創作

□鋪之章 浦島ノ段
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「お前だ」

 そしておらの肩を力強く掴んだ。

「お前、お前だ。俺の知る『おら』と言う奴は、お前だ」
「え、え」

 何の事か本当に分からない。
 しかし、青年は一人得心がいったようで、嬉々として「お前だったんだ」と繰り返す。

「え、もしかして、君は…おらの事を知っているのかい?」
「いや、知らん」

 まさかと思い尋ねてみれば、ばっさりと切り返された。いっそ清々しい。

「だが、俺はお前の事を知っていた。それは事実だ。そうに違いない」
「え、え」

 そうだそうだ、と青年は一人ではしゃぎだす。
 おらの事を知っていた?それは過去の事で、今は知らないという事なのだろうか。
 つまり、それは。

「君も、自分自身の事を…記憶を失ってしまったのかい?」

 半信半疑で尋ねれば、「おう」と力強く頷かれてしまった。そんな、ああ、本当に…

「清々しい人だ…」

 思わず呟けば、褒め言葉と捉えられたのだろう。喜色満面で頷かれる。

 うん、よく覚えていないけれど、こんな疲労感を前にも味わった事がある気がしてきた。
 おらはこの青年を知っているんだ。きっとそうなのだろう。うん、そういう事にしてしまおうか。

「何か思い出した?取り戻したの?記憶を、過去を」

 遠い目で天を仰いでいると、いつの間にか傍まで来ていた少女に問いかけられた。
 視線を向ければ、赤い着物のおかっぱ頭が真っ黒な瞳でこちらを見上げている。

「うん、自分自身を『おら』と呼んでいた事と、彼と知り合いだったという事は思い出したよ」
「それじゃあ、他は?彼じゃない人達の事は?」

 ぱちりと瞬いた瞳から、きらり、光が零れる。
 無垢なそれから伝わるのは、期待。

「…おら、君とも以前、出会った事があるのかな」

 もしかしてと問えば、少女は瞼を僅かに落とし、幼い雰囲気を覆い隠してしまう。
 唇が一度閉じられ、再び開かれる。

「…ええ、そうよ。少しだけ前に、一度だけ」
「ごめんね…でも、必ず思い出すから」

 目覚めてからずっと、おらの傍にいてくれた少女に落胆の表情をさせてしまった。その事が辛く、申し訳無さで胸が痛む。
 言い訳でしかない言葉を紡いだところで、意味が無いのは分かっている。
 それでも衝動に突き動かされ、白くて小さな掌を取り己の手で包み込む。
 そのまま膝を曲げて腰を落とし、額のあたりに持ち上げて、祈るように瞳を閉じた。

「必ず、思い出す。それまで、ごめん」

 傷つけぬよう丁寧に触れた手に、少しだけ力を加える。
 そんな拙い決意にすら、少女は優しい頬笑みを向けてくれた。

「ええ…分かったわ。待っているから、約束ね」
「うん」

 瞼を上げ、真っ直ぐに向き合う瞳へ誓う。

 必ず、君を思い出す。


「…おい」

 赤い少女と約束を取り交わしていると、先の青年から低い声が漏れ聞こえた。

「おまえ、俺の事もまだ良く思い出していないのに」
「え」

 よく聞き取れず、もう一度と聞き返す。
 だけど青年は不機嫌そうに鼻を鳴らし、そっぽを向いてしまった。

「え、と。おら、何か拙い事をしてしまった?」

 「それなら、ごめん」と慌てて謝るも、青年は不服そうに眉間に皺を作ったままだ。
 どうしたものかと頭を掻けば、隣から笑い声が立った。

「相変わらず、仲良しね。記憶を失っても、変わらない」

 この状況のどこで仲が良いなど判断できるのか。分からない事ばかりが自分の中に積まれていく。

 困惑に顔を二人へさ迷わせれば、また新たな声が場に投げられた。
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