創作
□承之章 桃ノ段
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「やあやあ、兄さんがその箱を持っていたのかい」
「箱?これか」
この箱を知っている事を意外に思い、青年は目の前に掲げて見せた。
豪奢な細工が施された箱は何度見ても美しい。
惚れ惚れするような見栄えの箱を見つめていれば、緑色の生き物から新たな情報がもたらされた。
「その箱は兄さんのお連れさん、あの人が持っていた箱だよ。やあやあ、あの人を助けた時には無かったから、てっきりどこかに流されたとばかり思っていたけど」
「俺の、連れ?」
「ああ、そうさ」
嘴をかちかち鳴らしながら紡がれた言葉に、青年は衝撃を受ける。
「記憶を無くしながらも、お連れさんの大事な箱は守り抜いたってわけかあ。やあやあ、分かっちゃいたけど、兄さんは余程あの人が大切なんだねえ」
「俺、が…」
「どうしたい、兄さん。さ、早く行こう」
促され、木が生い茂る森を進む。
川沿いを歩く緑色の生き物の背には、亀を思わせる甲羅がくっ付いていた。
意気揚々と歩くその後ろ姿をぼんやりと視界に収めながら、青年は一人思考に耽る。
何度も会話に上った「あの人」とやらに、自身は心当たりが一つも無い。
記憶を無くしているのだ、当然と言えば当然の事。
しかし心の奥底では、その人物に関する思い出を取り戻したいという渇望が渦巻いている。
記憶が風に、川に流される中、懸命に手放すまいと掴んだ玉手箱。その理由は自分の連れが大切にしていた物だったから。
それが真実ならば…己と件の人物との間にあった絆は、よほど深いと見える。
そのような相手が自分にはいた?
「…ふ」
知らず、口元には笑みが浮かぶ。
顔も声も思い出せぬ相手を思っただけで心が温かくなった。
よく分からずとも、自身にそのような者がいたという事実は喜ばしい事だ。
会えるものなら是非会いたい。どんな人物なのか早く知りたい。
様々な想像を巡らせながら、青年も快活な笑みで緑色の生き物の後を追った。
そうして暫く進んだ先で、青年の視界に一つの人影が入った。
もしや話に聞く「あの人」かと思い、青年は弾んだ声を掛ける。
「おおい、お前。そこのお前だ」
「え、ちょちょ、兄さん」
何故か慌てる緑色の生き物を不審に思うも、それ以上に好奇心が勝った。
止めるために伸ばされた腕を振り切り、青年は視線の先に佇む後ろ姿に駆け寄った。