捧げものと企画文

□愛の唄
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翌日、モヤモヤした気持ちを引きずったまま出勤した虎徹は早々にロイズに呼び出された。
気まずい形で別れたバーナビーからは一切連絡はなく、あれっきり話もしていない。
同じ会社の同僚とは思えないほどのすれ違いっぷりが、今はただ有り難かった。

「失礼します」

ロイズの呼び出しが賠償金絡みでなければいいけどな、などと暗い気持ちで部屋に入るといつもの仏頂面をした上司がスケジュール表を片手に彼を待っていた。

「ああ、さっそくで悪いんだけど今週末の金曜にチャリティーイベントの仕事が入ってね」
「はあ‥」
「2部リーグのヒーローでという話なんで、君よろしく」
「金曜‥て、えぇ!?ちょ、ちょっと待って下さい」
「何か不満でも?」
「不満とかじゃなくて、その日は娘の授業参観があるんで俺、休みを希望してるんスよ」

帽子を胸に押し当て遠慮がちに訴える虎徹をロイズが一瞥した。

「仕事と家庭、どっちが大事?」
「そりゃあ、もちろんかて‥」

即答しかけた虎徹は目の前の上司の眇められた視線に気づき、慌てて言い直す。

「‥仕事です」
「分かればいいんだよ。仕事あっての家庭だし、特に君の場合はただでさえ賠償金で会社に迷惑かけてるんだからね」
「…すいません」



肩を落とした虎徹がロイズの部屋を後にする。
結局、押し切られる形で仕事が入ってしまったのだが、娘の楓にそれを告げるのは気が重かった。

(あいつ、けっこう楽しみにしてたからな)

社内の自動販売機の横に備えつけられたベンチに腰掛け、携帯電話を取り出す。
意を決して虎徹は実家の番号を呼び出した。

『もしもし、お父さん?』
「あ‥楓か?」
『どうしたの?こんな時間に』
「お前こそ学校はどうしたんだ?」
『今日は創立記念日で休みなの。で、何?』

てっきり母の安寿が出るとばかり思っていた虎徹は少しうろたえる。

「う、うん‥それがさあ、パパ急な仕事が入っちゃって楓の授業参観行けなくなっちゃったんだ」

受話器の向こうで息を飲む気配がして、会話が途切れてしまった。
沈黙と共に訪れた重い空気が無性に気まずい。

「パパもすごく楽しみにしてたんだけどさぁ‥」
『……そう‥』
「本当は仕事なんかほっといて授業参観に行きたいんだよ、パパは」
『‥そんなに気を使わなくていいよ、お父さん』

言い訳を重ねる虎徹を大人びた口調で楓が逆に慰める。
その声のトーンは次第に沈んだものになりつつあったのだが、娘の機嫌を損なわないようにとそればかりを気にしていた虎徹がその変化に気づくはずもなかった。

「楓ぇ〜」
『仕事なんでしょ。だったら仕方ないよ』
「ごめんなぁ、楓」
『じゃ、私友達と約束あるから切るね』

いきなり通話が切れ、ツーツーという無機質なコール音に切り替わる。
娘との約束を守れず、おまけに気まで使わせてしまった。
これならまだ怒鳴られて罵られた方が幾分かマシだ。

はあ、とうなだれた虎徹の背後から不意に声が降ってきた。

「‥こんな所でサボリですか?」
「…うるせー」

いつから聞かれていたのだろう。
今一番会いたくない人物に声を掛けられ、虎徹の機嫌がさらに急降下する。

「人んちの家庭の会話を盗み聞きしてんじゃねーよ」
「お言葉ですが、ここは会社であなたの自宅ではありません」
「‥っ‥」

肩越しに見上げたバーナビーの表情は一見、穏やかだ。
だが、その言葉の端々に感じられる棘や冷めた眼差しは彼の怒りが収まっていない証拠だ。

「…まだ怒ってんのかよ」
「何の話です?」

スマした顔でバーナビーが聞き返してきたが、その相手をする余裕は今の虎徹にはない。

「あー、悪いけど一人にしてくれ」
「……」
「今お前とやり合う気はねーから」

自然と声が低くなる。
これも八つ当たりだと自覚はしていたが、一度溢れ出した感情は止められない。

「…そうですね。あなたが家庭の事情だと言うのなら僕には関係がない」

失礼します、とバーナビーが立ち去ろうとする。
突き放したのは自分自身なのに、なぜだか虎徹の胸がズキリと痛んだ。

「バニー!」

思わず呼び止めてしまったものの、何を言っていいか分からず虎徹は黙り込む。

「何です?」
「いや、その‥」
「一人にしてくれと言ったのはあなたですよ」

冷たく言い放たれてしまえば、もうこれ以上掛ける言葉は見つからない。

「‥そう、だな。悪ぃ」

小さく肩を落とした虎徹を振り返ることなく、バーナビーはゆっくりと歩き出した。





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