創作
□御伽噺異伝 衝
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「どうした?おまえ、顔色が…」
息を呑む村人へ桃が声をかける。
その直後、村は絶叫に包まれた。
「なんだ、いきなり。どうしたんだ、おまえたち」
和やかな空気から一変、恐慌に陥った周囲の村人達を見て、桃は目を見開き慌てだす。
桃にとっては、突如湧いて出た狂気だ。訳が分からないといった顔になるのも当然なのだろう。
そんな桃の心情と、叫び逃げ惑う村人の恐怖心とを、同時に理解できたのはこの場ではおらだけだった。
「桃、桃」
「浦島、おまえは平気か?こいつら、いったい…」
そっと着物の裾を引っ張り、名を呼べば、珍しい戸惑いの表情をした桃と目が合う。
心配をするその姿を直視できず、おらはそっと目を伏せた。
「行こう」
「行くって、浦島。こいつらを放っては」
「いいから。大丈夫だから」
何が大丈夫なものか。そう吠える桃の声も次第に大きくなる。
村人達は各々の家に逃げ込んだため、周囲は逆に静かになっていく。
寄せて、引いて、また寄せて。
生まれ育った漁村でいつも聞いていた潮騒が、ふいに脳裏に蘇った。
桃、桃。おらの言葉が聞けるかい?
「桃が、おら達が出て行けば、大丈夫だから」
「だから、それはどういうことだ」
納得できないと眉を顰める桃の腕を取り、強引に再び山へと向かう。
戸の隙間からそっとこちらを窺う村人達の瞳を視界に入れたくなかったので、地面を睨みながら突き進む。
静寂が蔓延る村は震えそうな程冷たく感じた。
「浦島。おい、浦島」
進む先に籠が一つ転がっているのが見えた。先程抱えていたあの男の荷物だ。
あれを持って山を下りて来た時は、こんな展開など予想していなかった。
邪魔なそれを蹴飛ばして、おらはひたすらに山を目指した。
ようやく人里から山の領分へ辿り着き、木の葉や草から漂う青臭い匂いを吸いこんで、そしてやっとおらは足を止めた。
抱え込んでいた桃の腕を解き放ち、すぐ傍に生えていた木の幹に寄りかかる。
名も知らぬ木の表面はざらついており、擦り寄れば頬に僅かな痛みが走った。
「…浦島、どういうことだ」
詰問。
桃の口調は鋭く、きっと眉間には皺が刻み込まれているのだろう。
振り向かずとも表情の予想はつく。それが分かるだけの時は過ごしてきた。
でも、そんな人間は桃にとってはおらだけだ。
鬼の島で育ち、鬼から愛情を受け、鬼へ愛情を注ぐ。
それがどれだけ奇妙な事なのか、実のところ桃は正しく理解していないのかもしれない。
いや、そうなのだろう。理解していれば、あの時、あんな言葉など口にしない。
「…鬼…」