takumi kun S.

□リプライズ
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―え?・・・

 時計を見れば既に1時を回っていた。こんな夜中に廊下を歩く足音がする。

―ちょ・・ちょ・・・待ってくれ、ええっと今日チコはお休みで居なかったはず。
 長期休暇で利用している宿泊客の誰かかも知れないな・・・
 いや、さっき見回りしたばかりだし・・
 って、事は・・お・・落ち着け・・・オレ・・・

 ドアに耳を当て様子を伺う。
 
 足音は静かに近づいてくる。

 少しずつ 少しずつ・・・

 ギイ・・・と、隣の部屋のドアが静かに開く音。

 僅かに間をおいて隣の部屋のドアがパタリと閉まった。

 真行寺は思わず自分の部屋のドアから数歩下がった。

 そして・・・ゆっくりと廻るドアノブ。

 ごくりと真行寺の喉が鳴った。

 ギギギギ・・・ドアが開く・・

「!!!!た! 助けて!アラタさん!!!」


「あれ?なんだ、起きてたんじゃないか、ってか、なんだよ!アラタさん!って」

 へなへなと座り込んだ真行寺を相楽が凝視した。

「さ・・・相楽先輩・・・もう、勘弁してくださいよ、どこから入って来たんすか!」

「え?オレ普通に裏口の鍵あけて入ってきたぞ。それに、ほら・・インターフォンだって。」

 相楽が指差した先には裏口のインターフォンから受信した事を示すランプが

 チカチカと光を点滅させていた。

「まじっすか?」

「君がイヤホンで何か聞いていたから気づかなかっただけだろ?」

 机の上に取り外したイヤホンが無造作に放置されている様子を見ながら相楽が言った。

「あ・・そうでした、すんません、さっきまで音楽聞いてて外した瞬間に

 足音だけ聞えちゃったもんだからお化けかと思ったっす。」

「お化け・・って、普通そこは、泥棒だろ? なんだ、真行寺はお化け苦手か?」

「当たり前じゃないっすか!お化けが得意なんて人いるんすか?」

 真行寺は両手を胸の前でぶらぶらさせて言った。

「そりゃ、いるだろ?どんな世界にもゲテモノ好きはいるもんだ、ところで今日チコ休み?

 チコの部屋、静まり返ってたからこっちかと思ったんだけど。」
 
 真行寺のぶらぶらさせた手をトンと叩いてから、相楽は部屋の奧を覗いた。

「はい、チコは親戚の集まりがあるとかで今日と明日は休暇っす。」

―因みにチコとはこのホテルの常駐医師、チコ・ディアス・ナバーロの事である。
 「チコ」と親しみを込めて呼び捨てにしているが彼は20歳も年上なのだ。
 チコ・ディアス・ナバーロなんてミドルネームが入っているけれど真ん中のディアスと
 最後のナバーロは両親の名字なんだって。ミドルネームの在り方ってそれぞれらしいけど
 オレなら・・カネミツ・ミス・シンギョウジ・・なんちゃって! 

「どうした?なにか嬉しい事でもあったか?」

「いえ、なんでもないっす!」

 つい余計な妄想をしてにやついてしまった真行寺。

「そっか、チコいなくても真行寺一人で大丈夫?」

「まあ、今週の宿泊者って介護の必要な人いないっすから。」

「それでチコも休みとったんだ、ならいいか・・」

「ってか、相楽先輩こんな夜中に何しにきたんすか?あれ?日本で仕事だって云ってましたよね。」

「終わったんだよ。こっちについてからちょっと人に逢っていてこんな時間になっちゃったんだ。

 アパートに帰る前に確認したい事あったから、ついでにちょっと寄ってみたんだよ。

 けど、こんな時間に侵入する事はないよな、申し訳ない。」

「そうっすか、お疲れ様っす!珈琲でも入れますか?」

 真行寺は相楽の荷物を何気なく受け取りドア横のテーブルに乗せた。

「いや、いいよ自分でやるから、ちょっと美味しいマメ仕入れたんだ、

 それより来月からの健診予定をちょっと教えてくれないか?」
 
 相楽はバックの中から小袋を取り出し、中から出した豆をミルに移し挽き始めた。

 些か、ひっかかりながら。

「あ、いい匂いいっすね、オレやりますよ、」

 見かねた真行寺が相楽に代わり上手に豆を挽く。「すまん、」申し訳なさそうに言った相楽を気にも留めず、

「これ、ちょっと癖あるんで、」と真行寺は言った。相楽はそんな真行寺の心遣いを嬉しく感じた。

「お前って本当に気が利くし優しいなあ、」

「なんすか?それ。別に普通ですって。むしろ、相楽先輩の方が優しいっすよ、

 こんな事に喜んでくれちゃって、これがアラタさんなら、お前がやるのは当たり前だとか、

 気は遣うんじゃなくて利かせるもんだとかいいますって!」

「・・そんなに虐げられているのか?」

「ああ・・・虐げられてる、って言い方は違いますって、最初っからこんな感じなんで

 別になんでもないっす。でもたまには褒めてくれてもいいのになあ・・とか思ったりしちゃいますけどね、

 でも、そんな事口にでも出そうもんならどんな報復をされるかわかんないっすから。」

 驚く相楽を他所に真行寺は挽いた豆を珈琲メーカ―にセットしSWを押した。

「来月の健診利用予約っすね、ええっと・・・この辺に・・・」

 真行寺は机の上に乱雑に置かれている介護の本を数冊どかしながら予定表をとりだした。

 このホテルは長期宿泊者に対して毎朝の血圧測定や、週に一度簡単な健康診断が出来る

 サービスを実施している。宿泊者の希望により健診の予約が可能なのだ。

 2年前、相楽がこのホテルのリニューアルの仕事を任された時、

 オーナーからの依頼でそういった申し出がありかなり難航しながらも

 ギイや三洲の援護をもらい軌道に乗せたのだ。

 その時の立ち上げメンバーとして本人としてはかなり、不本意ながら真行寺が三洲から送り込まれた。

 真行寺は介護士の資格も取得していたため当初の予定以上の仕事を熟し、

 施設関係者からも高評価を受け、また、あの屈託ない性格が運を招き、

 日系ホテルとして煙たがられていたホテルを一転させた。

 町中からは少し離れているにも関わらずリピーターが増え利用者が倍増し現在に至っている。

 本来なら通いで来てもらえる現地スタッフの交渉をしていたがニーズが多く、

 隣町から通うのも面倒だとチコはこのホテルの常駐医療スタッフとなってくれた。

 相楽はホテル経営をしている親の指示でここスペインのホテルのリニューアルに携わり

 スペインを起点としてヨーロッパと日本を行き来する建築家になっていた。

 ヨーロッパの建築物は美観の拘りが非常に強く繊細だ。

 それを日本にそのまま持ち込めるかと言うとそうはいかない。

 第一に日本は地震が多くヨーロッパの建築技術では耐震性の問題から

 日本でそのまま応用は出来ないという現状がある。

 しかし相楽の中ではこのヨーロッパでの経験を活かし

 日本でいつか納得のいく建築を遂行したいといった野望があった。

「それにしてもお前ってあまり荷物増やさないんだな。もう2年になるか。」
 
 相楽は部屋の隅々を見渡しながら言った。

「あった!ありましたよ予約リスト・・じゃなくて・・これ、宿泊リストだった、あれ?この辺に・・・」

 一旦手を停めた真行寺は再び机のあたりを探し始めた。

「早く日本に帰りたいから増やさないのか?」

「まあ、それもあるけれど、そうっすね・・・もともとオレ荷物ってあんまし揃えないタイプなんすよ。」

「へえ・・・やっぱ帰りたいんだ。」

「当たり前じゃないっすか!」

 真行寺はやっと見つけ出した健診利用予約リストを相楽の前に出しながらきっぱりと言った。

―あの後、突然アラタさんが訪ねてくれたけど その1回きりで自分は日本にも帰ってない。
 だから、あの時アラタさんが置いて行ってくれたアラタさんの部屋の鍵は1回も使えず
 大切に待ったままなんだから・・・

「お前って速攻スペイン語覚えたし現地人ともすぐ馴染んじゃったし

 毎日楽しそうにやっているから、てっきり居座るつもりなんだと思ってたよ。」
 
 相楽はからかう様に言ったがまんざら嘘でもなかった。

 現地スタッフは勿論の事、ホテルのオーナーからも気に入られている真行寺をなかなか手放せずにいる。

 一度、三洲に紹介してもらった若林教授から真行寺と交代する人材の打診があったのだが

 ホテル側からは良い返事が貰えなかった。

 それでも試しにと来てもらったが当の本人が1週間目にはホームシックになり帰国してしまったのだ。

 最近の奴らは軟弱過ぎると怒った相楽とは逆に仕方ないですって、と

 寂しく笑った真行寺の辛さが相楽には痛いほどわかった。

 交代が来ると知った時の真行寺の喜びようたりはなかったのだから。

 その後も若林教授からは交代要員の連絡はきたが一度こんな事があると

 ホテル側は頑なに認めようとはしなくなった。

 ホテルのオーナーがとにかく真行寺が大好きだから日本に返したくはないといった

 範疇なのだと言う事は相楽にも充分に伝わってくるのだ。
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