幽遊白書

□記憶への回廊
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《魔界》


 闇だけが支配していた。

 ここは魔界でも知る者は少ない魔界のはずれの大きな森の中だった。

 何もない。

 あるのは昼間でもうっそうと生い茂る木々だけだ。

 しかし不思議だったのはここにはかすかな記憶の彼方に知りえた様な結界があった事だった。

―こんな所まで呼び出して飛影はなんのつもりだろう

 蔵馬は魔界の飛影からの呼び出しに応じてこんな彼方まで出向いてきたのだ。

 飛影からの呼び出しは珍しい事だが、たいていは魔界に迷いこんだ人間の処理についてが多いのだが

 それならこんな魔界のはずれまで呼び出す必要はないのだ。

 しかし蔵馬はこの森が何故か懐かしい気がしていた。

 妖狐であった頃にでも立ち寄った場所なのか?いや、蔵馬は人間になってからも全ての記憶を把握している。

 しかし自分の記憶の中にはこの森の存在はないのだ。

 なのにとても懐かしい気持ちになっていた。

 不思議な感覚だった。

 それにこの森は一定の周期で魔界の秩序をワザと崩して木々をより強くしている。

 誰がここまで面倒を見ているのか・・・蔵馬は森を見渡しながら不思議な感覚を覚えていた。

―それにしても飛影・・・

 蔵馬はなぜこんな場所を飛影が選び、自分を呼びつけたのか訳がわからなかった。

 飛影は魔界の軀からの招待をあっさりと受けた頃から少しずつ

 自分との距離を置いてきた様に蔵馬は感じていた。

 同じ心の傷を持つ軀との共存を飛影が求めたからなのか、それは蔵馬には解らなかった。

 ただ、飛影がそう望むのならばそれが一番いいのだ、と蔵馬は考えていた。

 自分が時雨に言った願いを叶えられた飛影は、自分にはある目的を達すればもう何もないと言っていた。

 その目的はもう達する事ができたのだろうか、蔵馬はあえて飛影にそれがなんであるのかを聞かなかった。

 飛影が自分からいつか話してくれると信じていたからだ。

 ただ、飛影は軀に死に方を選んで欲しかったのかもしれないと、

 いつかコエンマが言っていた言葉がいつも蔵馬の心の片隅にはあった。

 飛影の戦い方はいつも全身全霊で死をも恐れずに向かっていく。

 後先が全くない。

 失くすものが何もないからだと飛影はきっぱり言っていたが、飛影、それは悲しすぎる。

 君はまだ死を選ぶには早すぎる。

 飛影・・・

 蔵馬は言い知れぬ不安を感じ飛影の名を口にしていた。

 と、突然目の前に現れた飛影に蔵馬はひどく驚いた。

「ふん、何を考えていた。お前がオレの気配に気がつかないとは、すっかり人間に成り下がったか。」

 飛影は口元に薄笑いを浮かべて蔵馬を見た。

「飛影、どうしたの?こんなところに呼び出して。ここは君の知っている縄張り?」

 蔵馬は憎まれ口をたたく飛影にやさしく問う。

「ここはオレが昔住みついていた場所だ。」

「そう、君はこんな森の中で過ごしていたんだね。」

 きょろきょろとあたりを見回しながら言う蔵馬の言葉に飛影は少しじれったさを感じていた。

「なんの茶番だ? お前はこの場所を知らないとでもいうのか?」

 飛影の言葉に蔵馬は違和感を覚えた。

 まるで自分がこの場所を知っているかのように言った。

 しかし自分の記憶には全くもってこの場所はないのだ。

 飛影は蔵馬の返事がない事を確認して静かに目を閉じた。

「キサマは本当に忘れているのか?それとも人間の気持ちってやつで忘れたふりでもしているのか?」

 飛影は何故か胸の奥底からふつふつと沸いてくる蔵馬に対してのいらだちを感じ始めていた。

 しかし相変わらず蔵馬の方は大きな濡れた様な瞳で飛影を見つめたままだ。

―ええい、いまいましい

「戦え!」

 飛影はそれだけ口にすると蔵馬の首筋に剣を突きたてた。

「何故?何故君と戦わなければいけないんだ、何を怒っているのさ。」

 蔵馬は唐突に戦いを挑んでくる飛影に訳がわからなかった。

「キサマが決めた事だ!オレはこの日を待っていたのだ、数百年もな!」

「なんの事さ、飛影!オレがそんな事言うはずないじゃないか!」

 戦う意志がない蔵馬は無防備だ。

 飛影の振り回す剣が一瞬蔵馬の頬をかすり赤い血が蔵馬のきれいな顔に一筋の線を描いた。

 飛影の話が全く理解できずに蔵馬はたちすくんだ。

「キサマは戦う義務がある。」

 飛影はその言葉と同時に再び蔵馬に切りかかってきた。

 蔵馬は戦う気持ちが無い為飛影の動きにあわせてとにかく逃げ、攻撃を交わすだけだった。

「キサマ、なめているのか!」

 飛影は突然大きな声で怒鳴ると額の包帯を外し

“う・・・”と、拳をにぎりしめて全妖気を右腕に集めだした。

「飛影!何をする気だ!」

 蔵馬は声を荒げた。

 飛影は黒竜を呼び出していたのだ。

「ここは、魔界だ!人間界で呼び出すのとは訳が違うぞ!蔵馬!そんな人間の身体などでは

 オレに太刀打ちできんぞ!妖孤になれ!」

「なぜ、そんな事をする!何の意味があるんだ!」

 蔵馬はたじろいだが、一瞬にして本気である飛影の心を読み取った。

 飛影の回りに魔界の風が渦を巻き始めた。

 額の包帯が完全にとれた瞬間飛影の邪眼がぶきにみ開きだしていた。

 魔界の風は黒い炎となり大きくうなり声を上げだした。

「飛影!」蔵馬の叫ぶ声と同時に黒竜は飛影の意志をのせ蔵馬に襲いかかってきた。

 黒い炎が竜となり蔵馬を飲み込もうとしたその時、

それとは全く逆にすざまじいほどの桁はずれの妖気が白い煙幕で黒竜を覆い出した。

 何処からともなく現れる稲妻と共に黒竜は消え去り一瞬の静寂をつくりだした。

 飛影はその中の蔵馬を見逃さずにいた。

 そしてしばらく続いた稲妻の間に流れるような銀色の髪が舞い踊っている姿が映った。

「邪鬼よ、やっと会えたな。ふん、飛び道具を覚えたか、

 しかしお前ごときの未熟な黒竜で私に勝てるとでも思ったのか?」

 その煙幕より姿を現したのは紛れも無く妖狐であった。

「お前の腕ではこの私の髪一本焦がす事はできまいぞ。」

 飛影は妖狐になった蔵馬をじっと見つめていた。

「キサマを殺す!」

 飛影はすばやい身のこなしで妖狐に至近距離から剣を振るった。

 しかしその剣はいとも簡単にはじき飛ばされ飛影の手から弧を描いて落ちていった。

「ふん、多少なりとも経験は積んだようだな。妖魔の剣を鞘から抜くまでになったか。」

 妖狐は口元に薄笑いを浮かべて静かに小さな種を地面に落とした。

 その種は見る見る間に蔓を伸ばし飛影の身体を魔界の植物でしばりあげた。

「殺せ!」

 飛影は大木に縛りあげられた体のまま大きな声で叫んだ。

「言われなくてもそうするさ、昔の様にお前を存分に味わってからな。」

 妖狐は長い銀色の髪を揺らしながら飛影に近づいてきた。

 しかしその妖気に殺気がない事は飛影にも解っていた。


―邪鬼、待っていたぞ

 妖孤は心の奥でそう言った自分に少しだけためらいを感じていた。

「お前はきれいな眼をしている。蔵馬にはかわいがってもらったのか?」

「蔵馬の記憶にあの日のお前はいないのか?」

 飛影は蔵馬が魔界での自分を本当に覚えていなかったと言う事実をこの時初めて気づいた。

「さあな、蔵馬はお前を望んでいる事だけは私にはわかるが人間としての理性というものはなかなか不便らしい。」

 妖狐は飛影の頬に手をやりながら言った。

 飛影はじっと妖狐を見据えていた。

「邪鬼、お前のその目が気に入ったのだ。」

 妖狐は手足の自由を奪われた飛影の髪をかきあげ第三の目をやさしく舐めた。

 飛影はその舌の感覚に言い知れぬほどの快感を覚えた。

「邪鬼、この目は何故取り入れたのだ?昔は無かったものだ。その邪眼で何を探したのだ?」

「ふん、お前には関係ない事だ。」

 飛影はまばたきひとつせず、妖狐の姿を見ていた。

 妖狐は何故か飛影の心が遠くに感じた。

 言い知れぬ程の口惜しさを感じ始めていた。

 何故かそれが苛立ちとなっていく自分に不可解な感情を抱き始めていた。

 そしてその苛立ちにまかせ飛影の着ている服をひきさいた。

「うっ」

 妖狐の長い爪が飛影の身体をもかるくえぐっていた。

 血の匂いが漂った。

 飛影の華奢な細い体は全身を硬直させながら妖狐の目の前にさらされていた。

「お前は私のものだ。そう言ったはずだ。」

 妖孤は自分に何かを抱かせたあの時の飛影が見つからない様な気持ちになった。

 妖狐は軽く飛影の顎を持ち上げながら唇をあわせてきた。

 飛影はただ黙って妖狐のされるがままになっていた。

 持ち上げられた顎に少し力が加わると飛影の口はすこしだけ開いた状態になり

 妖狐の舌がその隙間をぬって飛影の舌を弄る様に入ってきた。

 逃げ惑う飛影の舌はすぐに捕えられ妖狐のなめらかな舌の動きに翻弄されていった。

 全身の力が抜け、妖狐が送りこむ唾液さえ受け入らずにはいられない様になっていた。

 飛影は遠ざかりそうになる意識を必死にとどめた。

 そして最後の力を振り絞って心の中で叫んだ。

―蔵馬!!目を覚ませ!

 一瞬にして妖狐の舌の動きが止まった。

 ―お前は蔵馬を・・・そうか・・・

 妖孤は飛影の心が自分にない事に気づいてしまった。

 飛影の心の叫びが妖狐の奥底にある蔵馬の意識に触れた。

 飛影から唇を離した妖狐を飛影は深い悲しげな眼で見つめていた。

「飛影・・・」

 妖狐の中の蔵馬が眼を覚ました。

 と、同時に飛影をしばりあげていた魔界の植物はするするとなりを潜め飛影を開放した。

 倒れそうになった飛影を蔵馬は抱き止め静かに木の根元に座らせた。

 意識がはっきりしてきた飛影は大きな三つの眼で蔵馬を見つめた。

「お前は何も覚えてはいなかったのか。」

 飛影はふっと口元に笑みをこぼした。

「飛影、オレは昔、君を・・・飼いならしていたのか・・・」

 蔵馬は飛影の肩を抱き抱えながら言った。

「そうじゃない。キサマはオレに言った。この剣をくれて

 自分と同じ位の力をつけて帰ってこいと、その時相手にしてやるとな。」

 飛影は飼いならされていたと言った蔵馬の言葉が少し違う様に思えた。

「この森は君の森だったんだね。」

「この森はオレの森ではない。妖狐の森だ。ここでオレは妖狐のお前に邪鬼と呼ばれていた。

 お前はたまにここで足を休めていた。時には何年もの間この森の湖の近くで寝ていた。」

 飛影は眼を閉じて力を抜いた、昔を思い出す様に。

「何故、君はオレを知っているのにオレには君の記憶がないんだろう。」

 妖狐であった頃の記憶も蔵馬にはしっかり残っているはずなのに

 この森、そして飛影の記憶だけはじかれた様に欠落しているのだ。

「飛影・・・オレは・・・」

 蔵馬は飛影に聞こうとしたが飛影は黒竜を呼び出し妖気を使い切ったせいか

 安堵して蔵馬の腕の中で静かな寝息を立て始めていた。

 飛影はその深い眠りの中で妖孤の姿を見ていた。


―お前、私を探していたのではないのか?

 妖孤は言った。

―お前を探していた。お前に殺されたくて。その為に邪眼をつけたのだ。

 飛影が答えた。

―では、何故蔵馬を呼んだ

―オレはお前になりたかった。恐れもない。絶望も、失望もない。

 安らぎや安堵さえもない。お前は幻の様だった。だからオレは幻になりたかったんだ・・・

―私が幻に見えたか?

 妖孤は少し笑って言った。

―だけど、オレは幻にはなれなかった。お前には近づけなかった。だから他の誰でもなくお前に殺されたかった。

―殺されたい?何故死を選ぶのだ

―もう、オレには何もないからだ。最後の願いであったお前も見つけた。幻にもなれなかった。

 オレには生きて行く必要が無くなったと思ったからだ。

―では、何故蔵馬をよんだ

―解らない、最後に蔵馬を感じたかった

―お前は黒竜まで使って私を呼び出しておいて、蔵馬を感じたいと言うのか。

 それはお前が死を選んでないからじゃないのか。

―そうかもしれん。ただ、死んだとしても知りたかったんだ。お前の中にいる蔵馬は本当にお前自身なのかを・・・

―そうか・・・邪鬼、それでは教えてやろう。

 今では、私が蔵馬の一部なのだ。私はお前を縛る事でしか私の物には出来なかった。

 しかし蔵馬は違っていた。お前を傷つけない事でお前の心をものにしたのだ。

 だが、蔵馬と私はやり方は違ってもお前を思う気持ちは一緒だった。

 あいつはその事に気づいてはいないが。今の私になら理解出来るのだ。

 私はお前がこの先傷つけられたりしたならば命をかけてお前を守るだろう。

 私には蔵馬の様な温情などないからな、どんな手段を使ってでも結果だけをだすだろう。

 蔵馬はお前に信じると言う事、を教えたのだな。邪鬼、私はお前に“人を守る優しさ”を教えられた・・・

―それは違う。お前は最初からその優しさを持っていた、お前自身気づかなかったにすぎん。

 お前は幻ではなかった・・・

 飛影は今、本心でそう思っていた。

 妖孤は優しく飛影に笑いかけるとそのしなやかな身体を翻し銀色の髪を揺らしながら消えて行った。

 飛影は妖孤の去り行く姿のその先に蔵馬が微笑みかけているのを見たような気がした。

―妖孤蔵馬・・・・

 飛影の心の中であの美しく氷の様に冷たいほどの視線の妖孤が

 徐々にやわらかなグリーンの瞳の蔵馬に変わっていく姿が見えていた。
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