メーラブルー

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「二人いっしょに寝泊りするのはいいんだけど、当分骸は帰ってこないよ?」

 ほかほかの湯気を立てたトレーを二つ持ちながら、大人のオレが骸の病室に入ってきた。
 帰ってこない、の言葉通り、骸は今いない。前から言ってた例の手術中だ。何を手術するのか分からない。骸も教えてくれなかった。
 大人のオレはトレーをオレに手渡して、自分も椅子を引っ張ってきて座る。一緒に食べるんだってことは察しがついた。
 トレーにはクリームのパスタとトマトスープが乗っている。向こうは離乳食みたいなおかゆがあるだけで、五日経ったのにまだ体調が戻っていないことが分かった。
「……だ、大丈夫なん、ですか?」
「? 何が?」
「ここでご飯食べて。寝てた方がいいんじゃ……」
「ああ、平気だよ。でもオレがここで食べたのは内緒な」
 それって平気じゃないじゃ。
 大人のオレは手を合わせて、いただきますと言ってスプーンを手に取った。食べ始めちゃったんなら追い返す気もなくなって、オレもフォークを持った。
「……なんで、一緒に食べようって思ったんですか?」
 ちょうどスプーンを口に入れた時に話しかけてしまった所為で、口を横に広げた格好で大人のオレが止まった。……自分で言うのもなんだけど、情けない姿だ。食事中だからって思っておこう。
「一人で食べるのが味気なかっただけだよ。これ全然味ついてないし。
 あと、どうせなら人の顔見て食事したいだろ?」
 気さくな返答だ。ちょっとだけほっとした。
 何か深い訳があるんじゃないかってびくびくしてたから。
 大人のオレと二人きりで顔を合わせるのは、今日が初めてのことだった。
「自分と顔合わせて食事するのはイヤ?」
「え? あ、いえ……や、じゃないです。けど」
「けど?」
「緊張、します……」
 くすくすと、白いおかゆをスプーンで掬いながら大人のオレが控えめに笑った。
「なんで? 世界で一番気を遣わなくて良い相手だよ、オレは」
 自分なんだから。
 確かにそうだけど、でも大人になってしまったオレは、世界で一番遠い人のようにも思えた。
「あなたがオレのこと、避けてるのかなって思ってました」
「うん。そうだね」
 あっさりと頷かれてしまって、反応に困る。気を遣わなくても良いって言ってたのに、避けるってどういうことなんだろう。
「でも自分が嫌いとかって訳じゃないよ? 未来の自分から直接影響を受けるのって、あんまり良いことじゃないなって思ったんだ」
「……あの、じゃあなんで今になって一緒にご飯なんですか?」
「そりゃあ、一人飯が寂しかったってのと。
 子供時代の自分が何か悩んでるみたいだから、見るに見兼ねて話を聞きに来たのでした」
 にっこりと好青年風に笑う大人のオレ。
 自分で言うのもなんだけど、良い人っぽい。自分だからこそ思うけど、なんだか胡散臭い。
「うーん、信じてないな」
「…………」
「まーまー、でも悩んでるってのは当たってるだろ? 若い内にストレス溜めるのは良くないよ。オレがダメなら他の二人にでも相談した方が良い。悩み事っていうのは人に話しただけで五割は解決することだから」
 話しながら思いついただろってぐらい適当なウンチクだった。
 でも今のオレには少しだけ当てはまることだ。五割ぐらいなら解決しそうだった。
「骸には相談できないです……」
「じゃあフランとか? 歳が近いしイイかもね」
「フラン? 骸の弟子っていう人?」
「そ。着ぐるみの子」
 あの蛙の頭を思い浮かべられたけど、ここに来ているとは知らなかった。誰も何も言わないし。骸は知ってるんだろうか。
「……でもオレ、よく知らないから」
「? ああ、そっか。まだちゃんと話したことない?」
「最初に未来に来た時に、一度だけ話しましたけど。悩み事を話せそうには見えなかったです」
 骸にお礼を言いに来た時に、散々からかわれたことを思い出す。
 率直な感想に対して、大人のオレは困った顔で苦笑した。確かに。そう言いたそうだった。
「根は良い子だけどね。あれでお師匠さま想いだし。骸が言うには反抗期気味らしいけど」
「それは、知ってます」
 水牢から出たばかりで具合の悪かった骸に、会わせないようあれこれがんばっていたって知ってるから。
「じゃあ、あとはオレしかないよ。折角だし話すだけ話してみたら? 相手は自分なんだからさ」
 オレのパスタは一向に減っていないのに、おかゆは着々と減っていってる。緊張しているのはオレだけで、大人のオレは自然体のまま落ち着き払っていた。時々スプーンを口に入れては、気長にオレを見守っていた。
 縮こまっている自分が卑屈に思えてきて、ますます話しづらい。
 黙っているならせめてパスタを食べようと、フォークに巻いたクリームパスタを口に入れた瞬間だった。
「悩み事って骸のこと?」
「――ッ、!」
 げほっ、盛大に咽てフォークを吐き出した。手の甲で口を拭って、顔を上げる。
 大人のオレは慌てることもなくやっぱり見守っていた。
「この状況で悩むといったら、自分のことか骸のことぐらいだろ? 自分のことでそこまで悩むことってオレは思いつかないし、だから骸のことかなって」
「…………はぁ」
 誰でもわかる消去法、みたいに言われてオレは気の抜けた声しか出せなかった。
「割と分かりやすいことだから、話せるなら話したほうがいいよ。多分あの二人にはバレてるから」
「へっ!?」
「あんまり接触しないようにしてたオレが気づくんだから、一緒に寝泊りしてる骸なんか最初から気づいてたんじゃないかな」
「――――」
「な、話してごらん」
 大人のオレが最初に言っていた、「見るに見兼ねて――」って言葉。
 言葉通り、なんだろうな。しかたがなさそうに、オレと一緒にご飯を食べて話を聞きだそうとしたんだろう。

「オレ、骸がよく分からなくて」
 ぼそぼそと喋る。自信がなくて小声に。
 でもしっかりと聞こえているのか、うん、と相槌が返って来た。
「部屋、一緒にしようって言ったの、骸なんです」
「…………そ、そうなんだ」
 万が一の時は一緒の方が良いっていうのが理由だった。骸はあまり大人の自分と、オレを信用していないってことも言ってた。
 オレも同感なところはあるから、同じ部屋なのは緊張するけど一緒にいるのはいい。
 問題なのは、それからだ。
「でも骸、オレを避けるんです……。避けるというか、無視するというか。話しかけたら返事はしてくれるんですけど」
「…………うん」
 話してると思い出してしちゃって悲しくなってきた。
 同じ部屋でずっといるのに、気まずくて居心地悪くて、骸の露骨な態度にいちいち傷ついていた。
「き、嫌われてる訳じゃないって、思うんですけど。でも嫌われてるみたいで……夜だって時々どこか行っちゃうし、訊いても答えてくれないし。オレには絶対ひとりで部屋から出るなって怒るのに」
「うーん……」
「黙ってる方がいいのかなって放っておいたら、すっごく不機嫌になっちゃうし。オレもうどうすればいいのか……」
 湯気の薄くなってきたパスタにもう手をつける気を失くして、オレはフォークから手を離した。
「それに、今日だって……」
「今日?」
「外で待ってるって、言ったんです。手術室の前にベンチがあったから。でも、アイツ、」
 あの時のことを思い出して、ついつい目が熱くなってきた。だって何もあんなこと言わなくたって。
「邪魔だって。気が散るから、むしろ居られたら困るって言ったんです。何もできないんだから大人しく部屋にいればいいって」
「そっか」
 なんか、慰めてくれるような苦笑いをされてしまった。
「だからさっきは不貞寝してたの?」
「……すること、ないし」
 不貞寝ってバレてた。でも仏頂面でゴロ寝してたら、そう見えちゃうか。
「気になって眠れない?」
「…………」
 気にしない訳ない。
 だって骸の右眼、どう考えてもなくなってるのに。
 それなのに本人は何も言ってくれない。訊いてもはぐらかしてくる。はぐらかすならまだしも、怒ってくる。
「気になるなら、傍で待っていればいいのに」
「でも、骸が、」
「骸が帰って来た時にそんな顔してるぐらいなら、傍で待ってて笑顔で迎えた方がいいよ。多分いい顔しないだろうけど」
 落ち込んでフォークが進まないオレと違って、大人のオレはおかゆを食べ終わって、ごちそうさまと手を合わせた。
「オレが言うのもなんだけど、アイツに振り回され続けたら何もできなくなるよ。骸はオレが何したって大体気に食わないんだから」
(それって、かなり嫌われてるんじゃ、)
 ますます落ち込みそうだった。
 そんなオレを、対面のオレは見透かすような目で見てくるのに、無責任にけしかけてくる。
「心配なら傍に行けばいい。行きたいなら、素直にな」
「素直に?」
「うん。素直に。人間、正直が一番だよ」
 正直から一番縁遠い人に、素直に会いに行くのか。やっぱり行きづらい。
「……あなたなら、こんな時どうしますか?」
「オレなら多分、ベンチで待ってるどころか、手術室の扉にかじりついてるんじゃないかな」
「――――」
 それはそれでどうなんだろう。
 でもその台詞のおかげで、少しだけ未来のオレと骸の関係を察することができたかもしれない。
 つまり、相手の言うことは一切耳に入れないってこと。
「心配で、ですか?」
「半分はね。もう半分は嫌がらせ」
 くすくすくす、と笑う大人。
 想像をしたのか、弾む声は愉し気で冷たい。氷と言うよりガラスみたいな。
 ……歪んでいる。と、思った。
(オレが、かな。それとも、二人とも、かな)
 大人二人が隣同士に立っている想像をする。ひび割れた鏡のようにしか映らなかった。

 大人のオレは口元を軽く拭って立ち上がり、トレーを持ち上げた。その所作にはぎこちないところもなくて、一月もしない内に体力は回復するのかもしれないと、素人目で見えた。
「もう帰るんですか?」
「うん。話はあらかた聞いたし、アドバイスも一応したしね」
 アドバイスって……素直にっていう、あれが?
「保健の悩みだったらお節介をするのもやぶさかじゃないんだけど。そういう事についてなら、オレしか味方がいないだろうし」
「保健?」
「そこは追及しないように」
 空のお椀の乗ったトレーを両手で持ちながら、大人は何の名残もなくあっさりと扉に向かった。
「あ、あの」
「手術が終わるまであと三十分だ。がんばって悩め、少年」
 ぱたん、と扉が閉じた。
 残されてしまったオレは、冷めたパスタではなく壁にかかった時計を最初に見上げた。
 あと三十分。
 それまでに早くご飯を食べてしまおうと思って――なんだ、と自分に呆れた。
 とっくに答えは出てたんだ。




  
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