長編2

□CROSS ROAD 14
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フワフワとした浮遊感に全身を包まれたまま、虎徹の意識は暗闇の中をさ迷っていた。

(ああ、またいつもの夢か…)

そう思って前を見ると、前方に人影が見える。

(あれは…)

その後ろ姿には見覚えがあるような気がする。
長い黒髪、あのシルエットは…。

「友恵、なのか…?友恵!」

振り返らない背中に必死に呼びかけ、虎徹は手を伸ばした。

「待ってくれ、友恵!」

だが、もう少し、後少しで手が届くという距離で彼女の姿は消えてしまう。
呆然と立ち尽くす虎徹の耳に「今までありがとう。それと…さよなら、虎徹くん」という彼女の声だけが残された。

「…ひでーよ」

震える涙声でそう、呟く。
ズルいじゃないかと、虎徹は思った。
ありがとうも、さよならも、自分が彼女に伝えたかった言葉だ。

「自分だけ言いにくるなんてよ」

込み上げてくる涙を堪えるために拳を握りしめた虎徹は、傍に別の人間の気配を感じて顔を上げた。

「…だれ、だ?」

この気配にも覚えがある。
いつも彼の身近にいる誰かのもの。
目を凝らすとぼんやりと明るい光に包まれた人物が闇の中に現れた。
それは…。

「バニー…」

すっかり見慣れた年下の相棒がいつもの仏頂面でなく、優しい笑みを浮かべてこちらを見ていて虎徹は面食らった。

「なんで、お前…」

ふと、これは何もかも全部、自分に都合のいい夢じゃないかと虎徹は気づいた。
自嘲の笑みを浮かべた彼が再び、闇の中へ深く潜ろうとする。

「虎徹さん…」

その時、はっきりと己の名を呼ぶ声がした。
聞こえないフリをして眠りにつこうとする彼の名が再度、呼ばれる。

「虎徹さん!」

その声があまりにも悲しげで、痛々しかったから…虎徹には無視することが出来なかった。

「…泣くなよ、バニーちゃん」


−お前に泣かれると、俺どうしていいか分かんなくなるんだよ。

一歩ずつ近づいた虎徹がバーナビーの体を抱き締めた瞬間、浮遊感は消え、虎徹の意識は引き戻された。





「ん、…あ…?」

重い瞼をこじ開けると、見慣れない白の天井が目に飛び込んできた。

「目覚めました?」

声の方に視線を向けると、そこにはバーナビーの心配そうな顔が見える。
夢の中のように、彼は泣いてはいなかった。

「バニー…よかった」

ホッとして頬を緩ませた虎徹をバーナビーが不思議そうに見つめる。

「…大丈夫ですか?虎徹さん?」
「…あ、ああ。わりぃ」

長い眠りから覚めた割には妙に頭はスッキリしていて、虎徹は辺りを見回すと己の状況を悟った。

「俺、倒れたのか?」
「ええ。丸一日、ずっと眠りっぱなしでした」
「そんなに?」

右手に固定された点滴を見た彼はうんざりと言った表情でため息を吐く。

「診察した先生はしばらく検査入院が必要だと言ってましたが」
「…悪かったな、迷惑かけて」

申し訳無さそうに虎徹が言ったその瞬間

「そんな言い方、止めて下さい!」

突然バーナビーが声を荒げた。

「バニー?」
「迷惑なんて誰も思ってません!みんな、どれだけあなたを心配してるか、」
「お、おい、ちょっとバニー。落ち着けって」
「あなたは、僕がどんなに心配したか分かりますか?」

虎徹の脳裏に先ほどの夢の中のバーナビーが浮かぶ。

−ああ、そうか。やっぱお前、泣いてたのか…。

「ごめんな、バニー。心配かけた」

素直に言い直した虎徹に照れ臭くなったのか、バーナビーは「いえ」と小さく答えて視線を逸らした。

「さてと…」
「虎徹さん?」


どっこらしょとベッドの上に起き上がった虎徹を見たバーナビーは、彼が点滴を引き抜こうとしているのに気づき慌てて止めに入る。

「ちょ、何してるんですか?」
「ん?ああ、帰るんだよ」
「帰るって、あなた何を言って」
「点滴も検査も必要ねーよ。俺はどこも悪くないんだからな。すぐに退院だ」

まるで駄々っ子のように口を尖らせる虎徹の顔色は、まだ回復からは程遠い。
バーナビーは一つため息をつくと、真正面から彼を見据えた。

「…そうですね。確かに検査をしてもあなたの体に異常なんて見つからないでしょうね」
「……どういう意味だよ?」
「問題があるのは体じゃない、心の方だって言ってるんです」
「なっ…!」

驚きのあまり声も出ない虎徹を見下ろしたまま、バーナビーは言葉を続けた。

「あなたの奥さんの名前、ともえさんって言うんですか?」
「お前…なんでそれを」
「虎徹さん、眠っている間、何度かうなされて…うわごとでその名前を呼んでいました」

羨望を含んだ声でそう告げられ、虎徹が苦々しく眉根を寄せる。

「それに、悪いと思ったんですが、ロックバイソンさんからあなたの過去についても聞きました」
「…そっか…」

虎徹はポツリと呟いたきり黙り込んだ。

「勝手なことしてすいません」
「謝ることはねえよ。俺だってお前の過去調べたこともあるし、別に内緒にしてるわけでもないからな」

苦笑いというよりは泣き笑いに近い表情を浮かべて、虎徹はベッドの端に座り直した。

「なあ、バニー」
「何ですか?」
「俺さあ、普段お前らにエラそうなこと言ってるけど、ほんとは臆病なんだよ」

突然何を言い出すのかと内心戸惑いながら、バーナビーは黙って耳を傾ける。


「守りたいものを失うのが怖くてたまんねえ。友恵を失った時みたいに、あんな思いするくらいなら、いっそ…」
「……」
「最初から何も望まない方がいいんじゃないかと思ったりしてさ」

虎徹のその気持ちは分かるような気がした。
同じように大切な人を亡くしたと言っても、バーナビーの両親は殺された。
両親を奪った相手を憎み、復讐を果たそうとすることで、彼は人生に折り合いをつけ生きてこられたのだ。

だが、虎徹は違う。
妻は病気でこの世を去り、恨む相手も存在しない。
さよならも言えず、なおかつ最期を看取ることが出来なかったという事実が長い間、彼を苦しめている。
いや、むしろ虎徹自身がそうやって自らを責めるようにして生きてきたのだ。

「僕だって、失うのは怖いです」

でも、とバーナビーが虎徹の瞳を静かに覗き込んだ。

「それでも僕は、あなたのそばに居たいと思っている」
「バニー…?」
「僕の背中をあなたに預けます。だから、これからはずっと、あなたのそばに居させて下さい」

琥珀色の瞳が大きく見開かれ、微かにまつげが震える。
まるでプロポーズの言葉のように淀みない口調で言い終えると、バーナビーは穏やかに彼を見つめた。









つづく


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