takumi kun S.

□sub rosa
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遠くでカチャカチャと食器がぶつかる音が聞こえていた。

でもまだ、まどろんでいたい。

昨日の疲れが残ったままなのだ。

さすがに移動してから直ぐの演奏は疲れる。

ふかふかで気持ちのいいベッドの中で寝返りをうってから寝なおす事にした。

パタン・・ドアの開く音。

枕元にコトンと何かが置かれたと同時に背にした側のベッドが緩やかに沈んだ。

そっと覗き込む様に近寄る温もりはチュッと音を立てながら僕の頬に唇を寄せた。

「おはよ、佐智。」

「義一くん、夕べも遅かったし僕は疲れているんだよ・・もう少し寝かせて欲しいんだけど。」

僕は目を瞑ったまま云った。

「もう、陽はあがっているぜ、不健全なやつだな。」

ああ、魂胆はみえみえなんだけど、僕のテンションの方がついていけそうもない。

今、この状況で唯一僕を喜ばせてくれるとするならこの枕元に置かれたコーヒーの香だけ。

「ねえ、義一君の魂胆は解っているから、もう少しだけ僕に時間をくれないかな? 

頭ん中がまだ起き様としない。」

「解るなら意地悪するなよ。散々またされたんだからな。」

僕は大きくため息をついて仕方なく背中越しで話している義一君に振り返った。

この場合、意地悪は義一君の方なのに。

「おはよ、佐智。」

優しく僕の髪を梳きながら満面な笑顔で同じ挨拶をリピート。

「どうしても、僕を起したいらしいね。」

「いや、いいんだ、佐智はベッドの中に居て。」

義一君は僕の胸にそっと手をおき優しい笑顔で言った。

ベッドの中に居ても目覚めさせられるなら起きたと同じじゃないか。

上半身を起しながら大きな枕に寄りかかった僕に義一君は枕元に置いたコーヒーを受け皿ごと手渡してくれた。

「ありがとう、全く、義一君せっかち。」

「そんな事あるかよ、もう時計は9時を回っているんだ。」

義一君は枕元にあった時計を指差して云った。

そんな事言っているんじゃないのは百も承知のうえで。

前日まで東京でコンサートをしてその足でニューヨークまで飛び 即刻父の仕事の関係で招かれたパーティへの出席、勿論演奏付きで。

断りたかったのにこの目の前でいまかいまかと待ちくたびれた様に

期待のオーラを身に纏った男が僕を無理やり呼びつけたのだ。

ニューヨークなら自分の家に泊まればいいなんてかこつけて。

「義一君が僕を泊めてくれた理由は承知の上だけど、もう少し 僕に配慮があってもいいと思うけどな。」

「なんだよ、お前だっていつだったかオレとタクミとの素晴らしい時間をだな、 朝から台無しにした事あっただろ!」

始まった。

義一君の頭の中にはタクミ君しかいないんだから、本当に驚くよ。

「高校時代の事じゃないか、義一くんって結構根に持つタイプだよね。」

「だってだな、自分から甘い雰囲気を作り出すタクミなんて滅多に お目にかかれなかったんだぞ。それをだな・・・」

「はいはい、あの時は悪かったよ。でもあの時の僕と今、薄情にもかなりお疲れの僕の睡眠時間を割いている義一君とじゃ

比べようもないと思うけど?」

「そうだな、お前の方が断然悪質だ。」

・・・ちがうだろ、と突っ込みたかったけど、タクミ君の事となると 世界を股に駆けて飛び回り

父親以上に会社を大きくしているこの男がまるで我侭一杯のお子様に見えてしまう。

僕は色々な義一君を知っているけれど一番人間らしい義一君になるこの笑顔がなんだかんだと言って、

とても好きではあるんだけどね。

それにしたって散々疲れて行き倒れの様になっている僕に、こともあろうか今夜は一緒に寝ようぜって、

なんだよその台詞、もしタクミ君に聞かれでもしたら大変な事になる。

一緒に眠るわけじゃない事くらい一目瞭然。

そう、あのまま頷きでもしていたら僕は朝まで寝かせてはもらえなかったよね、きっと。

勿論タクミ君の話を根掘り葉掘り問い詰められる結果は見えている訳だから。

強烈なまでの睡魔に襲われながらもギラギラした目で微笑む義一君を追い出した自分自身を

生まれて初めて誉めてあげたいと思ったくらいさ。

「でも、僕なんかに聞かなくてもタクミ君の事なら色々と情報網あるんでしょう?」

「それなりに足取りは把握しているさ、あいつ何処へ行くにもヴァイオリン 離さないからな。」

「タクミくんは発信器付いている事未だに気付いていないんでしょ?」

「・・・多分。」

「まあ、世界的資産価値のあるストラディバリウスなんだから発信器くらいつけておくのは当たり前だけど

本人了承ないって言うのもどうかと僕は思うけどな。

第一ケースを開けるのだってタクミ君の指紋認証でしか開かない訳でしょ?

他の人に開けてもらうことにでもなったら大騒ぎだよ。」

「それはないな、あいつがあのヴァイオリンを他の奴に障らせるなんて有り得ない、

佐智、お前だってそうじゃないか。お前のアマティオレにだって触らせやしないだろ?

第一そんな事あいつに言ったりしたらそれこそビビるだろ。」

「・・・確かに・・・」

目を丸くしておどおどし始めるタクミ君を想い描くとクスッと僕の鼻がなった。

ジロリと注がれた義一君の視線にごめんとちょっと肩を竦める。

まあ、自覚のないのがタクミ君だから、義一君の選択肢は間違えてはいない。

さすがに恋人だね。
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