桜の咲く頃に月は昇る
□桜の咲く頃に
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1、泡抹の幸せ
5年前のあの日、俺は、あいつとケンカをして、『じゃあな』と言って、別れた。
どうしようもできない後悔と共に…。
ケンカの原因は、任務で淑乃が、俺たちをかばって怪我をしてしまって、助けた、助けなかったで口論になった。
「はっきり言っておこう!君は、何も出来なかったんじゃない!何もしなかったんだ!」
「何だと!」
―バシャ!
トーマは、トドメの一言を言って、俺はぶちギレて、トーマの顔めがけて飲みかけのコーラをかけた。
「ちょっと!大!」
淑乃は、トーマの顔をハンカチで丁寧にふく。
トーマは、淑乃の手を払い、踵を返した。
「おい!逃げんのかよ!トーマ!」
トーマはゆっくりとだが、はっきりと言った。
「顔を洗ってから、帰るよ。じゃあね…。」
「ああ!もう二度と来るんじゃねぇ!」
これが、最期の会話になった。
あの日の帰り道は、雨が降っていた。
俺は、淑乃が運転する車に乗っていた。
車内に、雨音が、気持悪いほど、広がる。
―パンッ!
淑乃は、赤信号で、停まり俺の頬を殴った。
俺は、頬をおさえる。
「痛ぇ!痛ぇじゃねぇか!何すんだよ!」
・
淑乃の目から涙が、とめどなく流れていた。
「あんた…。トーマにあんな酷い事言って何も思わないの!悪い事言ったって思わなかったの!」
俺は、突然の事で、何も言えなかった。
信号が青に変わり、淑乃は、車を走らせた。
俺たちは、黙ってしばらく車に揺られていると、俺の家に着いた。
「とりあえず、ありがとうな。」
「あっそう!じゃ、また、明後日ね!」
「おい!それを言うなら、また、明日だろう!まだ怒ってんのかよ!いい加減にしろよな!」
淑乃は、つんとした態度で、車を走らせる。
そういえば、雨、あんなにひどかったのに、いつの間にか止んでいた。
「えっ…。」
翌朝、電話越しでの、隊長からの背筋が凍る一言で、ばっちり目が覚めた。
「トーマが…、死んだって…、どういう事だよ!」
『詳しい事は、お前が来てから話す。だが、トーマが死んだ事は確かだ。』
俺の手から、受話器が、スルッと、落ちた。
『大!どうした!聞いているのか!』
俺は、受話器を拾って電話を切った。
ちらっと受話器を持っていた手を見た。
震えていた。
「ウソ…だろう!」
俺は、壁を殴った。
・
ここは、トーマの死体が、安置された葬儀場。
「うっ、うう…ひっく…。」
誰かが泣いている。
いや、俺が、泣いているんだ。
なんで?
「泣く時は、思いっきり泣けばいいのよ。涙の数だけ、彼への弔いになるわ。」
淑乃の胸の中で俺は泣いていた。
「おっ、俺ぇ、あいつに、謝りたかった。本当は、分かってたんだ。俺が悪かったって…。意地なんて張るんじゃなかった!生き返ってくれよぉ!トーマぁ!」
「大ぅ!」
淑乃は、泣きながら、俺を強く抱きしめる。
誰か、嘘だって言ってくれ。
あいつが、トーマが、死んだなんて…。
隊長と淑乃の話によると、雨が降った昨日の夕方頃、俺が車の中で、淑乃から殴られ説教をされたあの時に、トーマが乗っていた車が、追突事故に遭ったらしい。
見つかった時は、まだ生きていたが、今朝、死んだということだった。
「出来るなら、俺が替わってやりてぇよぉ!」
「そんな事言わないで!」
淑乃は、かぶりを振りながら言う。
「そろそろ、出棺の時間だ。もう行こう。」
・
俺は、淑乃に抱かれたまま、トーマの棺から離れた。
気を落ち着かせる為、俺は淑乃と外に出た。
見上げると、煙突からもうもうと煙が出ていた。
トーマが、燃えている…。
存在が、消えてしまう…。
そう思うと、体の震えが止まらない。
涙が止まらない。
「トーマね、私を助けてくれた時、生きろって言ったの。まるで、こうなる事を知っていたみたいに。」
そう言うと、淑乃は、胸元を開いた。
淑乃の胸には、任務の時に出来た十字の傷がある。
「きっと、この傷、一生消えないと思う。それでもいいわ。この傷は、トーマが残してくれた、私の…、誇りだから…、だから、あんたにも生きて貰わないと困るのよ!」
俺は、ただ、体を震わせ泣きながら、煙突を見上げている。
淑乃の言葉は、聞えていた。
「大、約束して!何が、あっても、トーマの事で、自ら命を絶たないって!」
俺は、淑乃の方を向いた。
「もし、あんたが、そうしたら、私も、死んでやる!この胸の傷に誓って!」
その言葉を聞いた途端、体の震えが止まった。
「じょ、冗談だろう?駄目だ!そんな事、そんな事、俺がさせない!」
俺は、淑乃の胸に顔を埋めた。