Share. 5 今日一日歩き回った事に加えて、遅めの夕飯だったというのもあり、奈緒は途中からうつらうつらし始めた。 晴香は空になった食器を流しに下げて、後藤は奈緒を寝かしつける為に部屋に入っていった。 「晴香ちゃん、後片付けはもういいから帰って休みなさい。疲れたでしょ?」 確かに長い一日で疲れていたから、晴香は敦子の厚意に甘えさせてもらう事にした。 お礼を言って、奈緒が寝ている為静かに後藤家を辞すると、玄関の外で八雲がちゃんと待っていた。 「行くぞ」 「うん」 いつもの通り晴香が追いつく前にさっさと歩き出してしまう。でも、追いつけるように歩調を緩めてくれてるのは知っている。 いつもはそれでも「ちょっと待ってよ!」と吹っ掛けるのだが、今日はそんな気になれなかった。 やはり今日はかなり疲れているようだ。晴香は欠伸を噛み殺しながら、斜め前を歩く八雲に声を掛けた。 「ね、晩御飯美味しかった?」 「…………まあまあだ」 敦子だけが作っていたら普通に「美味しかった」って言うんだろう。今まで晴香が作ったものを、八雲は美味しいと言ったことはない。いつも「まあまあ」だ。 本当に可愛くない男だと思う。晴香はちょっと剥れて八雲の背中を睨み付けた。 「八雲君には、私が作るご飯口に合わないのかもね」 「何だよ急に。合わなかったら不味いって言ってる」 じゃあ口に合ったら何て言うのよ。 やっぱり「まあまあ」?そんなの、全く作り甲斐がない。 「全然美味しいって言ってくれないのって、張合い無くすよ?特に毎日作るとなると」 「いつ君が僕に毎日食事を作……?」 あ、また考えずに喋っちゃった。 掌で口を覆い誤魔化そうとするが、彼は訝しげな表情をして晴香を見ている。 シェアの事がずっと頭から離れなかったせいか、変な事を口走りそうだ。 幸い八雲は今さっきの失言を分かってなさそうだし、このまま知らん顔をしている事にした。 「まあ…毎日だったら、ちゃんと美味けりゃ美味いって言うかもな」 「本当?なんでたまにだと美味しいって言わないの?」 「どこかの誰かさんに関して言えば…煩いからだ。たまに作ってくれるかと思えば、しつこく味はどうだと聞いてくる。 それが無理矢理「美味しい」と言わされる気分にするんだ。だから言わない 」 過去の自分の行動を振り返ると、確かにしつこいくらい聞いている。 でもそれは、彼が気に入ってくれてるかどうかが気になるからだ。どうせなら、八雲の好きな味を知りたいし、作りたいから。 「ぐっ…じゃあ毎日だと言うのは?」 「毎日だったら慣れて、一々美味いか不味いか聞かないだろうから。そしたら言っても良い」 聞かれたら答えたくなくて、聞かれなかったら褒めてもいいのか。なんて…天邪鬼。 「そんな理由?」 「そんな理由」 「…味とか関係ないじゃない。 でもさ、八雲君の事だから、こっちが味を聞かなければ何も言わないんじゃないの?」 八雲が自分から素直に「美味しいよ」とか言うなんて、正直考えられない。 返ってきた言葉は案の定…。 「かもな」 「もー。捻くれてるんだから…たまには素直になったらどう?」 晴香が膨れっ面をしてみせると、八雲は小さく笑い声を上げて彼女の頭をくしゃりと撫でた。 最近彼が晴香に対してよくする仕草だ。これをされると、何となく擽ったい気持ちになる。 「なるよ。…時期がきたらね」 意味深なような、はぐらかしているような彼の言葉に、晴香は首を傾げる。 考えたってどうせ含まれているものは分からない。それどころか、何もないかもしれないのだから、考えるだけ時間の無駄だ。 彼女は小さく肩をすくめ、くしゃくしゃになった自分の髪を指先で直した。 二人はそれからも他愛無い遣り取りを繰り返し、やがて晴香のマンションの灯りが見えてきた。 そういえば…と彼女は考える。八雲は晴香を送る為に後藤家に来たという事を思い出し、お礼を言う。 「今日は一日付き合ってくれてありがと。それに、送りに来てくれて。」 後藤家から晴香のマンションに寄って帰るのは、八雲にとって遠回りになる。 不動産屋巡りに引っ張り回されて、一度帰ったと思ったらまた呼び出されて…彼も疲れただろう。 一緒に住めば少なくとも送る気遣いは無くなる、と晴香の思考はまたシェアへ繋がっていく。 そう思うことが既に「望んでいる」ということなのは、流石に自分でももう気付いている。 決まらないのは、覚悟。でも…。 「上がってお茶、飲んでく?」 「…いや…、今日はもう帰るよ」 エントランスの入り口で、二人の足が止まる。 「じゃあ…」 またな、言われる前に息を大きく吸い込んで、吐く息で一気に言い切った。 「い、一緒に暮らしてたら、いつだってお茶入れてあげられるんだけどねっ」 覚悟なんて全然出来てない。でも、そんなの待っていたら、いつまで経っても答えなんて出ない。 なら、事柄を先に進めてしまえばいい。望んでいることに変わりはないのだから。 「…それは今日の答えか?」 「そうだよ!奈緒ちゃんの心配も払拭出来るし、送る手間は省けるし、防犯上男性が家にいるのは安心だし、えーとそれから…」 「分かった」 一生懸命理由を並べているというのに、あっさりと了承されて拍子抜けしてしまう。もっとこう、何かリアクションとかはないものか。 「分かった…って、それだけ?本当にいいの?ちゃんと八雲君も考えた方が良いよ? 私明日朝一で不動産屋さんに電話しちゃうよ?」 彼の胸元に掴みかかる勢いで問い掛ける。八雲は晴香を見下ろして、薄く笑った。 「異論無しだ。男に二言は無い」 「…八雲君の場合、二言は無くても裏はありそうだからコワイ」 じとっと睨みつけると、八雲は少し視線を外してまた笑った。 その態度怪しい!と詰め寄る晴香の肩を両手で押さえて、八雲は彼女を宥めた。 「君が決めてくれ、って言ったろ? 僕は本当に異論は無いよ。裏の意味も無い。安心して不動産屋に電話してくれ」 「…うん」 晴香は拗ねて俯いた。八雲にとって誰かと暮らすのは、そんなに簡単な事なのか。 淡白な返事は、まるで「自分は誰と暮らそうが興味ない」と言っているようで、晴香は不機嫌になった。 むっつりと小さな声で、本心を呟く。 「…私は、八雲君だから一緒に住むんだからね。男だとか女だとか、奈緒ちゃんの心配だとかそういうの全部おいといて」 八雲は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに表情を戻して静かに返してくれた。 「…ああ。僕も君だから簡単に了承してるんだ」 思い掛けない言葉に、不機嫌の塊は何処へやら、晴香は間抜けな面持ちでこれまた間抜けな声を出す。 「え??」 それってどういう意味? 「不動産屋に電話しておけよ」 「ええ??」 「何間抜けな顔をしてるんだ。君が決めたんだから君が全部手続きしてくれよ」 「えええ!?何それちょっと待って嘘でしょ狡いよ!!」 「じゃ、頑張ってくれ。おやすみ」 ぽん、と晴香の頭に一瞬手を置いて、八雲は背中を向けて逃げるように歩き出す。 「ちょ、ちょっとぉ…!」 後ろから晴香が文句を言っても、彼は去って行きながら手をヒラヒラと動かして応えるのみだった。 前項へ / 次項へ |