takumi kun S.

□五線譜の中のシンメトリー
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きっと この思いは永遠に胸の中に秘めるものなのだと思っていた。

叶う事のない思い。

誰にも知られず自分の中で密やかに想い描く事だけが許される恋。

ドキドキしてふあふあして毎日が楽しくて恋はそういったものだと勝手に決め付けていた。

だから知らなかった。

恋が辛いものなのだという事を、どんなに願っても許されない恋があると言う事を初めて知った。

苦しいだけの恋ならせめても、あの人の姿も見えず声も聞こえない所に行ってしまいたい。

切なくて、悲しくて、あの人を忘れる事が出来るのならこの場所から自分の存在すら、消してしまいたいと、そう思っていたあの頃。

5月の空は蒼く高く限りなく澄んでいてオレの邪まな心など簡単に解けてしまいそうなほど眩しすぎた。

新緑の5月、オレは一つ年上の優しい綺麗なあの人に恋をしていた。



 その人の指先がしなやかに動くたびオレの心臓は波打つ。

指先に添えられた青いペン、かなり太いペン先は男性的なイメージのペンなのに

その人の指先にあるだけでとても繊細で凛とした風情すら感じる事が出来る。

それが楽譜を書く為の写譜ペンだと知ったのは、ずっと後の事だった。

コツコツと鼻歌交じりでその人の声と共に微かに聞こえるペン先の音。

ふいに目があった瞬間「煩かった?」とオレに前置きしてから、聞いてもいないのに吹奏楽部であるその人は

新譜で足りないパートの楽譜があるので移調して楽譜を起しているのだと言った。

イチョウ? 音楽に疎いオレには言葉の意味すらわからなかったけど 

その人はゆっくりと穏やかにオレが解らない音楽の話をした後「邪魔してしまったかな?ごめんね。」と、

オレが何の気なしに開いていたバイクの雑誌に視線を落としながら言った。

「いえ、」オレはぶっきら棒に一言だけ返事をしたきり。

最初から雑誌なんか読んでやしない。

その人のかすかな声だけに耳は集中したまま、視線は横目でその人の軽やかに動く指先だけを追っていたのだから。



もともと身体も大きく周りからは怖がられている事は解っていた。

小さい頃から人との会話が酷く苦手で旨く自分の気持ちを伝える事が出来なかった。

小説家である父親譲りで文を書くのならどんな言葉でもスラスラと流れる様に溢れだすのに、

何故か会話にしようとすると口から飛び出す言葉は相手を傷つけてしまうほどの短い単語と返事だけ。

自分で自分が嫌になる。

だからあの人にも何度も辛い思いをさせていたに違いない。

自分の邪まな心であの人を汚さぬ様に自分を制御しようとすればするほどあの人への態度は粗悪になり

気付けばあの人の悲しげな瞳だけがオレの視線に残る。

一番傷つけたくない人を誰よりもオレが傷つけていた。

それでもあの人は必死に笑顔でオレに接してくれた。

それはあの人が学年違いのオレなんかと同室にさせられてしまっていたから。

あの人は優しいからこんな無愛想なオレに心から接してくれようとしていた。

でも、その事は却って邪まな気持ちを抱くオレにとっては辛すぎる優しさだった。



「野沢先輩は第一志望だった東京の音大、無事合格か。」

「ああ、」

「そこって確か乙骨雅彦さんの在籍している音大だよな・・」

「乙骨雅彦?」

「ああ、ごめん、駒澤は知らなかったんだよな、2年の乙骨寄彦っているじゃん、あいつの従兄弟」

「真行寺、なんで、そんな事お前が知ってんだ?」

「なんかさ、去年色々あって葉山さんやギイ先輩や赤池先輩達とボランティアの音楽会なんかやらされてさ、

ああ、勿論アラタさんも一緒だぜ。」

親指を突き出しながら三洲の名前を口にした真行寺の幸せそうな顔を見ると表情の薄い駒澤でもふと、笑顔になる。ところで・・・

「音楽会?」

「うん、アラタさんのおばあちゃんのいるホームに呼ばれて朗読劇みたいな音楽会をボランティアでやったんだ。」

「おまえら、そんな活動までしてんのかよ、でも去年の夏って言えば3年生なんて受験勉強で過酷な時期だろ?」

「まあ、いきさつは色々あってさ、本当にたまたまの成り行きだったんだ、

でもオレとしては予想外にアラタさんと一緒に居る事が出来て滅茶苦茶嬉しいハプニング!」

「だろうな・・」

駒澤にとってメンバーといい、音楽会といいボランティアといい、全くもって予想外で訳のわからない話だったが、

真行寺が三洲と夏休み会う事が出来たという嬉しいハプニングと称した時間を過ごした事だけは間違いなさそうだ。

「その時にさ、乙骨雅彦さんと言う人に会って、その人の奏でるフルートを聴かせてもらったんだけどそれが、また凄いんだよ、

こう胸にぐっとくるっていうか、胸の奥にある何かをひっぱり出されるっていうか、

見た目は凄く幼い感じの人なんだけど演奏が妖艶なんだよな、

葉山さんのバイオリンみたいな強さを感じるのとはまるで違うんだ。」

自分で自分の胸倉をぐっとひっぱり 大げさな手振りで楽しそうに説明する真行寺は

駒澤にとって本当に気持ちを明るくしてくれる相手だった。

「へえ・・・葉山先輩って、あのひょろひょろっとしたもやしみたいな先輩の事だよな。力強さには結びつかなさそうだけど。」

「失礼だぞ、駒澤、ああみえて葉山さんは凄い人なんだから!それにオレの唯一の理解者でもある!」

「理解者?」

「そっ、この世界でたった一人、唯一無二の存在。オレの事をちゃんと解ってくれてオレの愚痴をまともに聞いてくれる!

心が広くて思い切り優しい人!」

「なら、なんでそんな優しい人を好きにならなかったんだ?」

葉山託生と言う人間を思い切り賛美する真行寺に駒澤は当たり前の疑問を投げかけた。

まっ、真行寺の三洲フリークは入学以来三洲が卒業しても、いまだに続いているので聞くまでもないのだが。

「そうだよな、そこなんだよ!本当にさ、オレ葉山さんを好きになっていればこんなに苦しまなくてすんだのに、

あ〜あ、なんでアラタさんを好きになっちゃたんだろう・・・」

そう言いながら片付け途中の胴着を抱えゴロンと仰向けに寝そべった真行寺。

そんな真行寺を横目で見て、些か呆れながらも辛い恋を全うする奴もいるんだな、と駒澤は思った。

よしんば、葉山託生に恋したところで崎義一が居る限り真行寺の状況は今とさほど変わりはないと思えるのだが。
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