消滅3題

□私なんてイラナイ
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「家で待ってる。」
桐嶋禅は編集部に挨拶に来た横澤に、そっと耳打ちした。
横澤はいつになく素直な表情で、コクリと頷く。
あと1ヶ月で地球が滅亡するという途方もないニュースの前で、いつもの照れはないようだ。

努めて冷静に挨拶回りなどをしながら、気になるのは娘のことだった。
自分は編集長として、やりがいのある仕事ができた。
結婚して、かわいい娘にも恵まれたし、今は最愛の恋人もいる。
だが娘の日和はまだ小学生なのだ。
恋だって、仕事だって、人生の楽しいことをまだほとんど味わっていない。
それなのにあと1ヶ月しか生きられないことが、不憫でならない。

そして1つ、迷っていることがある。
横澤との関係を、日和に伝えるべきかどうかだ。
こんなことがなければ、今事実を話すなんて考えなかっただろう。
打ち明けるにしても、日和がもっと大人になったときと思っていた。

だが残り時間は1ヶ月しかない。
桐嶋は、横澤を自分の部屋に呼んで3人で過ごすつもりでいる。
隠し通すという選択肢も、もちろんありだろう。
でも最期の瞬間まで2人の関係を知らせないのは、不実なことに思える。

「パパ、お帰りなさい。」
どうにか家に帰り着いた桐嶋は、日和の姿を見つけてホッとした。
携帯電話は通じないし、小学校に電話をしても応答がなかった。
日和が家に無事に帰れたかどうか、気になっていたのだ。

日和の目は涙で膨れて、腫れぼったくなっていた。
きっと目の前の現実が受け入れられず、心細かったのだろう。

「ひよ、おいで。」
桐嶋が手を広げると、日和が抱き付いてきた。
そして胸に顔を埋めながら、わんわんと声を上げて泣いている。
日和がこんな泣き方をしたのは、もう何年振りかもわからない。

ソラ太は桐嶋の足元にちょこんと座って、不思議そうにこちらを見上げていた。
聡い猫はただならぬ雰囲気を感じ取っているようだ。
何があってもマイペースで寝てばかりいるのに、今日は落ち着かないようすだった。

「もうすぐ横澤も来る。3人で最後まで楽しく過ごそう。」
桐嶋が頭を撫でてやると、日和は何度もコクコクと頷いた。
だかふと思い出したように「ソラちゃんもだよ」と泣き笑いの表情で付け加える。
懸命に現実を受け入れようとする娘が、愛おしく切ない。

桐嶋は日和の肩をあやすようにポンポンと叩いてあやしながら、仏壇を見た。
3人と言ってしまって、少々後ろめたく感じたからだ。
飾られた写真の中の妻の笑顔は、心なしか恨みがましく見えた。
ひょっとしたら「私なんてイラナイんでしょ?」と思っているのかもしれない。
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