創作

□承之章 桃ノ段
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「そこの背の高い、お前だ」

 そこで漸く人影が青年の方を振り向いた。

 それは背丈が異常に大きな男で、赤ら顔に毛深い肌をしている。
 纏う衣と言えば、申し訳程度に腰に巻かれた布が一枚だけ。

 その気配は山に溶け込んでおり、青年はその大男が自分の連れではない事を直感的に感じた。

「ああ、いや、すまん。間違えた」

 駆け寄る青年をじっと見下ろす瞳は青く、晴れ空を薄く延ばしたようなその色は非常に珍しい。
 大抵の人間であればそれだけで身構えてしまうが、青年は動じずに問いかけた。

「実は人を探していてな。この辺りで俺以外に人間を見なかったか?特徴は…しまった。俺も知らん。おい、俺の連れの特徴はどんなものだ?」

 はっと気付き、青年は慌てて背後を振り返った。
 後方では緑色の生き物が目を真ん丸に見開き、唖然とした様子で青年の方を凝視している。

 どうしたのかと疑問に思い、改めて大男を見上げた。
 背は大きく、見た目も少し変っている。それだけの事に何を驚くのか。

 よく分からないまま見上げ続けていると、大男の長い腕が緩慢な動作で持ち上げられた。
 黙ったまま青年の顔を一瞥し、大男は筆のような大きさの指を一本立てた。
 それが指し示す方向に青年が顔を向ける。


 そこには一人の人間がいた。


「っ」

 ふらりと、見えない力に引っ張られるかのように、青年はその人間へ身体ごと向き直る。

 唾を飲み込むと、目が合った。
 その瞬間、青年は駆け出す。

 その拍子に玉手箱が地面に落下したが、五色の紐が緩んだり、蓋が開いたりする事は少しも無かった。

 草や石が転がる地の上で横たわる箱をちらりと見やり、大男は一つ瞬きをする。
 次いで跳ねるように走る青年の背を眺めると、無言で顔を背けた。
 そのまま一言も発さずに、大男は大木が林立する森の中へ去って行った。


 木々の隙間に溶け込むように消えた大男の背中を見送り、緑色の生き物はどっと息を吐いた。

「やあやあ…どうなる事かと思ったが、無事にすんで何よりだ」
「本当に、まったくだわ」

 その言葉に同調する声がふいに横から聞こえ、緑色の生き物はそちらを振り向く。

 そこには赤い着物を着たおかっぱ頭の少女が立っていた。

「やあやあ、お前さんかい。あの人は無事かい?」
「ええ、大丈夫。おかげさまでね、助かったわ」

 赤い少女が、青年と「あの人」の方へ視線を向ける。
 その顔は慈愛の微笑みで彩られていた。

「やあやあ、まったく。あいつに目を付けられなくて良かったよ」
「ええ、そうね」

 その呟きに少女は首肯し、そっと息を吐いた。


「やあ本当に…人を攫ってしまう事もあるからなあ、山男は」


 しみじみと吐き出された言葉には、重い響きが込められていた。


…鋪之章 桃ノ段ヱ続ク…
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