短編A

□名前で呼んでよ
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「ねえ、毬江ちゃん」

「…なんですか?」

「そろそろ俺の事名前でよんでくれない?」



思わず手に持っていたコーヒーカップを落としそうになった。

…いつかは言われると思っていた。

付き合ってからだいぶ経つ。
それなのに私は、今も彼の事を小牧さんと呼んでいる。

なぜ、彼の事を下の名前で呼べないのか。
答えは簡単に出る。
“呼びなれない”からだ。

今まで31年間、私は人の事を下の名前で呼んだ事がない。
だから、呼ぶのにかなりの抵抗がある。



「……無理です」

「あーやっぱり?」



私が答えるまでの間は、一応努力した証だ。
でも、初めて名前を呼ぶとなると、やはり呼べない訳で。



「やっぱりってどういう事ですか?」

「いや、よく考えてみれば毬江ちゃんは他の人の事を全く名前で呼んでなかったなと思ってさ。多分一回も人の事名前で呼ばなかったんだろうって思った」



そう言って「違う?」と首をかしげた。

ここまで読まれているなんて。



「…当たりです」

「ふーん…じゃあ俺が初めて名前で呼んでもらう人になるのかー」



そう呟いてから照れたように笑う。



「努力はします」

「うん、頑張って」



小牧さんが部屋を出て行ったあと、私は溜め息をついた。

―――――幹久さん。

たった二文字。
それなのに。

小牧さんに名前を呼ばれると、鼓動が早くなる。
それを小牧さんに少しでも体験して欲しい。

そう思って彼のもとへ向かった。



[名前で呼んでよ]



(…幹久さん)(やっと呼んでくれたね)((なんで平然としてるの…!?))

↑御題元・Silence
 

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