PARIS ほか

□Cadena de Sangre
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城のバルコニーから眺めると、目に痛いほどの眩しい緑の野が延々と広がっている。
美しい緑だ。
そよ風がオレンジの香りを運ぶ。
甘くて爽やかな良い香りだ。

世界は美しい。
王妃が亡くなっても、世界は変わらず美しい。王はお忘れなのだ。
この世界の美しさを。




「…アルバか」

執務室の入口でお邪魔かと一瞬逡巡した私に気づいて陛下は書類から目を離さず呟いた。

「はい、陛下」
「何の用か。今日はもう下がってよいと申したはずだが」
「素晴らしい昼下がりです。乗馬のお誘いに。…御気分を変えられるのに宜しいかと」
「気分を変える必要があるか?」
「お気に障りましたでしょうか。失礼を」
「ただの質問だ。必要があるか?アルバ」
「…塞いでおられます」
「妻を亡くした。当たり前ではないか」
「もう何か月も経ちます。次の王妃を迎えられてもよい頃です」
おもむろに陛下は音もなく立ち上がった。表情は…読めない。
「馬に乗ろう」
「お供します」

陛下は従者を呼び、夕食は離宮でアルバと摂る、と言った。更に他の家臣や従者たちの人払いさえ命じた。

「陛下…」
「気分転換が必要なのであろう?付き合ってくれるな?」
「もちろんでございます」

ひとたび愛馬に跨がると陛下はまるで何かを吹っ切ろうとするかのように、緑の野をどこまでもどこまでも駆けていこうと…

「…陛下…」

はるか先に…だがすぐだ…柵が。跳べるか?跳べ!跳ぶんだ!…私は、陛下の愛馬に頼むように祈った。


「…陛下…!」

馬は跳んだが、陛下は落馬した。それはまるで陛下が故意に飛び降りたように見えた。

「陛下…!」
「…案ずるな…何でもない…」
私は陛下に走り寄り、青ざめながら介抱しようとした。その手を制して陛下は地面に横たわったまま私に背を向け、肩を震わせた。

「陛下…お怪我は…」
「案ずるなと申したであろう…」
「お立ちになれますか」
「………」

陛下は無言で立ち上がろうとして…果たせなかった。足を挫いたらしい。

「陛下…どうぞ私の務めを妨げなさいますな」
「すまぬ、アルバ」

私は陛下を助け起こして肩を貸しつつ離宮に向かった。
しかし、亀の歩みだ…多少まどろっこしく感じたとき、陛下が呟いた。疲れた、背負ってくれ、アルバ、と。

「そのご命令をお待ち申しておりました」
私が笑うと陛下も笑ってくれた。
なんと長い間、陛下の笑った顔を見なかったことか。





離宮での二人きりの夕食は、戦場でのように簡単なものだった。陛下が人払いをしたからだ。陛下は私と話したいことがあったのだろうか。

「若い頃、今日のようにそちに背負われたことを思い出したぞ。忘れていたが。まだ、10代だった。血気に逸る若造だったな」
「いいえ、陛下は聡明でいらっしゃった。百戦錬磨の将軍もかくあらんやとまごう御立派さでした」
「世辞はよせ」

陛下は良い気分らしく、くだけた様子で微笑して、杯を掲げた。

「わが名将に」
「ありがたき幸せにございます」
杯を干し、陛下はまた微笑して、
「そちも乾杯するがいい」
「では、…わが君に」

そのとき、陛下の眉が一瞬曇ったと思ったのは気のせいだろうか。


2013.04.29
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