メーラブルー
□8.
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――――なにか、言わなければとは思っていた。
胸元で銃を大事なもののように抱えながら、ただ骸の後ろについていく。
なにか、……なに、を考えていながら、なにもしないも同然で。
今度はその背中から目を放せないでいた。
さっきまで見るに堪えないと思っていたくせに、今度は目を放せない。勝手だとは思う。オレは何をやっているんだと自分を罵倒したくもなる。
でも骸が放っておけない。
一歩踏み出すごとに、一体殺すごとに、一人惨殺するごとに、まるで映像を巻き戻しして行くみたいに壊れていく骸が、オレは今更だと分かっていても離れられないでいた。
その背中は楽しそうだった。
興奮も確かに伝わってくるし、化け物を殺す手ごたえに充実を感じているようだ。
だから、だからこそ徐々に空になっていく骸の表情に、胸を締め付けられる思いがした。アイツがただ楽しんでいるだけなら、オレだってこんな想いはしない。複雑な思いでついていくだけで済んだ。
なのに骸は削れた。
いつも骸が人の悪い笑顔の下に隠してきた、溢れるほどあった感情が、少しずつ少しずつ削れていった。
まるで死んで逝くようで。
それが錯覚だと思いたがってオレが首を振った。なに勝手なことを考えているんだ。骸のこと、ろくに知らないくせに。
(……でも、)
それでも、勝手なことを思う。
生きる為に詰まっていた情動を、骸は今落としているんじゃないかって。
たとえば復讐心の類を、ここで清算してしまっているんじゃないかって。この代償行為で。
拳銃をぎゅっと両手で抱える。
銃というモノに触れたのはこれが二度目だけれど、不思議と落ち着く重みがして、オレはすがれるものなら何にでもすがりたい気持ちで銃を抱えていた。
想像は悪い方にばかり傾いていた。
もし骸がこの殺戮に飽きたら。
その口が満足だと呟いたなら。
その身体に詰まっているものを全部削ってしまったなら、もしかしたら、
(考え過ぎだ。こんなの、骸にだって失礼だ)
強い人なんだ。得体が知れない怖い人だけど、強いという一点だけはハッキリと言い切れる。
地獄を廻って気も狂わず、人の世を憎んで、それでいて確固たる芯を持って生きている人なんだ。
弱るどころか、弱音を吐く姿も想像できない。
弱音だなんて、そんなことをするぐらいなら死んだ方がマシだとでも思っていそうな人なんだ。
オレなんかよりよっぽど、力強く地面を踏みしめて立っている。
(だから大丈夫、)
……だけど、その強さは何に起因するものだったのか。
「――――骸、すこし、休もう?」
恐怖にかられて口をついていた。
提案しているオレの方が自分の発言に驚いているのに、骸は返答もなく了承したようで、大ぶりの真っ赤な刃物を床に放った。
耳を劈く騒音にびくっとなったけれど、骸が怒った訳ではないと知って恐る恐る力を抜く。
壁際で投げやりに座り込んだ骸と、やや離れてオレも壁を背に座り込んだ。
骸に倣って座ってはみたものの、吃驚するぐらい緊張がほぐれなかった。
拳銃を手放せず胸に抱いたままで、膝も両脚揃えて体育座りの体勢。手足の筋肉はがちがちで今にも痙攣しそうだ。
オレは人の心配なんかしている場合じゃないんだな、と落ち着く時間を与えられてからようやく実感した。身体が異常に冷えているし、そういえば湖に落ちてから一度も暖まっていない。
ちらりと横に視線を投げる。
同じ壁に寄り掛かっている筈の骸は、多分疲労なんかでは苦しめられてはいないんだろうと決めつけながら一瞥した。オレなんかと違って動作がきびきびしていたし、歩みも一定だったから。
なのに、
(……っ、)
長い前髪の隙間から見える横顔は、ひどく空虚だった。
目鼻の整った顔立ちから表情が消えれば、それはもうただの作り物のようにしか見えない。
その目は宙を見つめているのか、ただ目に風景を映しているだけなのか。
色の揃った青い両目が、オレはいやだと思った。
色違いの目の時は純粋に怖かった。あのコントラストは、ただそこにあるだけで攻撃的だ。本人がなんの感慨がなくても、敵意というものを勝手にこっちが感じとってしまう。
だけど青い両目は空っぽだった。感情がなかった。
骸はこんなに無表情な人間だったのかと、今更気づいてしまうぐらい。
青い単色の人。無彩色のような寒色の人。
この灰色の建物に溶けてしまいそうだと思った。
「骸」
銃がこの手になかったら。
血濡れの服の裾ぐらいは掴んでいたかもしれなかった。子どもみたいに。
「もう、帰ろう?」
気持ちをこめて、お願いをした。
だから気づかなかった。向けられる表情を見るまで、自分の間違いに気付けなかった。
苦々しく細められる両の青い目。二歩離れた距離にいるオレを、まるで遠くにいるモノのように眺めて睨んで憎んでいる。
「……」
返答ではなく、骸は口を開きかけてかぶりを振った。悪態を飲み下して、代わりに力なく項垂れた。
「……楽しいんです」
「……え?」
繰り返し、骸は言う。
楽しいんです。
「見るに堪えないんでしょう? 分かりますよ。そういう顔をしている」
「…………」
気まずさに視線が逸れてしまう。
骸は息を吐き出すのと一緒に笑った。
「自分でもどうかと思いますよ。でも、思うんです。――今まで生きていて良かった、と」
「――――骸、」
「楽しいんです。ずっと苦しかったモノが、凍っていたモノが融けていくみたいで、身体が楽になっていくんです。
こんな遊びは下らないと、思ってもいるのに」
「そんなの、」
「君には分からないことですよ。でも、単純でしょう? 復讐は楽しいものなんですよ。ただそれだけの話です」
「…………」
どうかと思いますよ、そう言って嫌悪する。
下らない、と馬鹿にする。
単純、と卑下して笑っている。
なのにそれを楽しいものだと肯定する。
骸の話は聞いていて苦しくなった。血管に泥を流し込まれたみたいな不快感と胸の苦しさ。
骸も、そう感じているんだろうか。
「……帰りたいのなら、一人で帰ればいい」
「!」
それは、帰らない。という意思表示だった。
オレは弾かれたように顔を上げて、気がつけば二歩分の距離を膝で詰めていた。
「だめだよ、骸も一緒じゃないとだめだ」
「…………残念ながら、ここ、僕の生まれ故郷なんですよね」
軽く笑い飛ばすように、骸が場違いに声を弾ませた。そうやってオレを笑っていた。自分を嘲笑していた。
「ちがうよ。
……なんで? おまえ、分かってるんだろ? ここはおまえの家じゃない。きっと誰かの幻術で、誰かがおまえを陥れようとして、」
「本物ですよ」
「――――」
言葉を失うほど驚いた。
勘がそれを真実だと裏付けて、オレは混乱しながら首を横に振った。
「右目がこうなってしまってもね、それぐらいは分かるんです」
「でも、じゃあどうして……」
「さあ、首謀者に訊かなければ分からないことですね。沢田、ひとつ、絶望的な指摘をしてあげます」
ぴくっ、と指が勝手に跳ねた。恐らくは警鐘に反応して、
「僕の右目がこの状態では、こちらはほぼ完全に無力化されている。加えて君は死ぬ気になれない。――その状態で、二人揃っての脱出など考える方がどうかしていると思いませんか」
「――――――」
「一人で逃げなさい。この建物を繕った人間は、恐らく僕に用がある」
「そ――」
それは違う、と反射で言いかけて、口をつぐんだ。
自分でもどうしてそう思ったのか分からないし、それに骸の言っていることはおかしくない。建物といい状況といい、これは骸を標的にしている。
「でも――でも、ダメなんだ。おまえはもっともらしいこと言ってるけど、本当はもっと続けたいだけなんだろ!?」
一瞬の空白。
反転する視界。
骨が折れたかと思った。
「――――ッ、ぁ、っ」
「馬鹿な、子ども、ですね」
愉悦に歪みきった口許が見える。狂った碧眼が半月の形で嗤っている。
「無神経で、空気も読めない。その所為で、君、殺されかけてるんですよ……ッ」
息が詰まる前に、骨が折れるんじゃないかと思った。
首の骨が、首の肉が、ぎちぎちぎち、と苦しそうに鳴った。
「――っ、――!」
一音も声を漏らせなかった。骸は、人の首の締め方というものをよく理解しているようだった。
まだ肺に酸素が溜まっているというのに、力が抜ける。視界が狭まりそうになって、
気を失う覚悟で、手に持った銃で骸を殴りつけた。
「――――っ!!」
頭蓋を横殴りにされて、骸が手からわずかに力を抜く。
前もろくに見えない内に覆いかぶさっている骸から抜け出して、二歩分の距離を取って、
それから反射的に銃を構えた。
「っ、げほっ、ぁ、はぁ、く……骸っ」
喉がひどく痛い。真っ赤な回転灯が眼球の中で回っている。ちかちかと赤く点滅する。
「は、骸、ダメ、だよ。もう帰ろう、帰るんだ、一緒に――」
「いやですよ」
銃口をつきつけられながら、骸は一切怯まず言い切った。
ひくっ、と引き金にかかった人差し指が引き攣る。反射的に撃ちそうになる。どうして――ああ、違う、今はオレの異常のことなんかどうでもいい。
人間に向けているのに一切ぶれない銃口とか、真っ先に骸の頭を指したこととか。それを言うならば条件反射で銃を構えてしまったこととか。
今はそういうことに構っている場合じゃない。
「骸っ!」
「楽しんですよ。すっごく楽しいんです。もうすべて、どうでもいいと思えるんです。
マフィアでも世界でもない、僕は今、一番憎んでいる人たちにやり返しているんです」
骸にとってのすべての発端。
マフィアと、この世の中と、人間を嫌うことになったすべての元凶に、刃物を振り下ろす。
それはきっと、正しくはないかもしれないけれど、当然のことだ。
傷をつけた相手に傷をつけ返すんだ。
他のマフィアという関係ない人たちに、例えばランチアさんのような人たちに復讐しないで済むのなら、それが一番収まりがいいのかもしれない。
オレはこの施設の人達のことなんか一人も知らないから、はっきりとは言えない。
カルテや成績表に捺された失敗の判子と。
骸たちの話でしかこのファミリーのことは聞いたことがない。だから、オレが何かを口出しする方が間違ってるんだと、分かってる。
でも、ちがうんだ。
だってそもそも、
「おまえ、楽しくなんかないだろ?」
「――――」
骸の表情から嗤いが消えた。落ちた、ように見えた。
「楽しいって思ってる人は、そんな顔しないんだよ」
「君に、何が分かる」
「何も。……何も、知らない。だから見てたよ。おまえが殺し回ってるところを我慢して見てた。だってもしかしたらおまえが本当に楽しいと思ってて、そういうことしてるのかなって。オレはおまえのこと、本当に何も知らないから」
「ならそれは、余計な口出しですよ」
「おまえのことは何も知らない。少しは知ってるけど、知ってる内になんて入らないぐらい、おまえのことは顔と名前ぐらいしか知らない。だから、」
骸の言葉を遮って、オレは銃を構えながら続きを言った。
「だから、知らないから、知ってる範囲で言うよ。――楽しいって思ってる人は、泣きそうな顔なんてしないんだ」
「は、」
つい、口から零してしまった。そんな短い笑い声だった。
口許を手で覆って、こらえながら骸が嗤う。オレを嘲笑する。憎悪している。
分かっていた。そんな風に見られるのは分かっていたけれど、でもやっぱり、立っているのがやっとなほど骸は怖い――!
「ならどういう顔ですか? 楽しいって。
君の言うことが正しいのなら、僕は生れてから一度も楽しいと思ったことがないようなんです」
「――――っ」
「教えて下さいよ、ボンゴレ」
「っ、おまえっ、なんで……っ!?
あるだろっ? ある筈だろ!?」
骸はただ嗤っている。
最初から、オレの話なんて耳にも入れていない。
そう、分かっているのに、どうしようもない気持ちで叫んでいた。
「好きなだけ好きなモノを食べて、好きなだけ好きな音楽を聴いて、ゲームの話でもテレビの話でも好きな人として、笑って疲れたって、そういうのが"楽しかった"だろ!?
おまえにだって、一緒に笑える人がいるんだろ!!」
いないとは言わせない。
自分を捨ててでも助けた人たちが居たんだ。口ではなんとでも言えばいい、だけど行動ではちゃんと、大切な人たちがいると示しているんだから。
帰る家が、もう他にあるんだから。
「もう、やめよう。帰ろう? 骸」
息が上がった。決して長くない叫びだというのに酸欠で脳が絞られる。
額に手をあてて、ふらつくのもこらえて、真正面から骸に、
多分、オレが言うべきではないことを、オレが言うしかなかった。
「おまえのこと、待ってる人がいるんだよ」
あ、と心の中で呆けた。
死んだ。と直感が諦めた。
刃物が見える。
真正面から振りかぶられる。
死ぬ。これは逃げられない。奇跡でも起きない限り、死ぬ。
骸は、真っ青な無表情で殺そうとして、オレを――――
真っ赤な刃物で視界が埋められる直前、
蓮が、見えた気がした。