創作

□夜明け前の独奏-yoshio-
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 思い出したと言わんばかりの唐突な声に顔を向けると、真っ黒な瞳にかち合った。

「これからよろしくな、藤木」

 笑顔。

 いや、唇を僅かに開き、目を少し細めただけだ。

 しかしそれは裏の無い、素直な、心からの笑顔に見えた。

 いやいや、僕が勝手にそう思い込んだだけかもしれないが。
 いやいやいや、思いこんだ?何、それって希望的観測?
 いやいやいやいや、まさかそんな。

 我ながら情けないほどに固まっている僕に背を向けて、亜岡は教室へ入って行った。
 開け放たれた扉の向こうで、例の花瓶を放り投げた友達らしい生徒が彼に声を掛けている。

 二人はお互いに歩み寄り、同じタイミングでランドセルを背負った。

 亜岡が友達のシャツの捩れを直してから、二人並んでこちらへ向かって来る。

「じゃあな、藤木。また明日」
「ごめんね、藤木君!また明日!」
「ああ、また明日……」

 簡単な挨拶を済ませると、二人は当然のように並んで廊下を歩いて行く。
 黒と赤のランドセルを眺めてから、漸く亜岡の友達が女であった事を知った。

 それも衝撃ではあったけど、それ以上に胸を埋め尽くしていたのは、羨望や諦観、寂寥といった感情だった。

 僕は今、何に憧れた?何を諦めた?何に寂しいと感じた?

 分からない。
 分かりたくない、とも言える。

 亜岡が僕の名前を呼んで笑った瞬間を思い出す。
 引っかかる何かを自覚せぬまま、僕は教室へ入った。

 ちらちらとこちらを見てくる男子を横目で確認し、当てつけるように帽子を軽く振って見せる。

 文句があるなら正面から来い。
 きっぱりはっきり言いに来い。
 そんな度胸も無い奴とは関わり合いになりたくない。

 関わるのなら、真っ向から対応した亜岡のような――

「――馬鹿らしい」

 何かに対して一瞬の内に引き込まれるなど、僕らしくない。
 そう結論付け、女子に絡まれる前に教室を去った。

 青い帽子は握りしめたまま。

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