takumi kun S.

□月夜の舟 
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 寒い!バスから降り立った僕は首に巻いたマフラーをもう一度巻き直し首筋から入る冷たい風の進入を止めた。

 静岡の自宅を出た時はあまり感じなかった寒さも此処へ来ると肌にきりりと突き刺さる。

 もうすぐ春だというのに此処はまだ冬の名残を落としたままだ。

 バスを降りてぞろぞろと連なる学生達の群れ。

 暫く会わなかった面々が互いに声をかけあう。

 3学期の殆ど、3年生は受験の為に寮を離れ実家へと帰ってしまう。

 受験を終え戻って来る者もいるけど、そのまま退寮してしまう者もいるのだ。

 僕は、と言えばかなりギリギリまで寮に居座った口だ。色々理由はあったんだけど。

 ふと、見上げた空は高く流れる雲は少しだけ足早だ。

 歩き慣れたはずの路、見慣れたはずの景色。

 それなのにどこかが違う気がした。


 3月、僕達は祠堂学院高等学校を卒業した。

 桜の蕾がわずかばかり芽吹こうとする中で様々な想いを胸に。

 たった3年間だったけれど僕にとってここ祠堂での学院生活は僕の人生を大きく変えてくれた3年間だった。

 全国から集まっていた多くの仲間達がそれぞれの路を歩み始め散り散りになっていった。


「託生」

 そう呼ばれたような気がして僕は振り返る。

 けれどそこには誰の姿もない。

 音もなく吹く冷たい風がその声の主の姿を隠してしまったようだ。

 ふありとした栗色の髪をタイトにまとめ颯爽と歩く長身。近寄りがたいほどの美貌。

 けれど銀色のアルミフレームの奥に覗く色素の薄い茶色の瞳は僕だけを見つめていた。 


「どうした?葉山、先行くぞ。」

「待ってよ、赤池君。」

 僕の前を数歩先で止まって振り返ってくれた赤池君は僕を見ながら小首を傾げ、

 確認でもするかの様な仕草で僕の後ろに視線を流した。

「何か・・・あったか?」

「ううん、何もないよ。」 

 ふ〜んと小さく呟きながら赤池君は歩き出した。 

 またね・・・ 僕は誰もいない空間に小さく返事をしていた。


 驚いた。

 卒業式から数日後、僕の自宅に島岡さんから電話があったのだ。

 島岡さんは世界的大財閥であるギイこと崎義一の会社の社長秘書である。

 そんな人から直接の電話だなんて、僕は酷く動揺してしまった。

「託生さん? 島岡です。」

「こんにちは、どうしたんですか?ギイに何かあったのですか?」

 島岡さんから直々に電話が入る事など在り得なかったので

 僕は何か良からぬ事でもあったのかと本当に焦っていたのだ。

「いえ、ご安心下さい。義一さんは変わりなく忙しい毎日に追われておいでです、

 大変恐縮なのですが今から駅までいらっしゃる事は可能ですか?」

「えっ? 駅って、島岡さんアメリカじゃないんですか?」

「違いますよ、今、託生さんのご自宅近くの駅です。

 私が出向いて託生さんにご迷惑が掛かっては申し訳ないので、出来れば駅までご足労頂きたいのですが。」

「それは構いませんよ、すぐ行きます!」

 僕は夕食の買い物に出ている母に手紙を残し駅へと向かった。

 指定のあった改札脇の本屋の前に島岡さんは立っていた。

 ギイに負けじ劣らずの美形。そこに大人としての落着きを兼ね備えている島岡さんはやはり人目を引く。

 僕なんかが声をかけてしまうにはあまりにも遠い存在の様に感じてしまって

 直ぐに解ったのに僕はかける言葉を飲み込んでしまっていた。

 すると人ごみの中の僕を見つけた島岡さんがにっこりと笑ってそっと頭を下げた。

「どうしたんですか? 島岡さん、こんな所まで仕事って訳じゃないですよね。」

「ええ、違いますよ。個人的な寄り道なので見つかったら大変です。」

 島岡さんは優しい口調で僕の気持ちを和ませていた。

「立ち話では申し訳ないのであちらに入りましょう。」

 島岡さんは不安げな僕の気持ちを察したのか駅前にあるオープンしたばかりのカフェに僕を促した。

 店内は静かな音楽がかかり窓際は人も多いのだが奥へと進むと隣との間仕切りがあるテーブルが四宅ほどあった。

 その空いている場所を見つけると島岡さんは僕の背にそっと手を添えた。

 そして後から追うように水を運んできたウエトレスにコーヒーを二つ頼んだ。

「あの時は本当にありがとうございました。島岡さんにはいくら感謝してもしきれないです。」

 まず先にお礼を言っておかなくては、と僕はさっき電話を切ってからその事ばかり考えて走っていたのだ。

 すると島岡さんはにっこりと微笑んでから僕に座る様にと掌を差し出した。

「私は感謝されるような事は何もしていませんよ、託生さん、むしろ恨まれてもいいような事しか口にしていませんから。」

「そんな、恨むだなんて・・むしろ、とても嫌な役目を荷って頂いてしまって、後からとても後悔していたんです僕。

 本当に御免なさい。僕はいつも自分では何も決められないような所があって、

 島岡さんならご存知かと思いますが・・・なんでもギイにおんぶに抱っこの生活だったんです。

 だから今度こそしっかりとギイから卒業しなきゃいけないって思ったんです。」

「託生さん、それは義一さんとはもう二度と会わないと言う意味でおっしゃっているのですか?」

 不審そうな面持ちで島岡さんが僕に尋ねた。

 躊躇する僕。

 答えられない。

 けれど島岡さんの前で見栄など張っても仕方ない。

 だから僕は正直にありのままを口にした。

「それは、正直言って僕自身わからないんです、今は。

 多分、会わないのではなく会えないかも、って感じですけど。」

「会えない?」

「僕がこの先、どんな事があろうともギイにふさわしい人間に成れるって事はないと思うんですけど、

 でもそういった事とギイと会えないって事とは違うと思うんです。」

「託生さん、あの時私は託生さんは義一さんにふさわしくないと申し上げましたが

 身分相応と言う意味で言った訳ではありません。

 そう解釈なさってしまったのなら訂正致します。申し訳ございませんでした。」

「違います、そうじゃない・・・ああ、でもやっぱりそう言うことなのかも知れないですけど・・・

 島岡さんが僕に謝るなんて必要何もありませんよ。

 身分相応と言う事実はどうにもなりませんから。

 でも、僕が今ギイに会えないと思っているのは僕一人の人間としてギイに近づけてないって意味なんです。」

「義一さんの気持ちは多分この先も変わる事はないですよ、それでもですか?」

「ん・・・ギイの気持ちじゃなくて・・・僕の気持ちです。

 僕だってギイへの気持ちは未来永劫変わる事はないです。

 だけどその事を誰にどう認めさせようとかそんな気持ち僕にはないんです。

 だからギイがこんな僕の為なんかに自分を窮地に追い込むような事をして欲しくはなかった。

 ギイが居ない生活なんて考えられないと思ったけど、

 それはきっと僕がギイに依存し過ぎていたからなんです。

 周りは皆な優しすぎて僕はそんなぬるま湯の中で溺れていただけでした。

 だからこんな僕が今、ギイについて行った所で何も旨くなどいくはずもない、解っているのに・・・

 どこか甘えてばかりで決心出来なかったんです、

 だから恥ずかしい話なんですけれどきちんと僕の決心が固まる様に島岡さんに依存してしまったのです。

 あっ・・これじゃ同じかな・・?」

「託生さん、私は義一さんを幼い頃からずっと見護ってきたのです、

 義一さんは昔から頭もよく、飛び級で進学していて本当はもう既に大学の課程も終えているのです。」

「えっ?・・・じゃ・・最初からギイは・・・・」

「いえ、勘違いしないでくださいね、義一さんはご自分の興味のある事や将来的に必要と判断なさると

 物凄い勢いで勉強をなさる様な所があり大学の過程は終了していても

 日本での高校を卒業なさってから、違う大学への希望もホンキで考えておいでだったのです。

 お父さまである社長としては一日も早く会社の方へ力を注いで欲しいと思うお考えもあり

 義一さんとのお話し合いは二人でじっくり何度も話されていたようでしたよ。

 勿論、託生さん貴方の事も含めて、義一さんはきちんと筋を通しておられた。」

「そ・・・そうなんだ・・・僕にはもったいなさすぎで荷が重いかも。」

 島岡さんの話に重圧を感じた僕を察したのか島岡さんは一旦間をおいた。

 
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