takumi kun S.

□アルテミス
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「君は三洲と同じ大学に入ったんだって?三洲を追いかけたのかい?」

 相楽は冗談交じりに本音をぶつけてみた。

「そうっス。」

「えっ?」

 あまりにも普通にきっぱりと返ってきた答えに相楽の方が面食らっていた。

「アラタさんの姿はどんなに遠くからでも見ていたいっスから。」

「面白いな、君。でも・・医学部となれば相当大変だっただろうし、それだけで付いて行けるレベルのものじゃなかったろう?

ましてやそこは君が目指していた分野だったのかい?」

 三洲への恋心だけで自分の将来を安易に変えるものなのだろうか相楽は男の浅はかさに少しだけ驚嘆していた。

「そりゃ、大変なんてもんじゃなかったスよ、けど勿論オレにも志すものってあったんで、

でも無理だろうな、なんて悩んでいた所に、アラタさんの背中を見ていたら勇気を貰えたっつうか・・・」

「進路を三洲に相談したのかい?」

「めっそうもないっス、アラタさんとはアラタさんが祠堂を卒業した後はほとんど会えてないっスから。

入学したらしたでアラタさんもっと忙しくなっちゃって、勿論連絡なんて取れないし・・・」

 それなら自分の方がよほどこいつより三洲と連絡が取れていた事になるのではないだろうか。相楽は心の底でニヤリとほくそ笑んでしまった。

「そうなんだ、でも君は三洲と同じ大学に進んで同じ学部に入れたんだろ?」

「まぁ・・・それはそうなんですが、同じ学部と言ってもアラタさんは医学部でオレはちょっとちがうっス。」

「すまん、オレは医学部の方は全然わからんのだけど、同じ学部は学部なんだよな。」

「相楽先輩 人間健康科学ってご存知ですか?」

「・・・言葉は聞いた事あるって程度かな。」

「オレ理学療法士目指してたっス。」

「リハビリなんかの?」

「簡単に言ってしまえばそうっスね。」

「それなら国立じゃなくても無理せずもっと楽な選択はいくらでもあっただろ?」

「まあ・・・そうなんっスけど、もうちょっと深く知っておきたい事とかあって、

アラタさんの行った学部にその方面の学びたい教授がいらしたんです。で、オレダメもとで受けてみよっかな・・・なんて。」

 相楽は 軽んじているわけではないが 理学療法士ならば何も国立の医学部に目標設定する必要はないのではと思った。

「オレ、ばあさまっ子だったんスよ。」

 いきなりの話の転回にちょっと驚きながら相楽は男に視線を落した。部屋の中には月明かりが射していたので点灯しなくてもわずかながら男の顔の表情がわかる。

体育会系の割には優しげな外国の童話からでも出てきそうなルックスだ。 

「オレの高校の制服見せてやるって約束したんスけど 見せてあげる事できなくて・・・」

「ご病気だったのかい?」

「多分・・・良くは解らなかったっスけど ちょっと前まで凄く元気でいたのに 食が細くなったな、なんて言っていたらあっと言う間に。

人っていつどうなるかなんてわからないっスよね。」

「そうだな。」

「ばあさまが亡くなってからオレ泣いてばっかで。オレ一人っ子で両親はいつも喧嘩ばかりだったし・・

あっ結局別れちゃったんスけどね、あの頃はいつもばあさまの所がオレの避難場所だったから、だからオレ全寮制の祠堂受けたっス。」

「そっか・・・」

 相楽はいつも元気で何一つ不自由ないと思っていた男にそんな決心があったのかと少し驚いていた。

「そのばあさまが亡くなる前までお世話になっていた先生がいて、その先生にオレ今ついて学ばしてもらっているっス。」

 三洲を追って態々受験した訳じゃなかったんだ。

 相楽はてっきり、この能天気な男は自他共に認める三洲フリークを発揮して、のこのこ付いていったのだとばかり思っていたのだ。

「凄いね、君。頑張ったんだな。」

「そんな事 ないっスよ。アラタさんがいるんだと思えばそれなりに頑張れたっつう訳ですし、アラタさんのおかげっス。」

―いや、それはないだろうが・・・

 三洲を此処まで慕い続ける男、こいつは本当に何者なんだろうとますます興味が沸く相楽だった。




スペインを回っていたあの頃、相楽は進んだ大学をそっちのけでスペインの建築ボランティアの仕事ばかり参加していた。

 その建築ボランティアの仕事が一通り済むと大学に戻りきちんと卒業はしたものの、父親はまだ現役バリバリ、

いくら跡取りとは言え、一社員なわけで大人しくサラリーマンをやるしかないか、と心決めてはいたのだが

自由奔放の息子の性格を知らないわけがない父親だ。

大学時代のスペイン在住をものにしてこいと系列ホテルがあるこちらの事業に送り込まれたと言う訳だ。

ホテルの改装計画が始まっており建築の道を大学で学んだ相楽は遺憾なくその工学技術を発揮していた。

 そして取り入れたものは今、何かと取りざたされるバリアフリーの問題だ。やはり病人、老人介護等の既設は今後重要視されるべきものである。

 勿論改装にあたりホテルにもそのような部屋の配置、設備も取り入れた。そしていよいよオープンとなるべき時に、オーナーからの提案で介護者の常駐を申し入れられたのだ。

相楽もそこまでは考えていなかった。あくまでもホテルである。

 ここが日本人的思考なのだと言われれば返す言葉もないが、一般庶民である日本人の多くは一つのホテルに1ヶ月なんて長居する者などいないのだ。

 ところがやはり海外では休暇を取るといえば本当に1ヶ月2ヶ月といった休みを平気で取る。

そしてホテルにそのまま滞在するのだ。特にこのスペインではバカシオネスと言って長期滞在型の休暇を取る事が多い。

 ヨーロッパ勢の有給取得率は世界でもトップレベルなのだ。

それが身体の不自由な客であった場合介護者登録をして常駐までとはいかないが、その時に来てもらえるというルートは確保しておきたいと言う事になる。

 しかしながら、この日系系列のホテルはいわばよそ者である、スタッフも要所要所は日本人が押さえている。

客はともかく現地でのボランティア的な確保は非常に難しいところなのだ。

色々策は講じたつもりであったがいまひとつ旨く運びそうもなく考え遍いていたところに現れた人物、それが崎だった。
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