創作
□夜明け前の独奏-yoshio-
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「……は?」
またもや意外な展開に、うっかり気を抜いてしまう。
口が開いたままという間抜けな顔の僕へ、真っ黒な男子は真っ直ぐ僕を見つめてきた。
「しず…友達が花瓶をごみ箱にうっかり放り投げてしまってな。花瓶にはまだ水が入っていたから、その帽子も濡れちまって……おまけに砂糖が入ってたみたいでベトベトしてたし、ついでに水で洗ったんだ。タオルで拭いたけど、まだ湿ってると思う」
言われた通り、確かに帽子はほんのり水気をおびていた。
だが、自分が教室を出てトイレに行って帰ってくるまでにかかったのは5分程度だろう。
そんな短い間にそのような出来事が起きたとは考えにくい。
「ふーん。随分とまあ、手際がいいんだね?」
「まあ、慣れているからな」
堂々と、きっぱり言い切ったその姿からは、今の話が空想とは思い難い。
もしや真実起きた事なのかと訝しむが、嘘でも本当でもどちらでも別に問題無いので流す事にした。
もう一度簡単にお礼を言うと、逆にすまなそうな態度が返された。
「いや。本当はしっかり乾かしてから渡すべきなんだが、お前もう帰るだろ?」
「別に帽子が無くちゃ帰れない、なんて事はないけど」
「でも朝学校に来る時に校門で注意されるだろ。帽子が無いと」
「注意されたらされたで、適当に返事するし」
何を気にしているのかこいつは。
真っ黒で生真面目な奴だ。
これで喋りが堂々としていなければ、只の根暗な奴だと判断を下せたのに。
呆れともつかない感情を素直に顔に出してしまったらしく、真っ黒な男子は軽く肩をすくめて見せた。
「お前がそういうのを気にしないかどうか、分からなかったからな。気にする奴にはとことん酷い事をしてしまう事になるし」
そいつはまたもやあっさりそう言うと、「とにかく、悪かったな」と話を終わりにする方向へ促した。
その言い方からすると、こいつもあまりそういう事を気にする性格ではないらしい。
生真面目な奴と思いきや、生真面目な奴の心情を慮れる適当な奴だったりするのか?本当によく分からない。
そのまま教室へ帰りそうな気配を見せた男子に、僕は思わず声を掛けていた。
「教室同じだろ?一緒に行こう」
それは自分でも驚くような内容だった。
普段は他人に対して興味の無い僕が、自分からわざわざ相手を引き止め――10mにも満たない短い距離だが――行動を共にしようと誘うなんて。
自分で自分の言った言葉に驚く僕を振り返り、そいつはあっさり頷いた。
そして僕の隣に並ぶ。
「そういや、お前」
「え、何?」
真っ黒い奴は何でもないように続けた。
「俺の名前覚えていないだろ」
気付かれていた。
否定できない僕は視線を泳がせるが、そいつは本当に気にしていないようで、淡々と続ける。
「まあ、自己紹介も一番初めにやったし。影も薄いからな、俺」
字面だけ見れば卑屈になっているように思えるが、声には悲観的な響きが全く含まれていない。
むしろ出席を取るかのような事務的ともいえる調子であった。
「亜岡京太郎。亜岡でも、京太郎でも、どっちでもいい」
「分かった」
あまりにあっさりとした態度に、亜岡は自分に対してあまり興味を持っていないのだと思われた。
まあ、他人に興味の無い僕が言えた事ではないが。
そんなことを考えていると、教室の扉はもう目の前だった。
亜岡と歩調を合わせて最後まで並んで歩いて来たという事実に、再度驚く。
何だ、今日の僕は。
いや、こいつと遭ってからの僕は。
思わず唸りそうになるのを抑えていると、亜岡が扉に手を掛けた。
「ああ、そうだ」
「え?」