恋は多忙なコンセプト

□オレンジ・ベール
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「おい、これコピー取って8部用意してくれ。」

「今、手が放せないんだけど直ぐ?」

「悪いけど直ぐだ。」

 そう言って櫻井君が私の机の上に手書きの書類を置いていった。

 先月、突然降って湧いたような大きなプロジェクトが動き出した。

 都心に、程近い場所なのだが地下鉄が開通し、その路線である地区を商業地区として開発するというビックジョブだった。

 この地区を一手に買い占めていた大手企業がその商業地区部門の考案のプレゼンを要求してきたのだ。

 でもそれは我社だけではなく、もう一社にも声が掛かっておりプレゼンの内容で決めるとの事らしい。

 それで企画室はてんてこ舞いの大騒ぎとなっていたのだ。

 三木課長の指示の元、企画室のトップである櫻井君はこの企画案を三日で打ち立ててきた。

 企画室には経験を持った先輩方がそれなりにいらっしゃるけど、やはり櫻井君の持ってきた案は群を抜いていた。

 私が言うのも説得力ないけど、諸先輩方の確かな安定性のある案よりも櫻井君の案は斬新でちょっと驚くようなアイデアが詰まっていたのだ。

 どこにでもある様な立案ならきっと企業側も求めたりしない。

 プレゼンで競わせるほどにより新しい内容を探しているのだと感じた。

 企画室だけではなく全社員の応募を求めた社長だったけど結局最終選考まで残ったのは企画室の二名の案と営業部の一名だった。

 結果井上部長の一声で櫻井君の案で動く事になったのだ。

 それからは櫻井君と三木課長は残業続き。

 家にもあまり帰っていない様子だった。

 本当にこのプロジェクトに賭けているのだと感じた。

 いい様に雑務を押し付けられるのは 腹ただしいとおもうけど、それも致し方ないのかな・・・なんて。

―だけどさ・・・私は櫻井君の秘書か!ってえの、 

 それにしてもこの手書き、櫻井君の走り書きじゃきっと皆な、読めないよな。

 私は櫻井君の書類に目を通してちょっと呆れた。  

 入社以来ずっと一緒で配属も同じだったから私は櫻井君の字の汚さには慣れてるんだけど、これをほかの人が読んだら絶対読めない・・・

 櫻井君の書類を見て思わず笑ってしまった。

 何でも出来そうだけど字だけは汚いんだよな・・・

「コピーしましょうか?」

 突然背後から声がして私が持っていた書類が頭上にスライドしていった。

「神谷君。」

「雑務ばっかり押し付けられてますね、先輩。」

 私の頭上で書類に目を通しながら神谷君はクスッと笑った。

「ありがとう、でもこれサクッとタイプリングしちゃうよ。」

「・・・そうですね、これじゃ読めませんね。」

 神谷君はちょっと呆れた様に書類を机に置いた。

 私は直ぐにノートパソコンを開き雛形を出した。

 その間、神谷君は隣の空いている席で書類のチェックに取り掛かっていた。

「大丈夫だから、チームに戻って、30分で仕上げてもっていくよ。」

「いや二人なら20分でいけますよ。」

 そう言って神谷君はにっこりと微笑んだ。

 神谷君は私の二つ後輩になるんだけど、企画室に入ったときから櫻井君の下につき仕事のノウハウを教えてもらっていた。

 今回の企画も最終まで残ったのは企画室では櫻井君と神谷君の二人だったのだ。

 勿論、櫻井君共々今回のプロジェクトのチームとして動いている。

 私は急いで神谷君がチェックしてくれたページを入力していった。

 そして入力したものをまず一部ずつ打ち出した。

「あれ?一揆に8枚打ち出さないんですか?」

「ん、入力ミスを確認してからにする。」 

「なるほどね・・・さすが先輩。」

―神谷君がなにを納得したのかわらかないけど、彼はとても綺麗な笑みを浮かべていたの。

 そしてチェックが終わったと同時にあと7部打ち出しホチキス留めにして神谷君に渡した。

「お待たせしました、宜しくお願い致します。」

「いいえ、こちらこそお手間をとらせました。」

 ちょっと他人行儀な言い回しをしたあと二人でクスクスッと笑ってしまった。

「森川先輩って櫻井さんの事本当によく解っているんですね。」

「?・・・・」

「最初のチェックで僕が見落とした所、打ち出した後を見たらちゃんと訂正してありました。」

「そうだっけ?」

「はい、ほら、ここ。」

神谷君が指摘した部分を覗くと心当たりがあった。

「あ・・・ここね。」

「僕には解らなかったけど タイプアウトを読み直した時にちょっとあれ?って思ったんですよ。」

「これ、櫻井君の癖なんだ、人が読んだら絶対読み間違いする文字なんだけどそれ自体でも違和感ないからスルーしちゃうの、

でも櫻井君が言いたい事の意味とは少しだけニュアンスが違ってしまうのよ、何度言っても直そうとしないんだけどね。」

「それだけ櫻井さんをよく理解しているってことですよね。」

「入社以来ずっと一緒だからでしょ、理解するとかと言うのとはちょっと違う気がするけど。」

「そうですか? でもなんだかちょっと嫉妬しますね。 それに・・櫻井さんも森川先輩に甘えてる・・・かな・・?」

「えっ?」

「いや、じゃ、これ持って行きますね、ありがとうございました。」

 神谷君は書類を抱えて部屋を出て行った。

―なんか・・・ちょっと変・・・嫉妬・・・? そう聞こえちゃったけど、なんで嫉妬? それに・・甘えてる? って・・

 聞き違いかな・・・?

 私は今の入力データーを「ファイル櫻井」に落として櫻井君にメールを添付し、送信した。

 5時を過ぎてもメンバーはプロジェクトの特別室から誰も戻らず私は課長に確認のメールをした。

 直ぐに課長からは返信メールが届いた。

―お疲れ様、今日はもういいから 帰りなさい。 だって、なんかすっかり忘れられていた気がする・・・けど、まっいいか・・・

「やった〜 久しぶりに早く帰れるぞ〜」

 小躍りする私を見て 外回りから帰ってきた鳥海先輩が自分の席に戻ろうとするついでの様に私の頭をコツンとつついた。

「うるさいよ!お前、とっとと帰れ!」

「言われなくても帰りますよ〜」

 憎まれ口をたたきながら私は書類を片付け机の上を整理した。

―ん?

 携帯にメール着信。

―まだ、いるか? 悪い、足りない資料が出た

「嘘・・・」

 櫻井君からのメールだった。

 携帯を閉じたと同時に営業部の背後からこちらに向かって走ってくる神谷君の姿が見えた。

「す・・・すみません、森川先輩、僕一緒にやりますんで・・・残業お願い出来ますか?」

 神谷君は大急ぎで走ってきたようで大きく肩を揺らせていた。

「・・・了解。」

 私がそう言うと神谷君は安心した様にふう〜っと息をついた。

―こんな、心配そうな顔で言われたら断れる訳ないじゃんか。

 走るたびにちょっと長めで癖のない神谷君の髪が揺れる。

 端整な顔立ちは女の子達にも人気だ。

 神谷君の同期の子達が神谷君を争っていると噂で聞いた事がある。

 企画室には私の他にお局様が一人後輩が二人いるけどこの後輩二人の態度をみれば神谷君狙いは確かだな。

 線は細くてちょっと頼りなさそうにも見えるんだけど仕事のミスを聞いた事がない。

 たまに行方をくらますのは屋上で一人の時間を過ごしているみたい。

 これは秘密なんだけど一度だけ昼休みに屋上へ出たとき神谷君が人の来ないような場所でこっそり昼寝をしている姿を見た事があった。

 寝顔がとても綺麗でちょっと心奪われてしまったほど。

 ここは彼の場所なんだな・・・

 ちょと前までは私の大切な息抜きの場所だったんだけど、仕方ないか。

 ここはひとつ先輩として譲ってあげよう・・なんてお姉さんぶってみた。

 誰も聞いてないけどね。

 私はその日以来あの場所へ足を運ぶ事をやめた。

 あんなにぐっすり眠れるならきっとあの場所は彼にとって安心出来る場所なんだって思ったから。

 彼が心安らげる場所ならなんとなく、邪魔をしたくないと思った。

「僕がちょっと余計な追加案を言い出したものだから急遽データーが必要になってしまって・・・」

 神谷君が持ってきた内容を確認すると種別ごとの売り上げ実績を持ち出しどの地区にどの職種の店舗を持ってきたらよいのかをアピールさせたいとの内容のようだった。

 本来ならお局様の方がこの手のデーターは得意なんだけどお局様もメンバーに選抜されていて白羽の矢が私に矛先を変えたようだった。

「このデーターを明日の第一回目の概要プレゼンに織り込みます、お願い出来ますか?」

 私はちょっと時計に目をやりながら頭の中で持ち出せるデーターの確認と発表資料に繋げられる要素をチョイスしていた。

「3時間もらえる?」

「了解です。」

「いや、2時間だ、神谷君と二人だもんね。」

 私の言葉に神谷君は一瞬驚いた様な顔をしたけど直ぐに、はいっと本当に綺麗な笑顔で答えてくれた。

 私は急いでお局様に連絡を取り、引っ張り出せるデーターの相談をした。

 お局様は的確に指示をくれた。

 さすが経歴は侮れない、お局様の存在は時には小姑だけど仕事に於いて私は尊敬している。

 他人にも厳しいけど自分にも厳しい人で恐ろしいまでの貫禄を見せ付けてくれるこの女性に私はどこかで憧れているのだ。

「やはり、戸田先輩にはお伺いをたてるんですか?」

 お局様と打ち合わせをし、内線を切った私に神谷君はそう言った。

「そう言う事じゃないかも・・・こういった大きなプレゼンに失敗は許されないでしょ。

私情は必要ないし、ましてや早急に必要な仕事だもん、あれやこれや悩む前にベテランに聞いてしまった方が手っ取り早いでしょ?」

「へ〜 森川先輩って拘りがないんですね。」

「あれ? それって誉め言葉じゃないよね。」

「いえいえ、めちゃくちゃ誉めてますよ。」

 笑いながらも神谷君は取引先名簿を開き取り扱い商品のチェックを始めていた。

 なんとなく気を抜いた緩い会話をしながらも仕事は正確にこなしていく。

 こんな緊迫している状態なのに神谷君の持つこの穏やかさはどこか心地がいい。

 私はデーターベースから神谷君がチョイスした取引先の職種別売上げ実績を抜き出しグラフ化した。

 そのデーターを作り上げ内容の再確認をしてから「ファイル櫻井」へ送信。

 ふう・・ため息が漏れる。

 完了。

 送信したパソコンから顔をあげると そこには神谷君の笑顔があった。

「ご苦労様でした。じゃ、ちょっとあっち覗いてきます。」

 神谷君は風の様にふありとフロアーを出て行った。
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