PARIS ほか

□雪
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冷たい…
暗い…

ここはどこだ

闇は嫌いではないが、この冷たさは…

ああ、雪か

雪が降っているのか


ここはどこだ



「ここはあの世とこの世の境でございます」

懐かしい声に振り返ると
闇にぼうっと優しげな姿が浮かび上がった

「加奈どの…」

「そなたは死んだのです」

「でしょうね…家康様に斬られたことを思い出しました」

音もなく…

どちらからともなく
歩み寄れば

白い頬に差した薄紅の血の色
甘やかな匂いはよく知るひとの
現し身の名残か

「加奈どの…あなたは何故ここに…?」

「私は兄の屋敷におりました。
慶次郎様とまつ様を裏切ったのですから覚悟はしておりました。
御沙汰を待ちながら兄の屋敷にいたのです。
そこでそなたが死んだと聞かされたのです。」

「自害なさったのですか」

「もとより覚悟はできておりました」

伏せた睫毛はその声音と同じ静けさ

その静けさに寄り添うように
この手、この指で
触れれば変わらぬしっとりとした
肌の感触

「あなたの兄上はさぞや悲しんでおられましょう…」

それでも、
私の美しいかた…
またあなたに会えて良かった…

「そなたが死んだと聞かされて、私は悟ったのです。
罪を共に背負うべきそなたがいなくては生きていくことはできません」

「私を恋しいと思ってくださるのですね」

「雪丸…何故、笑うのです」

微かに眉をひそめたあなたは

あなたは知らないのか

私を見つめるあなたの瞳が
言葉に表さない思いを私に伝えていることを

私があなたの言葉に眼差しに
どうしようもなく心揺さぶられていることを


「雪丸…そなたは後悔しないのですか?」

「何を後悔することがありましょう。私には他にどうしようもなかったのです。後悔など…してどうなります」

その白い冷たい手を取り
唇を寄せれば
震えながらも艶めくあなただ…

「…そなたは家康様に裏切られたのですよ。
そなたを斬り捨てた家康様を…私は恨みに思います」

「私の命を惜しんでくださる…」

「後悔はないのですか…?」

加奈どの…

「私は私の望みのままに生きました。他に生きる道はありませんでした。
あなたを愛し、己の信じた道を進み行き着いた地平は断崖絶壁で、もう戻ることも叶いませんでした。
しかし、私の死は無駄にはならない。家康様は天下を手に入れられるでしょう。あの方の望みのままに。それで良いのです。
私はあなたを愛し、こうしてあなたにまた会えた。
後悔することなどありはしない」


抱き締めた体は不思議に温かい…


「雪丸…
私も後悔はしておりません。
そなたと逢瀬を重ねたことも。
そなたを斬り捨てきれず、そなたの顔に傷痕を残したことも。
そなたの企みを兄に知らせてそなたを死に追いつめたであろうことも。
…そなたのために自害したことも。後悔はありません…」

あなたは優しく
口をつぐみ…
私を見つめ、また美しい唇を開く

「私はそなたの声をもう一度どうしても聞きたかったのです。
兄の屋敷でそなたの死を知らされたとき、どうしても聞きたく思ったのです…」

憎もうとして憎みきれず
いやます愛しさに狂おしく
眠れぬ夜々をこの肌に刻んだ
そなたの声を…


言葉にならぬあなたの心が
聞こえた


あなたを
この腕に強く抱きしめれば

温かい…

雪だ
これは雪だ

私は死んだから
雪が温かいのだ


「加奈どの…
私はあなたを好きでした…
あなただけをほんとうに好きでした…

慶次郎様のようには私は自由ではなかったけれど、
あなたを愛し、あなたを抱きしめたときの
あの心の震えは…

私の命でした…」

…雪丸…

愛しいひとの声は涙に滲みながら
優しく幸福な喜びを湛えて
私の心にしんしんと
降り積もった



end


2014.07.16


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