短編3

□臆病者とさようなら
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無機質な白い壁に囲まれた病院の廊下はどこか独特な匂いがする。検査を終えたバーナビーは早く自宅へ戻ろうと、歩くスピードをわずかに速めた。
すると前方から見覚えのある男がこちらに向かって手を振っているのが見えた。
ヒーロー仲間だったロックバイソンだ。個人的にあまり話をしたことはなかったが、彼の方は親しげな笑みを浮かべてこちらに近づいてくる。
あの年代の者たちは皆ああなのだろうかと一瞬、元相棒の顔を思い浮かべたバーナビーは仕方なく自分も軽く会釈をしてそれに応えた。
すでにヒーロー界を引退した身とは言え、一応は先輩にあたる彼を無視して通り過ぎる訳にもいくまい。

「よお」
「どうも」

体格が良く、病気とは縁遠そうな彼はバーナビーとは違う意味で目立っている。
適当にやり過ごしてさっさと立ち去ろうと考えたバーナビーは瞬時に頭の中で会話のシミュレーションを始めた。

「お前も虎徹の見舞いか?」

だが彼の発した一言で、それらは全部吹っ飛んだ。

「いえ…僕は検査を受けに」

ロックバイソンの言葉を聞いて、そう言えばこの病院には虎徹が入院していたのだと今さらのように思い出した。別に全く忘れていた訳ではない。どこか顔を合わせづらくて努めて思い出さないようにしていただけのことだ。

「検査?どっか悪いのか?」
「ああ、そうじゃなくて、マーベリックに記憶を改ざんされていた影響を調べるために定期的に通ってるんです」
「そうか…」

一瞬、心配そうに眉をひそめたロックバイソンだったが、検査が身体的な原因によるものではないと分かると口元を緩めた。

「で、大丈夫なのか?」
「はい。今のところ、特に問題はなさそうです」
「ならよかった」

廊下で立ち話もなんだしと、人気のない待合室に場所を移動する。
備え付けの長椅子に並んで座ると、バーナビーはおもむろに口を開いた。

「あの、虎徹さんは?」

それはずっと気になっていたことだった。
マーベリックにいいように操られ、挙げ句の果てに虎徹を傷つけ、殺しそうになった。
周りの者たちは皆、あれはマーベリックのせいでバーナビーは悪くないと口を揃えて言ってくれるが、当のバーナビーはそんな風に割り切ることができず、いまだ苦しみを抱えている。
恐らく虎徹もそのことでバーナビーを責めたりはしないだろうが、それが分かっているからこそ、なおさら顔を合わせるのが嫌だった。
そうしてそんな自分が子供じみているように思えて自己嫌悪に陥り、ますます病院から足が遠ざかる。まさに悪循環の繰り返しだ。

「あいつならすこぶる元気だぞ。今日も早く退院させてくれって無茶言って、先生を困らせてた」

情景を思い出したのだろう。笑いを含んだ明るい声で、ロックバイソンは虎徹の様子を教えてくれた。

「…そうですか」

ほんの少しだが心が軽くなる。そんなバーナビーの気持ちを察してか、ロックバイソンが言葉を続けた。

「たまには顔を見せてやれ。あいつ、お前のこともずいぶん気にかけてたぞ」
「……」
「どうした?」
「会いに行かなきゃって思ってはいるんですけど、なんだか行きづらくて」
「あん時のこと、まだ気にしてんのか?」

気遣うような問いかけに、黙ってバーナビーは頷いた。
うーんと困惑した表情で天井を見上げたロックバイソンもまた沈黙する。
しばしの静寂の後、何かを思い出したように彼は静かに語り始めた。

「実はな、あの時、虎徹がお前と対決するって決めた時、俺、あいつに頼まれてたんだ。自分に何かあったら娘の楓ちゃんを頼むってな」
「え?」
「もしお前を止められなかったら…、もしもの話だが、そういう最悪の結果も覚悟してたんだろうな」

初めて聞く話だった。虎徹はあの時、そこまでの覚悟をもって自分と対峙しようとしていたのか。知らなかったこととは言え、胸が熱くなる。

「あの時のお前は何を言っても信じようとはしなかったし」
「それは!」
「分かってる。お前のせいじゃないし、別に責めるつもりもない」

ただ、とロックバイソンは言いにくそうに口元を歪めた。

「あいつにお前は殺せない、それは分かってた。だからお前が本気で向かってきたら、その時はあいつはきっと…」

途中で切られた言葉の先を想像したバーナビーの背筋を悪寒が走る。目を閉じ、顔を伏せたバーナビーは唇を噛み、拳を強く握り締めた。

「もちろん、虎徹なら大丈夫だって信じちゃいたが、あいつの口からそういうの聞くのは初めてでな。俺もかなり不安だった」
「……」
「そんなことにならなくてよかった」

絞り出すように吐き出された言葉に、バーナビーはロックバイソンの虎徹への特別な想いを感じ取る。それは自分の中に芽生えつつある感情の一つとよく似ているような気がした。

「本当によかったよ」

「もしあの時、万が一」と目を細めたロックバイソンはゆっくりとバーナビーの方へ視線を寄越した。らしくないきつい眼差しがバーナビーを冷たく見つめる。

「あいつに何かあったら、俺はきっとお前を…」

ゾクリとしたものが再びバーナビーの背筋を這い上がった。

「いや、何でもない。今のは忘れてくれ」

自らの言葉を遮るように軽く頭を振ると、ロックバイソンは立ち上がった。くるりと向けられた大きな背中はひどく寂しげだ。

「バーナビー、これだけは言っておく。お前がどう思ってるのかは知らないが、虎徹にとってお前は今でも大切な相棒なんだ。それだけは忘れないでくれ。そしてできればもっと、あいつを信頼してやって欲しい」
「ロックバイソンさん…」

じゃあな、虎徹を頼む、と言い置いて去ろうとするロックバイソンを慌ててバーナビーは呼び止める。

「ロックバイソンさん!」

一瞬立ち止まったものの、彼は振り返ろうとはしない。構わずバーナビーは言葉を続けた。

「もしかしてあなたも虎徹さんのことを?」

バーナビーの問いかけにロックバイソンはニヤリと笑う。
これでもう自分はお役御免だとばかりに安堵の息を吐いた彼は、最後の一押しをバーナビーにくれてやるためもう一度だけ振り向いた。
自分は超がつくほどのお節介焼きのくせに他人に世話を焼かれるのは苦手な親友も、これくらいのお節介ならきっと許してくれるだろう。

「俺と虎徹の関係は昔から変わんねーよ」

ニッと笑いかけ、バーナビーの澄んだ瞳をまっすぐ見据える。

「俺はあいつの親友だ。昔も今も、そしてこれからもな」
「…っ」
「だからあいつをよろしく頼む」
「…はい」

頷くバーナビーを見たロックバイソンは右手を上げ、今度こそ立ち去った。



託されたのだ。それもとても大事なものを、そうバーナビーは受け止めた。
グダグダ悩んでいる場合ではない。とにかく前へ進まなければと思った途端、急に虎徹に会いたくなってバーナビーは元来た廊下を戻り始めた。
以前にロイズから教えてもらっていた虎徹の病室の前に立ち、ドアに手を掛ける。
驚く虎徹の顔を想像して自然と顔が綻ぶのを感じながら、バーナビーはゆっくりとドアノブを引いた。



END

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