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共犯者[6]


「晋助」
「ん?」
「付き合うか…」

決して視線を寄越さず、独り言のようにそう呟いた彼の横顔は、忘れられない思い出のひとつだ。
出会った当時から優しい男ではなかった。
あまり物を言わなかったし、たまに何か言うと思ったら棘のある言葉ばかりだ。

一貫校だったから、中学の時から彼のことは知っていた。
暴力事件だの何だのその手の善からぬ噂ばかりが付きまとう、きな臭い教師だった。
目つきも、『危ない』という形容詞がよくお似合いだった。

「いいよ」

軽い気持ちで肯定したことを、死ぬほど後悔している。
小顔で抜群のスタイルと繊細な顔立ちに加え、手先も器用だった高杉はよくモテた。
恋人もとっかえひっかえだったあの頃は、告白されることが特別ではなかったし、
相手は教師で自分よりうんと年上の男だ。レッテルつきの。だから好奇心を抱いた。
短期間の戯れのつもりだった。

そばにいるうちに、彼に対して情が生まれた。
初めての恋なんだか愛なんだか。
サディストなところが好き?実はダメ男が好き?顔が好き?
そんな甘いものであってくれればよかった。

「晋助、あれ見ろよ…」

あれは同棲する前に、海に連れて行ってもらった時だ。

「サンセットだな…」
「そうだ」

当時は、彼の笑顔がよく見れた。

「綺麗だろ…」
「ああ…」

その時見たのは、数少ない彼の素顔だった。
そんなに感動するものか、と思うほどに、しっとりとした表情で。
向き直った彼がそのまま高杉に口づけをしたのも、純粋な愛情に受け取れた。

なのに。

あの一件があってから、彼という存在が恐怖そのものに変わってしまった。

「君ひとり?」

銀八は飲み物を買いに行っている。
学生旅行だろうか。大学生くらいの男が3人、高杉の周りを取り囲んでいた。

「連れがいるけど?」

ナンパだな。見るからに頭の悪そうな連中だ。
自身の器を見てから来いと、高杉は軽く鼻であしらった。

「じゃあ、彼が戻ってくる前にさらっちゃおうか」

汗ばんだ手で、腕を掴まれた。

「何す…っ」
「うわあ白い脚」
「腰も細いぞこの子」

他の二人が、高杉の太ももや腰回りを撫で始める。
しまった、最初からそれが目的だったのか。
日は沈み、観光客は皆ホテルに戻ってしまった。

「いや、っだっ…、ん…っ」
「あれ、感じちゃてる?」

一人の手がTシャツごしに高杉の胸を撫でまわし、もう一人の手は足の付け根と股間のあたりを行き来していた。

「人呼ぶ…っ」
「どうやって?」
「彼氏来てくれんのかな〜?来ても助けてくれんのかな〜?」
「おい、もう脱がしちゃえよ」

両手首を後ろ頭に固定される。
素早く前にまわった一番背の小さい男が、一枚の布を通して高杉の突起に口づけながらゆっくりと捲り上げていった。
ここにきて、頭が真っ白になる。



「銀八っ、銀八っ!!!!」



助けて。
瞼の裏を支配したのは彼の姿で、すがりつく思いで高杉はその名前を叫んだ。


拘束が緩んだ。
連中に身を預けていた高杉は、バランスを崩して後ろに倒れる。
頓狂な声が耳を打って、何事かと目を見張る。

「うわああああっ痛え、痛えええっ」

高杉は凍りついた。
顔が血だらけの男がのた打ち回っていた。
その前に立ちはだかる影。
鬼の形相で握り締めた500mlのペットボトルを、顔目掛けて振り落とした。


「銀八…?」


ぽろりと口から毀れた、彼の名前。


「いきなり何なんだてめえっ」
「…あと誰だ」
「あ?」
「触れたのは」

止めに入った男に、正気を失った細目をよこす。


「晋助に手ェ出しやがったのは、あと誰だ…?」


ひっ、と男の喉が引きつる。
ああお前もか。銀八の口から印象的な八重歯が剥き出しになる。
一瞬の出来事だった。
その男が真っ赤な顔で地にべったり張り付いたのは。

「殺してやるっ」

虫の息のような男の背中に踵を落とし、鈍器代わりのそれで何度も何度も頭を殴る。

「ちょっと…」

死ぬよ。
凄絶な光景に圧倒されながらも、動いたのは高杉だった。

「銀八、そんなに殴ったらっ」

彼の身体にはりついて、もうやめろと訴える。

「何で止めんだ…」
「え…?」
「呼んだじゃねえか、俺を」

高杉を見据える瞳の色が変化したのを察する。


「だから殺すんだ。お前が、俺を呼んだから」


もう彼を止める言葉は、見つからなかった。
笑っていたのだ。

暴力を楽しんでいるのではない。
追い詰められた高杉が助けを求めた人物、それが自分であったことに、この上なく喜びを感じていた。

名前を呼んでしまったから。

それだけのことで、彼の中の高杉晋助という存在が、変わってしまったのだ。
もしあの時名前を呼ばなければ、こんな酷い男とは、あっさり別れられたかもしれなかった。














これ以上高杉には関わるな、と念を押された。
二人の関係をどこまで知ってるのかと問えば、詳しいことは銀八の口からは何も聞いてない、と言う。
断言できるのは、坂田銀八の人格に問題があること。
独占欲のかたまり、かつ暴力的で我儘。
そんな人間が自分のモノに手を出されたらどんな行動に出るか。
そこまで説明されれば、あとの情報はオカズ程度だろう。

「なあ…高杉」

どちらのためにもならない。そんなことは高杉を抱いた時から承知していた。

「なに?」

心に抱えた荷物を片づけられぬまま、土方の言葉を無視して今日も彼と寝た。
こうなったのも、誰のせいだというのだ。お前と、担任の銀八が余計なことをするからではないか。
一人暮らしだった近藤は自分の家に高杉を招いた。
人目を気にせずともよい環境を手に入れ、いつになく激しく抱き合った。

壁に手をついて必死に腰を振る高杉が目に焼きついた。
声も教室での行為の時より幾分か大きい。
娼婦が吐くような卑猥な言葉が、高杉の口からたくさん毀れた。

「帰らなくていいのか?」
「今何時?」

時計を見やると18時を過ぎようとしている。
溜息を一つ。帰ります、という宣言だ。

「間に合うか?」
「ああ、銀八なら今日遅くなるっつってたから」

夕飯も食べるかわからないし、軽く作っておけばいいと言った。

「悩んでんだろ」
「え?」

肩に高杉の頭が乗る。
甘えるような仕草につい頭を撫でてしまう。

「俺とこんなことしてていいのか、って…」
「………」

黙っていた。高杉がクスっと鼻を鳴らしたのが聞こえた。

「あんた、優しいからな…」

高杉が身を起こす。床にばらまかれた服を一つ一つ拾って、ベッドに放る。

「優しくなんかねえよ」
「どうして?」
「自分に甘いだけだ…」

高杉に遠慮してこの関係を続けてるわけではない。
一時的な甘ったるい空間に、何となく身をゆだねてしまっているだけだ。

「真面目だな。そういうとこ、好きだぜ?」

頭から服を被りながら高杉が言った。
その不器用な誠実さに、土方も惹かれたのだろう。

「だけど悩んでんなら、やめたほうがいい」
「高杉…」
「俺みたいになる」

自分と銀八の関係のことを言っている。
ずるずると引きずられていくうちに、後戻りが出来なくなるのだと。

「あんたがもっと軽い奴だったら、このまま続けてもよかったけど…」
「………」
「あんたのほうが参っちまうモンな。やめた」

ニッと歯を見せて笑った顔は、酷く透明だった。
惜しみのない、別れの印でもあった。

表まで送って行った。
タクシーで帰ると言った彼は学生の身にして随分羽振りがいいな、と思った。
手を大きく振り上げて、偶々通りかかった空車を止める。
乗車しようとしたところで、高杉が近藤にキスをしてきた。

「巻き込んでごめんな…」
「………」
「次会う時は、学校で…共犯じゃなくて、ダチとして」

高杉の瞳の奥に揺れたものを、少しだけ感じ取った。
高杉は運転手に目的地を告げる。
その後は近藤のほうに振り向くことはなかった。
彼が都会の喧騒に消え行くと、途端に喪失感と安堵感が背中合わせに登りつめる。

次から次へと。この短期間が何だったのだろう、と夜空を見上げた。
この空を突き抜けた次元では、塵並みの時間なのだろう。

「どいつもこいつも…何なんだよ」

疲れたよ。一人ど真ん中に取り残された男の、呟きだった。














タクシーを使えばあっという間だった。
18時半を過ぎていたが、問題はない。
高杉はキーを取り出して鍵穴に差し入れた。

「あれ?」

ふと覚えた違和感に、思わず鍵を引き抜き、取っ手を引いた。
開いてる。
一度引いたドアを閉め直す。

(鍵閉め忘れたっけ…いや、そんなわけ)

出かけるときは銀八と一緒だったし、二人で確認したはずだ。
記憶違いではないかと脳内を掘り起こしていると、ドアが開いた。
え、と半分まで解放された中の様子をまじまじと見やる。



「おせーよ」



自分の前に立ちふさがった男に、高杉は血の気が引いた。


「…銀八……」


なんで。
冷や汗がひとつ、頬を流れた。
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