完結作品

□蝉と蛍
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外で、蝉が鳴いている。
必死に翅を震わせ、自分の存在を主張しているのだろう。
小さな身体ながら、人間よりも逞しく生きているのではないだろうか。
ゼンはそう考えながら、ぼんやりと教室の窓から外を眺めていた。
青い空に白い雲。
山には緑が生い茂り、近くには透き通った色をした川が流れている。
まるで絵に描いたような風景に、ゼンは嘆息した。
こうやって誰かによって創られた世界に、自分たち人間は生きているのだ。
そしてそれは永遠に変わることの無い事実――

地元で大きな影響力を持っている名家の嫡子として産まれたゼンは、産まれた時から既に人生のレールが決まっていた。
物心がついた時から勉強させられ、習い事も沢山させられた。
そのお蔭で小学校の頃から成績が良く、運動能力も高い。
長身で眉目秀麗といわれる両親から受け継いだ容姿は良かったので、周囲には沢山人がいた。
しかし、ゼンはそんな人生が嫌だった。
他人によって決められた人生なんて、そんなの楽しくないに決まっている。

「どうしたら、人生楽しくなるんだ……?」

いつの間にか口癖になったこの台詞は、誰にも聞かれることなく雑音の中に消える。
誰も、ゼンの心の声には気付かない。
心の中ではいつも叫んでいる。

助けて。
誰かここから連れ出してくれ。
もう、誰かの言いなりは嫌なんだ。

でも、誰も気付いてはくれない。
言葉にしていないのだから当たり前だが、一人ぐらい気付いてくれてもいいと思う。
毎回、ゼンは張り付けたような笑顔をしているから。

「ゼン、もう授業終わったぞ」
「んあ? ……ホントだ」

後ろの席の友人に声を掛けられ、授業が終了したことにようやく気付く。
ゼンは大きく伸びをし、一度も染めたことのない、少しだけ癖が付いている髪を弄り始めた。
髪を弄るのは幼い頃からの癖である。
両親からは女のようでみっともないと、癖を直すように散々注意されたが、敢えてゼンは直さなかった。
これが、唯一の両親に対する反抗だから。
こんなことしか反抗出来ない自分に、嫌気がして自嘲した。

「ゼン?」
「悪い、ちょっと次はサボるわ」
「え、ゼン!?」

友人の止める声が聞こえたが、それを無視してゼンは教室から立ち去った。
まだ授業の合間の休憩時間であるために、廊下には生徒が溢れかえっている。
あまり人混みが好きでないゼンは、思わず舌打ちした。
しかし、誰も気付かない。
気付いても『ゼンが舌打ちなんてするはずない』と気付かないふりをする。
この学校にいる人々は、みんなそうだ。

ゼンは歩くスピードを上げて廊下を進み、そして階段を駆け上った。
階段を上りきった先には、一つの錆びれたドアがあった。
鍵は掛かっているが、少し乱暴に扱えば簡単に開く。
ゼンは思いっきり扉を開いた。

その瞬間、目の前に広がったのは『自由な世界』だった。

屋上には誰もおらず、ゼンにとっては最高の場所だった。
口煩い両親、媚びを売ってくる生徒や先生。
その誰もがいない場所。
ゼンは屋上の中心まで歩き、コンクリートに寝そべった。
七月、そして天気は快晴であるために、太陽の光がコンクリートを熱くする。
その熱さを感じつつも、嫌とは思わなかった。
他人に対する渦巻いた蔑みに比べたら、この熱さも心地良い。
心地良さに、瞼を下した時だった。


「あー! 俺の特等席に誰かいるッ」


突如、出入口の方から大きな声が聞こえた。
その声は高くも低くもなく、中性的だった。
しかし、ここは男子校。
女はいないので男だろう。
ゼンは声の持ち主を確認するために、嫌々ながらも徐に瞼を開いた。

「あ、起きた」
「ッ!?」

ゼンは思わず息を詰めた。
出入り口付近にいたはずの彼が目の前におり、尚且つゼンを近距離で覗き込んでいたからだ。
ゼンを覗き込む彼は、高校生にしては幼い顔つきをしていた。
小さな顔に大きな二重の瞳、透き通った白い肌に艶やかな緋色の短髪。
男にしては華奢で、女にしては骨格がいい体格。
一瞬、女だと思った。
こんな生徒、今まで見たことが無い。

「ここは俺の特等席なんだけど」
「……ああ、悪い」

そして、自分に対して意見を言ってくる生徒も初めてだった。

素直に起き上がり場所を譲ると、彼は大きな瞳を丸くして驚いていた。
ゼンは訝しげに彼を見て、訊ねる。

「なんだよ」
「いや、見た目が意地悪そうだったから、素直に退いてビックリした」
「……」

見た目が意地悪そうという感想も初めてである。
確かに目つきは悪いかもしれない。
特に最近は視力が落ちてきたので、つい目を細めてしまう。
自分は意地悪そうな顔をしているのか。
そう考えたら、何故だか笑えてきて思わず笑ってしまった。

「え、何で笑うんだよ!? 俺、笑うようなことした?」
「ククク、いや、お前のせいじゃないから……アハハ!」
「? 変な奴」

ゼンは久々に目一杯笑った。
今まで自然に笑ったことなど、数えるぐらいしかないし、それも幼い頃の話だ。
高校二年になって自然に笑ったのは、初めてだった。
今日は初めてのことだらけだ。
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