『デートするなら』

休日も重なってるから、すこし遠出しない?

なんて、よく言えたものだな、といつもよりもこんがらがりつつある頭のどこかは冷静に思う。
もともとその提案をするために電話したんじゃないのに、彼の声を聴くと私はいつもこんな感じだ。落ち着きのある整った顔、とかパパはことあるごとにもてはやすけれど、落ち着いてるだなんてとてもじゃないけど言えなかった。

電話の向こうからは慌てた声がしていた。私が彼の声を聴くと舞い上がってしまうのと同じように、この人もそうなのかもしれない。でも、そんなうれしい期待はあまりしたくなかった。もしそうじゃなかったとしたら、私は立ち直れなくなりそうだから。
私は笑うだけにしておいた。

じゃあ決まりね。

と、自分がそう言うのを聞いて、私以上にどたばたしている彼がしどろもどろするのにまた笑ってしまった。「あの、これって…」の続きになにを言おうとしたのかは追いかけないことにした。気が付くと、私の手は受話器を置いていた。指がちょっと震えていた。

「ポーラ、どうしたの?」
庭から洗濯物を山と積んで戻ってきたママが、電話の前に立ち尽くす私を見つけた。「電話帳なら、赤い引出しのなかよ」

「ううん」
飛び上がりそうになりながらも、私はにっこり笑って首を振った。私はママがそこにいることにすら気づいていなかった。
「いまかけ終えたところなの。今週、出かけてくるね」
「あらあら。どこに? いいわねえ。お友達と? …じゃないわね、いいわ、楽しんでらっしゃい」
察したような顔つきでママは微笑んでリビングに入って行った。私の表情はそんなにわかりやすいんだろうか。私は今までについてきた細々した嘘とかがばれているんじゃないかと少し不安になってしまった。パパのシャツを畳むママの背中からは、それだけで大人の余裕がたっぷり感じられた。
「うん。夕ご飯、出かけ先で食べるから、日曜は要らないわ」
逃げるように声をかけて、私はリビングから出た。

さっさと足を速めたつもりでいたのに、その足音がママにはどう聞こえたのか「はいはい」と優しく笑う返事が後ろに聞こえた。

階段の途中でパパがコップを持って降りるのと出会った。本を片手にパパはなぜか涙ぐんでいた。巷で有名な作家が書いた、親子愛を描いた作品であるらしいことがタイトルから読み取れた。充血しかけた目が、踊り場あたりにいる私を見つけてパチパチ不思議そうに瞬いた。
「どうしたんだ、そんなに楽しそうにスキップして。うれしいことがあったのかい?」
「えっ」
スキップ? 私はびっくりして自分の足元を見た。当然、パパとこうして話してるのだからいまは立ち止まっているわけで、スキップはおろか歩いてさえいなかったけれど。確かに少し歩き方はうきうきしていたかもしれない。言われるまで気づかなかったけれど、私はさも嬉しそうな感じに頬が緩んでいた。

「ううん、なんでもないの」
とりあえず私はパパの目を見ずに慌てて返事した。彼とフォーサイドでデートするの、って、パパに告白するのは反応を楽しめるくらい余裕があるときじゃないと、できそうにない。
疑わしそうに私を見るパパを避けるように私はその場を後にした。

頭のなかは週末のことでいっぱいいっぱいだった。
何を着ていこう。あの人はどんな服を着てくるかな。いまごろ困ってクローゼットを引っ掻き回してたりして。

自分の部屋に到着して、私は一息ついた。
たぶん、彼のことだから、悩みに悩んだ末、結局いつも通りの服装で来るんだろう。私はどうしよう。フォーサイドといったら、おしゃれな人たちがいっぱいいるおしゃれな街なんだから、まさかいつも着てるような馴染んだワンピースなんて着られない。別に大した汚れもなくって、しわにもなってないし、着る分には何にも問題はないけれど、やっぱりこれを着ていくのは気が引けた。もっとおしゃれしなくちゃ、あの人、ほかのかわいい子に目移りしちゃうかもしれないじゃない? 流行遅れとかそんなんじゃなくて、私はそれがなんとなくいやだった。せっかくお出かけするんだから。

私はテディベアのぬいぐるみをソッと撫でてからクローゼットの扉を開けた。
これは先月買ったもの、これはママからもらったもの、これは誰かからのお下がり、これは…。
目についた服すべてを手に取ってみると、ほとんど全部がワンピースだった。流行に合わせていろいろと小物がついているけど、暖かい色のふんわりしたスカートはどのワンピースにも共通していた。気に入ってるからなんだけど、少しくらい違うのも持っておこうかな、と私はハンガーを裏に返しながらぼんやり考えた。

この襟のないのは確か前に彼と会ったときに着て行こうか迷ったもの、こっちは大人っぽくて憧れるけど身体のラインが出すぎるもの、それでこっちは彼と一緒に見て買ったもの。



あっちこっちハンガーをとって、つい最近手に入れた姿見に合わせて見る。出かける前に念入りにチェックするために、パパから譲ってもらったものだった。パパは最近体の線が緩んできてしまったから、あんまり鏡を見たくないんだそうだ。反対に、私は最近気になって仕方がなくなっている。髪の毛がぼさぼさだとか、目元がむくんでるとか、くびれがもっとほしい、とか、私は鏡の前に立つたびに自分の体にいろいろ注文をつけてしまう。この前それを彼にぼやいたら、彼はきょとんとして私を見つめ返していた。好き勝手に広がる黒髪がなんだか可笑しくって、私は気持ちが軽くなって笑ってしまったけれど。

クローゼットに何着かを戻して私は記憶のいくつかのシーンを甦るままにした。去年の夏の日だって、一昨年の冬の朝方だって、私は息がつまるような、でもどこか宙に浮かんでいるような距離で彼のそばにいた。どの場面だって、私のなかの彼は笑顔だった。

あの人と会うと、いつだってそうだ。彼は私の絡まった心の糸をほぐして、いつの間にか私を彩るリボンに変えてくれたし、恥ずかしくて見返せないあの瞳はどんなときもまっすぐで、私を捕らえて離してくれない。瞼を閉じても、そのまなざしの強さに翻弄されそうだった。

大きなカラーがついたピンクのワンピースを何度か合わせて、私は久しぶりに鏡のなかの顔をよくよく見返して、赤く染まった頬に仰天した。すぐ顔に出てくるんだから!


でも、このワンピース、いい感じ、かな。これにしよう。

ピンク色になった頬とおんなじ色をした生地をまた見返して、私は決めた。
これと、お気に入りの赤い靴にしよう。勉強机の下にしまってあった箱を取り出して、中を確かめ、私は頷いた。

何て言ってくれるかな。私は壁にかかったカレンダーを振り返った。
何週か前につけられた赤丸からあまり時間は経っていないけど、私はまたインクペンを取った。弾む気持ちはもう抑えきれなかった。

ひとり含み笑いをして、sundayのところに、とびきり大きなハートマークを囲った。早々に決めたコーデを窓カーテンのそばに掛け、私はクッションを抱きしめてベッドに飛び込んだ。

日曜日…早く来ないかな!


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