takumi kun S.

□月夜の舟 
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「そうですね、いくら義一さんが託生さんを大切になさろうと、生きてきた環境が違い過ぎます。

 義一さんはずっと大人の中で生きて来られた人なのです。

 常に冷静に周囲を見渡し、判断をしっかりと下していかなくてはならない環境にいるのです。

 だから託生さんの抱える重荷が義一さんには判断しかねる部分があるのだと思います。

 しかし、義一さんにとっても託生さんと同じ様に違った重圧をこの祠堂で味わった事と思いますよ。」

「ギイが重圧を感じる事なんてあるのかな・・・」

 僕にはそんなギイ、皆目検討が付かない。

 不審そうな僕を理解したかのように島岡さんは柔らかく微笑んでから言葉を繋いだ。

「ある意味義一さんが過ごした祠堂での3年間は、とても不思議で貴重な時間だった事と思います。

 アメリカに帰ってくれば通常のせわしない大人の業務が待っていた義一さんにとって

 祠堂での生活は夢の中のような世界だった事と思います。

 こと、託生さんの事となると全くの初心者となりあんな幼い義一さんを見る事が出来た私は

 本当にラッキーだったかも知れませんね、ただ、私は託生さんにもそして義一さんにも、

 もっと強くなって欲しいのです。」

「ギイにも?」

「ええ、そうです。義一さんは託生さんと出会い青春を謳歌できたのです。

 思春期といった類のものを知らずに生きてしまいそうな義一さんが正直言って私は残念でならなかった、

 思春期には多かれ少なかれ挫折というものを自分で受け入れなくてはならない出来事に出くわします。

 それは後に考えれば何でもない事であったりもしますが、

 でもここで大切な事は問題の大きさではなく挫折やジレンマといったものに

 自分自信が向き合えるかどうかという事なのです。

 この祠堂で義一さんはきちんとその思春期を過ごして下さった、

 色々な事に戸惑い導かれホンキで怒ったり笑ったり泣いたりしていました。

 ニューヨークにおられる義一さんは感情を押し殺し常に冷静沈着を装い感性を研ぎ澄まし

 僅かな会話や物事から全てを把握しその先を決断しなくてはならない環境下にいらっしゃいます。

 そこに自分の感情を入れ込む余地はないのです。

 ですから時には人としての感情を捨て冷酷な判断を必要とされる事もあるのです。

 多分義一さんはそんな自分がある意味怖かったのかも知れません。

 心を失っていく自分を直視してしまっていたのでしょう。」

「ギイが・・・?」

 たまにギイの無常とも思える決断に僕が混乱していたのも確かだった。

 そんな時「ついてこれなくなるんだろ?」とギイは僕の躊躇う顔を見て静かに言った。

 そして自分のこういった性格を変える気はないと。

 あの時のギイの辛そうな顔が浮かんだ。

 ギイは「性格」と言ったけどそんなの「性格」なんかじゃない。

 現実を直視していかなくてはならないと言う環境にあったのだ。

 そんな判断を下さなくてはならない自分を勿論快く思えるはずもなく

 ギイ自身が一番心痛めていたに違いないのだ。

 それなのに僕を案じてばかりいたギイ。ごめんね、ギイ。

「義一さんにとって託生さんとの出会いはきっとそんなご自分を人として繋ぎ止めておける事の出来る

 箍になっていたのではないでしょうか。」

 人間接触嫌悪症と呼ばれていた僕との出会いが?

 いつだったか赤池君にギイですら予測不可能な行動に出るのがお前さんだからな、なんていわれた事があった。

 ギイが僕の為に良かれとお膳立てしてくれていた事を僕はこれでもかと言うほど裏目に返していたらしい。

「島岡さん、それはきっと僕との出会いではなく祠堂での仲間達との出会いだったと思いますよ。」

 なので、僕は正直に答えた。

 するとちょっと驚いた様な顔をした島岡さんは慈しむような瞳で僕を見つめ返した。

「なるほど、義一さんが託生さんを好きな理由をまた一つ見つけた様な気がします。」

 えっ? どう言う意味?

「まあ、それはさておき、やはり感情という類のものは時としてコントロールを失ったりするものです。

 ですから予測不可能だった人の気持ちで悩み苦しんでしまう、

 自分自身は酷く弱い人間になってしまったような錯覚に陥るのです。

 いつでも物事のベクトルを把握していた義一さんですから

 その痛みは今までに味わった事のない痛みだったと思います。

 ですがきっと今回の事では、もっと強くなれると思うのです。

 お二人の気持ちが変わらないのであれば、私はもう何も述べる事はありません。

 義一さんも決心を固めておいででした。

 ただ、今はその時期ではないのです、周囲への冷却期間も時として必要となります。

 お二人が信じあっている限り何処にいようともきっとまたご一緒に過ごされる時はやってきます。

 それだけのお力をお二人ともお持ちなのです。

 託生さん、貴方はご自分が思っている以上に心の強い人ですよ、

 私は安心して義一さんと共に貴方がいらっしゃる日をお待ちする事に致します。」

「・・・島岡さん・・・僕、全然強くなんかないし、それに迷ってばかりです。

 でも、それでも、僕ギイには絶対いつの日か必ず会えるという自信があるんです。

 根拠なんて何もないのですけど・・・」

 島岡さんはそう言った僕に安堵したような笑顔を見せてくれた。

「そうでした、これを・・・」

 そう言った島岡さんは突然思い出した様にアタッシュケースから取り出した小さな箱を僕の目の前に置いた。

 包装紙で包まれているわけでもないただの白い箱。

「なんですか?」

「あけてご覧になって下さい。」

 島岡さんは掌を僕の前に出しその箱に一度視線をおとしてから僕をもう一度見つめた。

 じっと箱を見つめたままの僕。
 
 島岡さんに視線を戻すと島岡さんの柔らかな視線にぶつかった。

 僕はそっと箱を手のひらに乗せた。
 
「これは島岡さんからですか?」

「いいえ、義一さんからです。」

「ギイから・・・?」

 僕は一瞬戸惑ったが、ごくりと息を飲み込んでそっと箱を開けてみた。

 キラリとピンクダイヤをちりばめたストラップが目に入った。

「これは・・・・僕、受け取れません。」

 僕は開けた箱の蓋を戻してテーブルに置いた。

「もらってあげて下さいませんか? これは私からのお願いです。」

「ごめんなさい、僕は受け取れない。これを手にしたらきっと僕。」

 僕は奥歯を噛み締めて唇にぐっと力を入れた。

「託生さん、貴方の決心を逆なでるような事をしているのは百も承知でのお願いです。どうかこれを受け取って下さい。」

「ごめんなさい・・・」

 僕は瞼に溜まったままの涙が零れない様に必死に耐えていた。

 沈黙が流れる。 

 そして島岡さんはその涙が零れないように少し時間をおいてから優しく言葉を繋いだ。

「託生さん、この携帯は託生さんからあの日私が預からせて頂いたものですが、

 お預かりしてから機能変更をし、より多機能なものになっております。」

「えっ?」

 突拍子もなく語りだした島岡さんの言葉に僕は俯いていた顔を上げた。

「島岡さん、僕は預かっていただいたのではなくギイへの返却のつもりでお渡ししたのです。」

「託生さん、個人情報を抱えたこういったものを他人へ返却なんて有り得ませんよ。

 返却であるなら直接本人でなければなりません。

 私ごときが義一さんの了承も得ず返却を受け入れる訳には参りませんから。」

「島岡さん!ずるいですよ!」

「ずるくはないですよ、常識の範疇ですから。」

 島岡さんは笑いながら言った。

 さすがに大財閥の社長秘書だけある。言葉巧みに赤子の手を捻るがごとくたたみこんでくる。

「機能の説明書は同封してありますからゆっくりご覧になって下さい。

 但し、使用は一回のみしか出来ません。」

「ですから、島岡さん、僕これは受けとれ・・・えっ?一回・・・?」

 僕の言葉を遮るような島岡さんの奇妙な台詞がポンと僕の頭に飛び込んで来た。

「託生さん、この携帯は二年間使用出来なくなっています。

 そして二年を過ぎた時に回線が繋がる様にプログラムされています。」

「えっ? 二年後・・・ですか?」

「はい、なので現在でのTOP機能ではありますが二年後には速攻で新機能に変更しなくてはなりません。」

 言っている意味が解らない。

「あの・・・僕、意味がぜんぜん・・・」

「私が託生さんと義一さんとの時間を止める事が出来る期間が二年間と言う意味です。」

「はあ・・・」

「二年後に回線が繋がった時に、託生さん、あなたからどうか義一さんへ電話をかけてあげて下さいませんか?」

「僕・・二年間なんて期間を言われても何がどう変わっているのかなんて解らないし、

 それまでにギイに会える自分になれるかなんて・・・」

 さっきはカッコいい事言ったけど、たった二年間で人間そうそう変われるものではない。

「そうではありません。二年間と言う期間は託生さんと義一さんとの心を癒す為の期間なのです。始まるのはそれからです。」

「それから・・・?」

「二年の歳月でお二人は成人されます。日本で言うところの成人と言う意味ですね。

 もう子供ではありません、ご自分達でしっかりと責任ある行動をとっていく事となるのです。

 それまでの二年間はお二人がきちんと責任を持って全てを始められる為の準備期間とでもお考え下さい。

 これは私個人としての大人からのアドバイスです。」

 島岡さんがそう言って軽くウインクをした。

 呆気にとられたままの僕だったけど 日本人でありながらこんな所でウインクするあたりは、

 やはりアメリカンビジネスならではの仕草なのかと、思わず笑ってしまった。

「解りました。どんな状況であろうとも僕、必ずギイに連絡します。

 その先の事は何も考えずにこの回線を繋ぎます。」

「はい、そうしてあげてください。二年後に義一さんがどうであっても託生さんがどうであっても戸惑う事なく必ず。

 先を考えるのはそれからでも遅くなどないのですから。」

 島岡さんはほっとした面持ちで笑った。


「色々とありがとうございました。本当にご迷惑おかけしました。」

 僕はホームまで島岡さんを見送ると島岡さんは新幹線のドアごしに深々と頭を下げてから僕に優しく微笑んでくれた。

 発車のベルが鳴り響き島岡さんを乗せた新幹線が視界から消えたと同時に僕は手にしていた携帯をじっと見つめていた。


 二年間の執行猶予付きの携帯・・・?
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