創作

□御伽噺異伝 漆
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「な」

 多少の不思議では動じない桃太郎ですが、今は両の目を見開き、戦慄に身体を強張らせています。

 おじいさんが側に転がって来た途端、穴の縁が波打ち、周囲の空間に歪みが生じたのです。

 感覚の鈍い人間では気付かない変化であったかもしれません。
 けれど、桃太郎は生来の鋭い勘と鼻を効かせ、発生した揺らぎを敏感に感じ取りました。

 穴の周りで起きた歪みを通して目の前に広がる森を見れば、空に向かい垂直に伸びている筈の木の幹が、溶かした飴を引き伸ばすかのように左右へ曲がりくねっています。

 尋常ならざる変化に桃太郎が息をのんだ、その直後。
 小柄な獣が一匹通れる程度の小さな穴が、その口を大きく割り開き、おじいさんを飲み込んでしまいました。

「なんと」

 穴は確かな手応えを感じたのか、輪郭を一度ぶるりと震わせました。

 この穴は生きているのでは。そんな考えが桃太郎の頭を過ぎります。

「え、わ、わ」
「ん?」

 穴の動きに意識を向けていると、背後から浦島太郎の声と足音が聞こえて来ました。

 焦りを滲ませた声に、勢いが止まない足音。妙だと思い桃太郎は振り返りますが…時既に遅し。

「危な、桃っ」
「なっ浦し」

 全力で坂を駆け下りていたのです。急停止など容易に出来る事ではありません。

 先程桃太郎が実現できたのは、偏に鍛えぬかれた脚の筋肉のおかげです。正に力技で勢いを殺し、ぴたりと立ち止まって見せたのです。

 しかし、長らく漁師業から離れていた浦島太郎の筋力は、桃太郎のそれに遠く及びません。

 よって、穴の側で突っ立っていた桃太郎へ、浦島太郎は思い切り突っ込んで行ったのでした。

「うわあああ」
「どわっ」

 構えていなかった桃太郎が重心を崩し、浦島太郎共々穴の中へ落ちてしまいました。


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