長編2
□シーソーゲーム7
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虎徹の待つオフィスへと続く廊下を重い足取りで歩きながら、バーナビーは先ほどのマーベリックとのやり取りを思い出していた。
『実はスポンサー企業の社長の娘さんが君の熱烈なファンらしくてね。見合いというか、ぜひ会って食事でもと言ってきてるんだ』
『はあ…』
『…あまり気乗りしないようだね』
『そんなことは…』
『まさか、誰か気になる女性がいるのかな』
一瞬ドキッとして口を閉ざしたバーナビーをマーベリックが見つめる。
何もかも見透かすような眼差しが怖くて、彼は静かに目を伏せた。
『…いえ、別に』
『そうか…なら、食事をするだけでもいい。一度、彼女に会ってもらえるかな』
『……』
『これは我が社にとっても悪い話じゃない。ああ、もちろん無理強いする気はないんだよ』
畳みかけるようにそう言われると、実際にはもうバーナビーに断る余地など残されてはいない。
『どうかね?バーナビー』
『…分かりました』
意を決して顔を上げたバーナビーの目に、マーベリックの満足げな表情が映る。
『ではさっそく、向こうに連絡を入れるとしよう。また日時が決まり次第、君には知らせる』
『…あの、マーベリックさん』
『なんだね?』
『一度会って食事をするだけ、それでかまわないんですよね』
バーナビーが念を押すように、それでも遠慮がちに尋ねると、人の良い笑みを浮かべたままマーベリックは顔の前で手を組んでみせた。
その口元が密かに歪む。
『もちろんだよ。人の気持ちなんて所詮は操れないものだ』
ホッと安堵の息を吐いたバーナビーはゆっくりとソファから立ち上がった。
『それじゃ、僕は仕事に戻ります』
『ありがとう、バーナビー…助かるよ』
ふと立ち止まり、ぼんやりと廊下の窓から外を見る。
ついこの間までは明るく輝いていた景色が今は暗く淀んで見える気がして、バーナビーは力無く笑った。
―例えば虎徹の記憶が失われていなければこの話を受けなかったかと問われれば、それは否だ。
どちらにしても、会社のためだとマーベリックに頼まれればきっと、バーナビーは断ることが出来なかったに違いない。
…だが、どう結論づけてもバーナビーの中でそれは自らを正当化する理由にはならなかった。
「…何を言っても言い訳にしかならないな」
自嘲気味に零した彼はついには考えることをやめて、再び歩き始めた。
「お、戻ってきたな。社長の話って何だったんだよ?」
バーナビーの気も知らず、部屋に入るなり虎徹は彼に質問を浴びせかける。
「いえ、別に…」
沈んだ声にますます気をよくした虎徹はバーナビーに詰め寄り肩に手を回すと、耳元に唇を寄せた。
そして少し声のトーンを落として囁きかけた。
「その様子だと、やっぱお説教だったんだろ?」
「…違います」
「またまたぁ、んな隠すことねーだろ」
「そんなんじゃありませんから…」
バーナビーの口調が苛立ちを抑えたものに変わりつつあることに、事務員の女性はいち早く気づいたようだ。
だがデスク前のパソコンから顔を上げた彼女が口を挟むより先に、虎徹がからかうように言った。
「オジサンが慰めてやろーか?」
その途端、パシン!と乾いた音がして虎徹の手が勢いよく振り払われた。
「いい加減にして下さい!そんなんじゃないって言ってるのに!」
「バーナビー…?」
「あ、……」
右手を思いっきり叩かれた虎徹は呆然とバーナビーを見つめる。
「今のはタイガー、あんたが悪いわね」
いつもの小競り合いとは違う険悪な雰囲気にいたたまれず、事務員の女性は静かに立ち上がると部屋を出ていった。
残された二人の間に沈黙が漂う。
「…んー、悪かったな」
「……」
「ちょっとやり過ぎた」
素直に頭を下げる虎徹にバーナビーも気まずくなり、「僕の方こそ…」と小さく呟いた。
「実は、」
二人きりになった安心感からか、真っすぐに虎徹を見据えたバーナビーはようやく重い口を開き始めた。
「マーベリックさんにお見合いを勧められたんです」
「は?お見合い?」
「えっと、お見合いというか…正確に言うと、スポンサー企業の社長の娘さんと一度会って食事をして欲しいと言われたんですが」
虎徹の反応を探るように慎重に言葉を選んで説明する。
「へぇー、そいつはすげーじゃん」
顔色も変えずにそう言うと、虎徹はバーナビーに笑ってみせた。
「いわゆる逆玉ってやつか?やっぱハンサムは得だよなあ」
嬉しそうに言う目の前の恋人の言葉はバーナビーを深く傷つけた。
まるで頭を鈍器で殴られたような衝撃に、うまく言葉が出て来ない。
「どうした?」
返事のないバーナビーを虎徹が心配そうに覗き込む。
「…いいん、ですか?」
ようやく絞り出された声は消え入りそうなもので。
「え?何て言ったんだ?」
虎徹は聞き取れずに再度聞き返す。
「あなたは、それでいいんですか?」
何故か真剣な面持ちで問いかけてくる若者の真意が分からなくて、虎徹は不思議そうに首を傾げた。
「いいも悪いも、俺が口出しすることじゃねーだろ」
ぐらりと足元が揺らいだ感覚にバーナビーは奥歯を噛み締めた。
虎徹の言うことは正論だ。
今の自分達はただの仕事上のパートナーであり、それ以上でも以下でもない。
「お前って、そういうこと干渉されるの嫌がりそうなタイプかと思ったんだけどな…」
痛いところを突かれて、バーナビーが眉を寄せる。
確かに昔の自分はそうだった。
虎徹と知り合うまでの自分は…。
「…もしかしたら、あの頃の僕の記憶があなたの中に残っているのかもしれませんね」
ますます意味が分からないと言った様子の虎徹にバーナビーは淋しげな笑みを浮かべて見せた。
「…変なこと聞いてすいませんでした。さっき僕が言ったことは忘れて下さい」
「…おい、意味わかんねーってば」
「分からなくていいんです」
そう言うと、バーナビーは虎徹に背を向け足早に立ち去ろうとする。
「おい!バーナビー!」
呼びかけにも足を止めずに部屋を出て行ってしまった彼の背中を、虎徹はじっと見つめる。
「なんだあ?あいつ」
ただ、去り際のバーナビーの顔が泣き出しそうだったことに気づいて、また虎徹の胸は痛むのだった。
つづく
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