短編A
□己さえも見失う程に
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恐かった。
大事な大事な、愛しい彼女を失うことが。
怖かった。
自分の目の前で、彼女が動かなくなることが。
恐かった。
怖かった。
こ わ か っ た 。
だから俺は、命にかえても彼女を守ろうと思った。
決して彼女の為ではなく、自分の一番恐れていたことが起こらないために。
そして、俺は、
咄嗟に手を伸ばして、
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目が覚めると、俺は誰かに手を握られていた。
独特の匂いと、白に統一されている部屋で、此処が病院である事が分かった。
左手が、暖かい。
その先を見ると、器用に俺の手を握りながら寝ている彼女がいた。
ゆっくりと身体を起こす。
頭に鈍い痛みがはしった。
「ッ、…」
「篤さん…?」
「郁、俺は、」
彼女は何も言わずにじっと俺を見つめていた。
その目に涙が溢れだす。
涙を手で拭うと、戸惑いながら俺の胸に抱きついてきた。
背中に手を回す。
「良かっ…た…」
呟かれたその声に、自分がどれだけ心配をかけたのかと思った。
同時に、自分が何をしたのかはっきりと思い出した。
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彼女が階段の上の方で足を踏み外して、落ちてきた。
その姿を見た俺は、咄嗟に彼女を庇い、自分が落ちたのだ。
―――頭から。
+++
「二日間も目を覚まさなかったんです」
くぐもった声は不満そうだった。
「なんで私を庇ったんですか、篤さんらしくない」
そう、普段の俺なら、迷いなく彼女の腕を掴み、身体を支えたはずなのだ。
それなのにあのときの俺は、自分を見失っていて。
彼女の代わりとなることしか考えていなかった。
「私だって、篤さんを失うことの方が恐いです」
「だから、自分の命も大事にしてください」
そう言った郁は、顔をあげて笑った。
〔己さえも見失う程に〕
((それほどまでに、俺は彼女を愛しているんだ))
御題元・Silence