幽遊白書

□遥かなる森
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 喉が渇く。

 狂おしいくらいに・・・

 求めている。

 何を?


 解っている。

 そうだ解っている。

 そんな事は最初から解っていたはずだ。


 だけど・・・

 欲しい。

 胸の奥底から沸々と沸き起こる欲望を必死に抑える。

 簡単な事のはず。

 求めるまま得ればいい。

 なのに・・・

 躊躇っている。

 何故?・・・

 壊れていく。

 身体の震えが止まらない。

 寒気が襲う。

 冷たい汗が全身を這う。

―そろそろ限界がきたのか・・・

 蔵馬は自分に問いかける。

―あと少しだけ頑張れる・・・

 自分に答える。

 暗闇の中に孤独の身体を横たえる。

 音もない深い闇が蔵馬を包み込む。

 闇にむかって手を延べた。

―飛影・・・

 薄れ行く記憶の中で哀しげな二つの眼を見たような気がした。



 まぶしい・・・

 蔵馬は目をあけた。

 日の光がカーテンの隙間から差し込んでいた。

―生きてる・・・

 あたりまえか・・・

 蔵馬は自分を嘲るようにふと笑った。

 身体の震えは治まっていた。

 しかし全身が酷く重い。

 相変わらずふらふらと目眩が襲う。

 ふっと深い呼吸をひとつしてみた。

 喉の奥に痛みが走る。

 やっぱり渇いたままの喉はひりひりと絶叫する。

 重い身体を引きずりながらコップに水を汲んで一揆に喉に流し込んでみる。

―解ってるさ、欲しいのは水じゃない・・・

 そう呟いてもういっぱい、コップに汲んだ水を喉の奥へと流し込む。

 立っている事さえままならない。

 コップをキッチンに置き床に座り込んだ。

 その時部屋の隅に何かが蠢いた。

 気持ちを集中させるとその正体が明らかになった。小さな使い魔だ。

 「おいで・・・」

 蔵馬は使い魔を呼ぶ。

 近づいてきた使い魔をつまんで手のひらに乗せると使い魔は蔵馬にメッセージを伝えた。

 蔵馬はくすっと笑って使い魔を離した。

 すると使い魔はあっという間に何処かへ消え去ってしまった。

―飛影・・・怒ってる。ごめんね。もう少しだけ待っていて・・・

 蔵馬は呟いた。

 使い魔は飛影に従っている小さな魔だ。飛影のメッセージを運ぶ為にやってくる。

 なかなか訪れない蔵馬に対して飛影がよこしたのだ。

 飛影の事を想う時は少しだけ身体の事を忘れられる。そして自分を取り戻せる。

 蔵馬はひと時の喜びに浸っていた。

―今日も外へはでられないや・・・

 ガランとした何もない部屋で蔵馬はカーテンの隙間を埋めるようにもう一度カーテンを引いた。



「なあ、最近蔵馬を見かけねーけどおめー会ってるか?」

 幽助は桑原に電話をかけていた。

 桑原は高校生となり毎日多忙な高校生活を送っている。

 勝手きままな屋台のラーメン屋を始めた幽助とは違ってそれなりに忙しいのだ。

 しかし相変わらず霊力は強くそのおかげで幽助に巻き込まれてはいるものの

 ここ暫くは霊界からの指令もなく自分本来の生活を取り戻していた。

「いいんや、会ってねえよ。魔界へでも行ってんじゃねえの?」

 桑原はさして気に留める風でもなく答えた。

「そっか・・・そうだよな。飛影のとこ・・かな?」

 幽助もそれなら納得がいくとも思ってみたが、

 蔵馬が幽助に何も言わずにいく事が今までなかった為腑に落ちなかったのだ。

「お前、蔵馬のアパート行ってみたのか?」

 桑原は期末テストを控え勉強中で、姉が作ってくれた夜食を目の前にお預け状態だった。
 
 目の前の夜食が冷めないうちにありつきたいと幽助の電話が切れるのを待ち望んでいた為

 そっけない返答をしていた。

「ああ、何度か行ったけどカーテンも閉まったままだし電気もつかねえ。」

「それならやっぱり魔界だろ。まっ、そのうち帰ってくるさ。蔵馬に限って心配なんて必要ねえんじゃねえの?」

「だよな・・・」

「ああ、んじゃーな。」

 桑原は幽助の言葉が切れた所で子機の切りボタンを押した。

 そしてやっとありつけた夜食を満足気にほおばった。

―だよな・・・飛影んとこ・・・だよな。きっと。

 幽助は、蔵馬は飛影の処・・・と、思ったと同時にあの鋭い飛影の瞳を思い出していた。

 あれは・・・幽助は飛影のあの瞳を思い出すと何故か落ち着かなくなる。

 胸の奥に酷くもどかしい気持ちが沸き起こってくる。

―なんだっていうんだ、なんでもねえ。あいつらには普通の事なんだ・・・

 自分自身に何故か言い訳をしている自分に気づいてしまう。



―いけねえ!蔵馬んとこ忘れてきた。

 幽助は魔界のトーナメントが行われた時の事を思い出していた。

 それはトーナメントの前日の事だった。

 ホテルの蔵馬の部屋で色々な話をした日、幽助はやっとのおもいで手に入れた格闘技戦のチケットを

 蔵馬の部屋に置いてきてしまった事を夜遅くに思い出した。

―ちと、おせーけど蔵馬の事だ、起きてるべ!

 そんな安易な考えで急いで蔵馬の部屋のドアをノックもせずに開けてしまった。

「蔵馬!さっきおれ・・・・」

 声をかけたが幽助はその後の言葉を失ってしまい息を呑んだ。

「どうしたの?幽助。入っておいでよ。」

 振り返りながら蔵馬は細く長い指を延ばし幽助に言った。

 勿論いつもの優しい笑顔で・・・

 けれど違う。

 これほどまでに禍禍しい空気の漂いを感じた事はなかった。

 大きく優しげなグリーンの瞳。それは間違いなく蔵馬なのだけど・・・

 幽助がドアを開けたと同時に伏せていたベッドから上半身を起こし振り向きながら幽助に手を延べた蔵馬。

 ボタンが外されはだけたシャツの裾が揺れていた。

 そして蔵馬が起き上がったその下で全裸の蠢く人影。

 蔵馬の半身の向こう側でじっと自分を見据える鋭い瞳。

 その蔵馬の背に廻っていた腕・・・

 その腕にはしっかりと忌呪帯法が巻かれていた。

「あ・・・ご、ごめん。」

 幽助は慌ててドアを閉めて自分の部屋に戻った。

 どきどきしていた。

―なんでもねえ、蔵馬と飛影がいただけさ・・・あいつらには日常なんだ。

 頭の中で必死に理解しようとしていた。

 しかし胸の鼓動が音をたてて競りあがってくる。

 考えまいとするが耳元で蔵馬の声がする。

―入っておいでよ、幽助・・・

 蔵馬の細く長い指の白さが何故か目の前にちらつく。

 そして蔵馬の向こう側から自分に送られた痛いほどの視線。

 ひとつ間違えば恐怖にも変わる事があるかの様な飛影の鋭い視線。

―あいつはもともと目つきが悪いんだ、なんでもねえさ。

 幽助は必死に今の出来事を理解しようと試みた。
 
 しかしあくまでも決して離す事はないといいたげな蔵馬の背に回していた呪符帯の指が

 そんな幽助をはじき飛ばすかの様にしっかりと蔵馬のシャツを握り締めていた。

―オレは何を気にしているんだ・・・・

 幽助はふたりのその光景のショックにたじろいでいるのだと思っていたが、

 ふと飛影に対して言い知れぬ程の嫉妬心が芽生えている事に気づいてしまった。

―なんでオレが・・・

 幽助は否定し続けていた。

 次の日顔を合わせても二人ともいつもと変わらなかった。

 蔵馬は昨日はどうしたの、笑いながらチケットを届けてくれた。

 昨日の事は夢だったのかと思う程いつもの変わりない二人の様子だった。

 だから幽助は夢だったと自分自身を納得させた。

 偽りの納得を。

 けれどやはり事あるごとに蔵馬は飛影の処に足を運んでいるのも事実だった。

 その事は幽助の心を少しばかり痛めていた事は誰も知らなかった。

 幽助も蔵馬と飛影の二人を仲間として好きだと割り切っているつもりでいたが

 あの日の二人の映像が蘇っては幽助を戸惑わせているのも事実なのだ。


 蔵馬が帰らない・・・

 自分に何も告げずに・・・

 桑原は飛影のところだろうと考えも無しに言うが幽助はこのまま蔵馬は飛影の処から帰ってこないのかも知れないと思うと、

 いてもたってもいられない気持ちになるのだ。

 それがどういった不安なのかを幽助は考える事が出来なかった。

 ただ・・・蔵馬に帰ってきて欲しい。

 自分の傍で笑っていて欲しい、その気持ちだけが何かをかりたてていた。

 そんな幽助の気持ちとは裏腹に、蔵馬は太陽の眩しさに目覚め

 そして一日をのろのろと過ごし、ようやく日が落ちると共に

 身体がほんの少しだけ軽くなり動ける様になる、そんな日々を送っていた。

 しかし日が落ち身体が軽くなると同時に喉の渇きは一段と酷くなる。

 それはどんなに忘れようとしても肉体的な本能だ。

 決して誤魔化しなど効かない。

 それは解りきっている事だが自分自身を誤魔化すしか今の蔵馬にとって、手はなかった。

 闇は深くなる一方だ。

―仕方ないか・・・

 蔵馬はそう呟いた。

―幽助が何度もここへ足を運んでいる。

 その度に気配を消して留守を装ってきたがそろそろおかしいと思い始めている頃だろうな・・・

 飛影の使い魔ももしかして今のオレの状況を見ていたとしたら・・・

 それは考えたくない事だった。

 気配だけは飛影に繋ぎ続けてはいたもののこうも妖力が落ちてしまうとそれすら送れなくなる。

 それは飛影をますます混乱させ兼ねない。

 蔵馬は多くの状況を考えながら小さな決断をしていた。

 ふと飛影のすねた横顔が頭をよぎった。

 口元に笑みが浮かぶ。

 飛影の事を考えるその一瞬だけが今の蔵馬の気持ちを落ち着かせてくれる鎮静剤だった。

 蔵馬は棚の奥から拳大のビンを取り出した。

 そのガラスのビンの中には得体のしれない真っ赤な蠢く液体を蓄えた袋の様なものが入っていた。

 蔵馬はそのビンのふたを開けた。

 すると中から細い管の様な蔓がシュルシュルと伸びてきた。

 蔵馬はその管の先端を掴むと自分の首筋へと導いた。

 管は蔵馬が示したその先にある血管めがけて一揆に吸い付いてきた。

 そしてドクドクと一定のリズムを保ちながら中の赤い液体を蔵馬の首筋に送り込んだ。
 
 蔵馬は安堵のため息をもらした。

 その液体が身体全身に回るといい知れぬ快感が蔵馬を包み込んだ。

 身体はぞくぞくと細胞を這うように悦へと浸る。

 深い処から上りつめて得る欲望の快楽に酔いに誘われる。

 その時、自分の背後に見え隠れする視線を捕らえた。

 しかし今得ている快楽に蔵馬は身動きする事すら出来なかった。

 二つの目は蔵馬のその様子を沈黙のまま見守り続けた。

 長い時間が過ぎていった。

 ようやくガラスのビンの中の液体が消えた頃蔵馬は首筋からその管を引き抜きながら

 その二つの目に向かって言った。

「随分と悪趣味だな、鴉。」

 黒いその塊はふわっと音もなく蔵馬の傍らによった。

「おそまつだな・・・そんなもので快楽を得るなどとは。」

「ただの生命維持だ。」

 鴉は蔵馬の正面に立ちはだかり蔵馬の髪を一束持ち上げた。

 そして管を抜いたばかりのその首筋をうっとりと見つめると

 その首筋から滴り落ちる赤い液体を舐めた。

「こんなもので生命維持とは・・・・悲しくなるね。」

「貴様には関係ない。」

 蔵馬は鴉から身体を引いて赤い液体に染まったシャツを脱いだ。

 上半身裸の蔵馬の身体を鴉はしげしげと見つめた。

「可憐だな・・・やはりお前を私だけのものにしておきたかったよ。」

 鴉はそういうと蔵馬の首に両手を沿え少しだけ力を入れて絞めた。

「よせ、貴様にはもう何も出来はしない。」

 蔵馬はその手が離れると新しいシャツをはおった。

「そんな身体では私の気配すら気づかなかったろう・・・」

 鴉は蔵馬の顎を少し持ち上げながら言った。

「貴様に心配などされるのは心外だ。うせろ。」

 蔵馬は鋭い眼差しを鴉に送った。

「やはり私はお前が好きだ。その優しさに隠した気性の激しさ・・・

 本当のお前をわかってやれるのは私しかいない。それはお前だって気づいているはずだ。

 そんなもろい身体ではなく妖孤になったらどうだ。前にも言ったろ、人間は痛みやすいと・・・」

「うせろと言った!」

 蔵馬の冷酷で激しい声に鴉はくっくっと笑いながら姿を消した。

―あいつは霊界には行かなかったのか・・・

 深いため息と供に蔵馬はベッドに腰を降ろした。

 するとふと空になった瓶が目に止まった。

―これでしばらく時間を稼げる。急いで飛影の元へと行かなくてはならないな・・・

 蔵馬はそう呟き急いで部屋の片付けを始めた。
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