ROMA

□驟雨
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ちぎの印し…
こんなことが顫えるほど嬉しいなんて…


稽古場では首にタオルを巻いていたけれど、汗を拭くのにはずした一瞬に桂が目ざとく見咎める。
「ま、まっつ…それはちょっと大胆じゃない?」
「え…」
「キスマークに見えるけど…昨日はなかったよね」
声を潜めて…。桂はなかなか鋭いところがある。
「彼氏がいるって噂はほんとだったんだ」
「そんな噂があんの?」
「私はヒメから聞いたんだけどね…いるの?」
「それ、おかしない?」
「あ、まあ…いなきゃ、つかないよね」
それは休憩中で、ちぎはコマやかおりと談笑しながら、時々ちらりとこっちを見る。
キタロウは更にじっと見ている気がする。

何だか投げやりな気分になって、
「こっちにもあんで。見る?」
Tシャツの首を引っ張って桂に中を覗かせた。
離れたところで、ちぎが咳込んだ。
キタロウは顔色ひとつ変えず、じっと見ている。
「わあ…大サービス…」
「今ので、噂の相手は桂になったで」
「はは…ほんとは誰?」
「ほんまに知りたいん?」
笑いながらウンウンと頷く。また、今度な、と言うとえー?とか言いながら残念がるけど…桂のことだ、きっと当たりはついてるんだろう…

「まっつさん、ちょっといいですか?」
キタロウが芝居の相談でもするような調子で話し掛けてきて、
「休憩中すいません」
「ええよ、別に」
先に歩くキタロウの後をついて、ちぎの傍をすり抜けたとき、彼女は一瞬、私の腕を掴んで放した。
言葉にならない思いが、その指の形に光る跡を残したような錯覚…

「雨降って地固まる、ですか?…昨日の今日で、その強烈なアピールは、きついです」
とりあえず誰もいないロッカールームでキタロウは二人きりになるなり、思いのほか沈んだ調子でそう言った。
「昨日もはっきり言うたつもりやけど…」
「でも、あのとき、揺らぎましたよね?それは認めてくれますか?」
認めたら、どうだというのか…
「…あのときは揺らいだよ…でも、もう二度とないから」
キタロウの寂しそうな顔を見ると、やっぱり少し心が痛むけれど…
「…ちぎに言うん?」
…そんなことを心配してしまう浅ましさ…
「私をどんな人間だと思ってるんですか?…言えるわけないですよ。まっつさんを傷つけるようなこと、できませんて」
「…ありがとう」
「必要ないです。私が勝手に惚れただけですから」
なんか泣けてくる…けど、泣きたくない…

キタロウが去った後、その場にへたりこんでいると、ちぎがやってきた。
「まっつさん…」
「…よう分かったね、ここにおるって」
「まっつさんセンサーがあるから」
「そうなん…休憩、あと5分くらい?」
「うん…大丈夫?」
「何が?」
「さあ…分からないけど……なにかが」
彼女はそっと私の横に座り込んだ。…私は彼女の華奢な肩に凭れて、彼女の細い指に指を絡ませて…
「…何で泣いてんの?」
「ちぎがここにおるから」
「それって…私、まっつさんの役に立ってるってことかな」
「…役に立っても立たなくてもええねん…ちぎに傍にいてほしい…」
「…傍にいるよ」

こんなところ、うっかり誰かに見られたら、何言われるか分からへんけど…
私がしんどいのをちぎが介抱してくれてたって言えば通るかな、なんて計算してる…
…誰も何も気にせずに、愛することってできへんのかな…
「…マリー…来週の月曜日、旅に出よう…」
連想のように、ふと浮かんだ台詞を呟くと、あなたとご一緒ならどこへでも、と彼女も返して、顔を見合わせて笑った。

「…まっつさん、愛してます…」
「私も…」
「嬉しい…」
彼女は本当に嬉しそうに美しく微笑んだ。


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