「頼もしいや、桃。なら、桃も夢で迷う事があったらおらの名前を呼んでな」
「おう!」
力強く笑う桃太郎を、眩しいものを見るように目を細めて見つめる。
彼は知っているのだろうか。
自分が知るもの、自分を知る者、それら全てを失った。そんな浦島太郎が、時たまひっそりと、暗い思いに囚われることを。
果たして自分は存在するのか。そんな根源的な疑問さえ晴らせないほど、心の内に沈んでしまう時があることを。
己の存在を強く肯定してくれる桃太郎が、今や浦島太郎にとって大切な心の支えとなっていた。
邪気のない瞳で笑う友人を見ていると、浦島太郎の頬も緩む。暗く沈む時だって、彼と話しているといつの間にか気分は浮上している。
「…ありがとう、桃」
「ん?」
「いや、何でもないよ」
微笑み、視線を桃太郎から空へ移す。
晴れ渡る青空が視界いっぱいに広がり、まるで夢の続きを見ているかのようだった。
翁と鶴の哀しい物語を目の当たりにしたから、あんな夢を見たのだろうか。
―――いや、違う。
何故か、理由は説明出来ないが、それだけではないと思えた。
自分が鶴になった夢を見たのは、きっと…
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