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□第六章
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前田の風来坊の働きで伊達が出陣したらしい。それを先鋒に見立てた形で武田と上杉が出陣する。浅井・徳川は未だ織田包囲網に加える交渉が纏まらずにいるそうだ。瀬戸内の両雄は風来坊が訪ねている。

「はぁ…。」

私は息を吐き出した。何もできない私にも全ての情報は伝えられている。何かしなければと思っても出陣することは出来なかった。お館様は私に女の着物を贈られたけれど私は常に稽古着にしている白い袴を着ていた。未練だとわかっている。けれど戦場を完全に捨てることは出来なかった。戦況を伝え、女物の着物を贈る。どちらも成されている以上、お館様は私に選択を委ねている。それでも決断出来ないのは偏に私の弱さ故だ。

「凛ちゃん。出陣するよー。」

「佐助。」

出陣のときも必ず声をかけてくれる。最初は何も答えられなかった。今はなんとか返事を返せるようになっている。

「留守は預かる。」

一瞬の沈黙。

「うん、よろしくね。」

佐助はいつも通りヘラリと笑って消える。出陣した者たちの帰りを待つのが一番の苦痛だった。帰ってこない者もいるのだ。もっとも、あの負け戦以来、私は引きこもっていて皆とは関わっていないのだが。

「織田との戦…になるんだろうな。」

それならば、いつも以上に厳しい戦になる。帰りを待つしかない自分が不甲斐ない。皆は命をかけて戦っているというのに。











● ○











あ、帰ってきた。外が騒がしくなってそう気付く。けれど、なんとなくいつもと違う。私は慌てて部屋を出た。

「あ、お館様。」

よかった。お館様に何かあったわけではないのだ。いつもと違うこの雰囲気の原因は別にある。私は安心してお館様に近寄った。

「凛よ…。他国の怪我人を預かる。」

「?」

私は一瞬理解が追いつかず首を傾げた。しかし今回の戦は上杉と伊達との共闘であったことを思い出し頷く。

「わかりました。治療の準備を…。」

「奥州への帰路についているであろう独眼竜を呼び戻せ。奥州は遠い。我が屋敷に迎える。」

「え?…はい。」

私は慌てて馬の元にかける。雪嶺にはたまに会いに来ていた。誰もいないときを見計らって駆けさせたりもしていたので今も十分に駆けられるはずだ。

「雪嶺。久しぶりにめいっぱい駆けさせられる。」

近寄ってそう声をかけると雪嶺は嬉しそうに顔を摺り寄せてきた。この子も本当なら戦場を駆けたいのだろうに。私のわがままでこんなところに閉じ込めっぱなしでごめんね。心の中でそうわびながら鞍をつける。

「急がないとね。行こう、雪嶺。」

めいっぱいのスピードで駆けさせるとしばらくして伊達軍の集団が見えた。あの先頭におそらく独眼竜がいるのだろう。

「甲斐・武田の瀬戸凛也だ。独眼竜に話がある。通せ。」

少し空気がざわついた。通していいものか判断に迷っているのだろうか。何しろ私は現代で言うひきこもり状態であるし。子どもということになっているゆえに信用もないだろう。

「伊達軍を武田の屋敷に招きたい。奥州は遠いだろう。」

伊達軍は互いに目を合わせゆっくりと道を開けてくれた。私は雪嶺の腹を蹴りかけさせる。すぐに独眼竜に追いついた。

「独眼竜。武田の屋敷で伊達軍を預かる。奥州は遠いだろう。」

「政宗様。ここは武田の…。」

右目が武田の申し出を受け入れようと進言したとき独眼竜の身体が馬から落ちた。私は驚いて馬をとめる。

「独眼竜!」

馬を下りる。右目も独眼竜に駆け寄っていた。腹に傷があるようだ。私は傷口を覗いた。銃創、のように見える。織田軍の鉄砲隊だろうか。

「武田の屋敷に来い。治療の準備はあるはずだ。」














○ ●













「お館様。伊達政宗殿が腹に種子島を受けたようです。」

「…そうか。凛よ。口から流し込めるものを用意させよ。独眼竜は鎧の間に通す。」

私は急いで食事を用意している下女たちのもとに行った。近くにいた下女の一人に声をかけるとすぐに液体のような食事を用意してくれた。私はそれを受け取るとすぐに鎧の間に向かう。


「ここだったな。」

私は鎧の間の襖を空ける。そこには横たわる独眼竜とそばでじっと座り込む右目がいた。

「食事を持ってきた。」

どうすればいいのかわからず私は右目と向かい合って独眼竜をはさむように正座する。食事を乗せた膳を隣にそっと置く。右目は私をじっと見つめた。

「……鍛錬は怠っていないようだな。」

唐突に右目が呟く。私はハッとした。何も言えずに俯く。右目は少し迷うようにしながらも言葉を続けた。

「相手は魔王だ。お前ほどの戦力を使わないのは惜しい。」

「……あぁ。」

頷くのも憚られ私はうなり声とも言えるような曖昧な声を発した。このままではいけないというのは自分でもわかっている。ただ、だからといって戦場に立つ自信はなかった。

「………政宗様を頼む。」

「あぁ。……え?」

「瀬戸の代わりにオレが武田を手伝ってくる。心を決めておけ。」

右目は言い捨てるような形で部屋を出て行った。私は右目の言葉の意味を考える。独眼竜の世話をするならここでジッと腰を落ち着けて考えられる。だから、自分の命よりも大切な主を私に任せたということだろうか。確かに武田の館に収められたけが人達の看病をしていては落ち着いて考えることなどできないだろう。

「…そういうことなら、右目の心に誠意を持って答えるべき、なんだろうな。」

呟いて私はゆっくりと戦場に立つ自分を想像してみた。そのとき視界の片隅にお膳が入り込む。忘れていた。独眼竜のために口から流し込める食事を持ってきたんだった。それにしてもどうやって流し込めばいいんだ?

「あ、いたいた凛ちゃん。竜の旦那と二人きりで何やってんの?夜這い?」

「佐助。ちょうどよかった。これ、どうやって食べさせればいいんだ?」

私は佐助の発言を完璧に無視して質問を返した。佐助はお膳と独眼竜にチラリと視線をやるとニッと笑った。

「口移しでしょ。」

は?と思って反論しようとしたら「じゃ、俺様仕事でかすがに会いに行ってくるから!頑張ってね〜」という言葉を残して佐助は消えていた。

「速っ。さすが忍。」

でも…これ本当に口移しなのか?誰かに聞いてみようかな。私は襖を開いて廊下を見渡す。誰もがバタバタと忙しそうに働いていた。うん、こんな間抜けな質問できる雰囲気じゃない。

「いや、これ、でも多分いけるよね。この匙で喉に流し込めばいいわけだから。」

うんうん、と自分を納得させる。だってこんなきれいな男と唇を合わせるなんて緊張するじゃないか。絶対できるわけない。もはや独眼竜の顔見てるだけでドキドキするくらいだ。もう、こうなったらサッサと食べさせてこの緊張を忘れるしかない。

「これで大丈夫か。うん、多分大丈夫だな。」

なんとか椀の中身を全て独眼竜の口に流し込むと私は溜め息をついた。さて、今の状況はどうなっているのだろうか。多数のけが人がこの館に集まっている。独眼竜の軍はどうやら全軍ここに留まっているようだが、上杉軍はけが人しかいない。他は越後に戻ったようだ。右目の言葉からしても今回は負け戦で魔王は余力をかなり残しているようだから、魔王の侵略に備えて戻ったということだろう。反旗を翻した東国連合軍を魔王は放っておくことはないはずだ。つまりは近いうちに決着をつけることになる。私は騎馬隊を率いていたこともあるくらいだから戦力になるはずだ。

「はぁ…。」

結局状況がわかったところで決心がつくわけではない。相変わらず意識が戻りそうにない独眼竜を見下ろしながら私はため息をつくことしかできなかった。
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