創作

□御伽噺異伝 肆之後
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 ただ、と呟き、枕元に置いてある玉手箱を見やる。

「これについて、少しだけ…」

 乙姫から賜った、竜宮城へ訪れたという唯一の証。その蓋は美しい紐で封が成されている。

「それか…その紐、和尚は解けたのか?」
「ううん。びくともしなかった」

 五色の糸で編上げられた紐が作る結び目は、見た限り簡単に解けそうなものだった。

 しかし、海鬼族最強の桃太郎がそれを解こうとすると、紐は固く結び目を保つ。
 山姥を退治した和尚ですら、それを解することは叶わなかった。

「それも奇妙な箱だな…どうしてお前にだけ解けるのか…」

 桃太郎の呟きに、浦島太郎は目元を苦しげに歪めた。

 怪力自慢の桃太郎に、仏の力を借りる和尚。人外の力でも緩まない結び目が、浦島太郎にだけ屈する。

 むしろ開けられることを望んでいるのか、浦島太郎の指がかかると、紐はするりと外れそうになった。

 先程山中を駆け下りた時に開かなかったのが不思議なくらい、紐は浦島太郎を許容する。

 浦島太郎の脳裏に、乙姫が繰返し告げた言葉が木霊した。

(けして蓋を開けてはいけません)
 去り際の、哀しそうな顔が忘れられない。
 竜宮城の女神は麗しい美貌に悲哀を湛え、涙を懸命に堪えていた。

「…あのまま…」

 あのまま、村に帰ろうとせず、竜宮城に居続けていたら。

 帰還した結果を知る今だからこそ囚われる、その選択肢。

「あのまま海の底で暮らしていれば…」
「それは嫌だ」

 消え入りそうな声を強い声が遮った。

 はっと顔を上げた浦島太郎を、桃太郎が真直ぐに見つめる。

 夜の闇の中でも分かる、強い眼差し。

「そうしていたら、俺はお前と会えなかった。そんなのは絶対に嫌だ」
「桃…」

 強い意思に怯んだ浦島太郎を、桃太郎は苦しげに見つめた。

「それとも…友と思っているのは、俺だけか…?」

 駄々をこねる子供のような顔から、常にない弱々しい声が零れた。
 迷子が親を求めるように、桃太郎は隣りに横たわる浦島太郎へ腕を伸ばす。

「そんな、そんなことない。そんなことないよ」

 恐る恐ると伸ばされた手を力強く握る。

「おらだって、そう思っている。桃は、桃だけが、おらの友だ」

 友人の珍しく強い口調に、桃太郎は一瞬目を円くするも、その直後満されたように微笑んだ。
 その笑顔に安堵の息をもらし、浦島太郎は視界の片隅に鎮座する玉手箱を一瞥する。

 きっとこの先も、『あのまま』という過去った選択肢に自分は囚われ続けるだろう。

 けれど、捨て切れない後悔よりも、ずっと大切なものがある。
 今の自分が持つ幸せの象徴を見つめ、浦島太郎は頬を緩めた。



 手を取り合ったまま眠る友人を捉える瞳から、ほろりと涙が一滴零れた。



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