ROMA

□錬金術
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桂の退団公演の稽古が始まった。とうとう。
始まってしまった。

清々しい笑顔で挨拶をした桂の
心は分かるようで分からない。

私たちは孤独だ。
当たり前に孤独だ。


どんなに愛していても。



「まっつさん、私を見すぎ」

ちぎのきれいな横顔が囁いた。

「うん…今日は、ええねん」
「自分勝手…」

睫毛を伏せて、微笑して、つと振り返る。
琥珀色の透明な瞳が私を無言で見つめる。じっと、見つめ続ける。

「ちぎ…見すぎ」
「ほんとに自分勝手…」

ちぎの微笑は、少し悲しげで皮肉っぽくて、でも、桂みたいに隔てられてはいない。
いつから、ちぎは、こんな顔をするようになったんやろ。
いつから、桂は、あんな顔をするようになったんやろ。

私は…

「桂さん」

ちぎが私の肩越しに視線を移して、顎をしゃくった。
振り返ると桂がよそゆきの満面の笑みで近寄ってきていた。

「お二人さん、二人の世界つくらなーい」
「こんなもんじゃないですよ」

ちぎは桂に笑い返して立ち上がり、同期たちのところへ行ってしまった。

「…喧嘩でもしてんの?」
「別に。いつも、あんなもんやない?」
「いやー…尖ってた」
「ご機嫌取ったほうがええかな」
「やぁだー、臆面もなくー」
「自分が振ったんやん」


休憩時間に、ちぎを追った。
廊下の角で捕まえて、誰もいないことを確かめ信じて、抱きしめて、キスした。

「…ほんっと、自分勝手」

私のキスをしっかりと受けとめ、両手で頬を挟んで額をくっつけて間近に目を覗きこみ、微笑む。

「ちぎ…」
「まっつさん…私はばれてもいいんだよ?」
やっぱり少し悲しげ?
「あかんよ…分かってるやん…」
「そうだね…」
小さなため息を私の耳許に吹き込んで。
「まっつさんが大事…。まっつさんが何より大事…」
「自分のことも大事にせな」
震えるほど嬉しいのに私は、そっと彼女から身を離した。
彼女の瞳が翳るのも仕方ないこと。
「まっつさん…今日、うちに来て。何時でもいいから」
「ほんまに何時でもええの?」
「待ってる」

指先が…
指先が触れて、悲しみが滞る。
これは何?
ひととき絡みついて、そして、無言で離れていった、彼女の指先…


「どーしたの?眉間が寄ってるよ」
桂が心配そうに楽しそうに笑う。
どうやってこんな顔するんやろ。
パクったる、と思いながら、ちぎを見やる。
ちぎはコマたちと談笑してる。

稽古再開。




夜の風が少し冷たい。
自分の指がひんやりしてるのを感じる。
ちぎのあたたかい手に包まれたら、きっと気持ちいい…

チャリンと鐘の音。

鐘じゃない。鍵だ。
彼女の悲しみのせいで、鍵も私の手から逃げるように落下した。

鍵も…?
一体何から逃げるの?私が?

「ちぎ…」

彼女はソファで眠っていた。
表情は…穏やかだ。
疲れを癒す眠りに抱かれて。
私のことなど忘れて。

「ちぎ…」

私は突然、彼女の気持ちを悟った。
自分でもどうしようもなく抑えきれない胸を締めつけるこの思い。

悲しみがこみ上げる。
愛しさに心が揺さぶられる。
私は声もなく泣いた。

この思いには名前がある。
使い古された名前。

沈んでは浮かび上がり、燻っては燃え上がり、見失われては見出だされ…
絶え間なく、続く

この思いの名は

…愛…



2013.06.26
happy birthday,misuzu aki sama

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