創作

□承之章 浦島ノ段
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「え?」
「何でもないわ、気にしないで」

 聞き逃し、首を傾げて尋ねてみれば、少女は流すように手を振り微笑む。

「思い出したら、判るから。取り戻してね、名前を、記憶を」

 それは七つになるかならないか、といった外見には相応しくない、大人びた微笑み。
 全てを見透かすような、小さきものを慈しむような。

「う、うん…」

 気圧され、息を呑む。

 そんな自分に対し、少女はころりと表情を只の子供のものに戻し、縁台から飛び降りた。

「さ、行きましょう、出ましょうか」

 そのまま少女に手を引かれ、重厚な造りの門を潜る。

 そして屋敷の外へ出て見れば、目の前には深い森が広がっていた。

 人気は無く、獣の気配すら掴めない。漂う厳かな空気に物怖じする…が、何もせずに引き返すわけにはいかない。

 記憶を無くし、心は惑いや恐怖に満ちている。
 しかし、そんな時だからこそ身体を動かし何かに没頭したくなる。

 暗い感情に呑み込まれぬよう、不安すら忘れて去ってしまいたい。


「これと同じお手玉なの。赤い、丸いお手玉」

 小さな少女の手の平にちょこんと座っている、赤と朱色の布で作られたお手玉。
 境を繋ぐ糸は豆粒諸共しっかりと内側に収められており、簡素な見栄えながらも丁寧に作成されていた。

「可愛いね。お気に入りなのかな」
「うん、そうなの」

 大切そうに手で包み込んで笑う姿に、力になりたいと素直に思えた。

「…あれ?」

 少女とお手玉を微笑ましく眺めていると、ふと引っ掛かるものを感じた。
 少女の掌の中、赤いお手玉からそれは感じる。
 ぐいと顔を近付け覗き込む。

「どうしたの?何かあった?」
「…あ」

 これだ。この部分だ。

「この縫い目…」

 見た事がある…ような気がする。記憶を失っているため定かじゃないが、自分はこれを知っている?

 そう呟いて顔を上げれば、嬉しそうに笑う少女と目があった。

「え…」
「あ、そうそう」

 予想外の表情に呆けていると、少女が瞳をぱちりと瞬かせて口を開いた。

 そして飛び出た言葉に、仰天。

「大きな男に出会ってしまったら気をつけて。攫われないよう隠れたりしてね」
「えっ」
「滅多に出会わないけれど、念のため。用心してね、注意してね」
「え、ちょっと」

 物騒な内容を軽く告げられた。
 あまりの事に目を白黒させる自分に構わず、少女は赤い袖を揺らして颯爽と木々の隙間へ入り込んで行ってしまった。

「…はあ」

 まあ、考えても仕方ないのだろう。とりあえず大きな男に気をつけよう。
 警戒心を抱いてぐるりと周囲を見回す。
 すると先程までいた屋敷が視界に映った。立派な門構えに感心し、改めて眺める。

「そういえば、あそこは君のお屋敷なのかい」
「違う、私のじゃないわ」

 既に自分と少女の間には距離が出来ており、声の主は蔦を這わせた木の根元に屈み込んでいた。
 いけない、自分も探さなければ。軽く頭を振って視線を地面に向ける。
 脳裏に赤いお手玉を浮かべながら目を凝らし、草と草の間を手で掻き分けていく。
 赤い、夕日のような色を探して…

 …そうだ…自分はあのお手玉を見て、夕日を思い出したのだ。
 その事に気が付けば、不思議と心が温まる。

 縫い目。夕日。

 この欠片を頼りに記憶を取り戻そうと試みるも、上手くいかない。気ばかり焦って思考が纏まらない。

 とりあえず気持ちを鎮めようと、少女へ話しかけた。

「君のでないなら、あそこは何方の…」

 少女がいる方へ声を投げて、立ち上がる。曲げていた腰を拳で軽く叩いて前方を眺めれば

「っ」


 その先には、一人の大きな男が立っていた。


 毛深い肌は上半身が露出され、赤ら顔でじっとこちらを見つめてくる。

 少女は背を向け屈んでいる為か、男の存在には気づいていない。
 男の方も少女には意識を向けていないようだ。
 大柄な体躯は微動だにせず、視線は自分へと固定され、逸らされる気配が無い。

 ひたりと見据えてくる瞳は青く、それは尋常ならざる色だと本能が告げる。

 背中を冷たい汗が伝った時、先の自分の質問へ答える少女の高い声が辺りに響いた。

「マヨヒガ…人は、迷い家と呼んでいるわ」

 男が、動いた。


…鋪之章 浦島ノ段ヱ続ク…
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