それからU
□操舵不能
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「はい・・・・3・2・1!」
小さな分厚い本を小脇に挟み、椅子に座るマルコの前でパンと一つ手を打った後、不安げにその顔を覗きこんだ名無しさん。
かっくりと垂れたマルコの頭を下から覗き込むようにしゃがみ込み、上目遣いに見つめたまま小さな口を開いた。
「マ、マルコさーん?」
どんなに控えめに呼びかけても、いつもは必ず返事を返してくれるマルコだが今はその瞳を閉じたまま微動だにしない。
「え、嘘。ほんとにかかっちゃった?」
驚きに若干目を見開いた名無しさんは、左手に持った厚い本をジッと見つめたのだった。
「催眠術だぁ?」
書庫へと行っていた名無しさんが、探していた文献の代わりに持って帰って来た小さな分厚い本を手に取り、マルコは珍しく素っ頓狂な声をあげた。
「はい!すごいんです!」
興奮気味に頬を染め、瞳をキラキラと輝かせた名無しさんを見下ろし浅くため息をついたマルコが、手にした本と名無しさんを交互に見比べる。
「・・・で?」
「はい?」
パラパラとページを捲りつつ出されたマルコからの突然の疑問符に小首を傾げて反応した名無しさん。
さらりと流れる彼女の髪がその柔らかそうな頬にかかるのをチラリと見やったマルコが、への字に曲げた口を面倒臭そうに開く。
「おめェは誰を意のままに操りたいんだよい?」
「え?・・・・・特には。」
困ったようにニヘラと笑う彼女に、手元の本を手渡したマルコがニヤリと口角を吊り上げた。
「オレにかけてみるかよい?」
「どうしよう・・・かかっちゃった。」
オドオドと額にうっすらと冷や汗までかいて動揺した名無しさん。
ピクリとも動かないマルコの肩を遠慮がちに揺すったのだったが、それでも起きない彼に焦り、手に持った本を慌てて捲りだした。
パラパラと捲った手順のページをツツと指で辿り、眉間に寄せた皺を濃くした名無しさんが、意を決したかのようにスクと立ち上がった。
椅子にダラリと腰をかけたまま眠るマルコの背後へと立ち、その大きな肩へと手を当ててゴクリと一度喉を鳴らした名無しさんが、震える唇を開いた。
「目が覚めたら貴方は・・・鳥になります。」
控えめに出された声と共に肩に当てた手でポンと軽くマルコの肩を叩いた名無しさんが、ゆっくりと持ち上がるマルコの頭に、もう一度コクリと喉を鳴らす。
うまく行けば、最近めっきり見ることのなかったマルコの不死鳥姿を堪能できると、仄かな期待を込めてその震える足を進めてマルコの前へと回る。
「マルコ、さん?目、覚めました?」
ゆったりとした動作で頭をあげ、いつもよりも細めたの焦点の定まらない目で名無しさんを見たマルコは、心配げに見つめる彼女と目が合った後、徐に椅子から立ち上がった。
「サッチさーん!!」
何の前触れもなく自室のドアを思いっきり開かれたサッチは、その声の主に驚き開いていた本を素早く閉じて枕の下へと滑り込ませた。
「名無しさんちゃん!どど、どうしたの?」
「マルコさんが!マルコさんが!」
血相の変わった顔に涙を浮かべた瞳、全力で走ってきたのかハァハァと息を乱しつつも勢いよくサッチに向かって飛び込んできた名無しさん。
慌てて本を隠しつつもいつもとは違う取り乱した様相の彼女に、サッチも即座にベッドから飛び降りた。
「マルコが?どうしたの?」
「わ、私のせいなんです!」
それだけ言ったきり、胸元で咽び泣く名無しさんの肩を擦りながら先を促すサッチだったが、一向に落ち着く様子のない名無しさんに今度は自ら質問する。
「で?マルコは部屋?」
コクリと一つ名無しさんが頷くのを確認したサッチは、名無しさんの肩を抱いたまま、急いでマルコの部屋へと向かったのだった。
敵襲も何もない船内で、よもや生命の危機などではないであろうと思っていたサッチだが万一を思いそれでもマルコの身を案じ出来うる限り急いで部屋へと駆けつけた・・・のだが。
「マルコ!!・・・・なにこれ。」
閉められた扉を力任せに開けて、危機だという兄弟の名を呼んだサッチが、一瞬の後固まった。
そこには、広々とした部屋を所狭しと駆け回り、羽に見立てた腕をバタバタと羽ばたかせて一心になにやら鳴き声を発するマルコの姿だった。
(ごめんなさい!)
(え?・・・なにこれ)