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 後藤は始めこそ八雲と上がろうとしたが、結局その場を離れて店の方に陣取った。
 茶を啜り、ひと段落した店内で1人佇む。
 梓の手紙に興味がない訳ではないが、読んでどう消化するかは八雲次第だ。そこから何かを見出して欲しいと願って連れてきたが、後藤が口出しして何とかなるものではない。だから、後藤は席を外す事にした。
 ぼけっとしながら代わり映えのしない外の景色を眺めていると、ごとんと手元で音がした。顔を前に向けると、空の湯呑みの傍に湯気の立った湯呑みがもう二つ。
 視線を上げてみれば、そこには晴香の父、一裕が立っていた。

「よう、元気か?」

 相変わらず渋い顔をした彼に挨拶をすると、深い溜息を吐きながら返事が返って来た。

「…まあまあだ。あいつは?」

「上がらせてもらってるよ、いきなり来て悪かったな」

 八雲の事になると、一裕はいつも苦虫を噛み潰したような顔になる。初対面の時から蕎麦がきの代わりに石ころを入れて出したりと、八雲に対して敵意(?)丸出しな親父なのだ。
 八雲がどうこうという前に、娘が連れてきた男は全て気に入らないタイプなようだが…。奈緒という娘がいる後藤は気持ちはわかる。わかるが、一裕が敵視しているのはこれまた息子のような八雲。面白いような、複雑なような…。


 斜向かいに座った一裕と、仕事の事を中心に他愛ない話をする。娘の事は勿論だがやはり八雲が気になると見えて、所々で聞いてくる。…それは良いのだが、問題はその聞き方だ。
 さりげなさを装っているらしいが、全然さりげなくない。
 寧ろ挙動不審が目立ち(娘は間違いなく父親と似ているらしい)、不自然すぎて笑えるが、流石に本人を目の前にして噴き出すわけにもいかないので後藤はひたすら耐えた。

「色々八雲の事を聞いてくるけどよ、どんな事を聞いてもあれだろ?可愛い娘の周りをうろつく悪い虫は、どれも気に入らないんだろ?」

 からかうように聞くと、あいつは特に嫌なんだと、唸るように言った。
 そうこられると、今度は理由が気になりだす。恵子に色々吹き込まれているからかと思ったが、それが原因ではないらしい。

 …まさか、あの左眼が原因だとか言うんじゃないだろうな。

 後藤は複雑な思いで一裕の頑固そうな顔を見た。

 もしそうだったら、俺は断固この親父に抗議するぜ。

 ぎゅ、と湯呑を強く掴み、後藤は真っ直ぐ前を見つめて尋ねた。あの赤い左眼が理由なのか、と。

 若干の緊張を含む後藤のその問いに対する一裕の答えは、至極あっさりしたものだった。



「ん?ああ、そう言えばあいつは瞳が片っぽ赤かったっけな。そんなもんどうでもいい」

 ぽかんと後藤の口が開く。今まで幾度となく八雲と行動を共にしてきて、彼の瞳に対する様々な反応を見てきたが、何の感想もない人間は初めてだ。

「そういえばって…忘れてたのかよ。結構あれはインパクトあると思うが」

「インパクトなら十分ある。晴香が初めて連れてきた男だぞ?」

 ずれている。何かがずれている、と後藤は感じた。だが言われてみれば、初めてここにきた時も左眼の事はなんの話題にもならなかった。『娘を奴隷のようにこき使う男』と騒いだぐらいで。


「いや、見た目だよ。あいつは…ああもう」

「…?他人と違うから個性なんだろ?そんなもんいちいち気にしてたら客商売なんぞ出来ない」





 ――――ひとと違うから個性――――





 確かにそうだ。後藤は一裕の言葉を聞いて、愉快になってきた。
 ああやっぱり、この親父はあの瞳を綺麗だと言ったあの娘の父親だ。あのガキに聞かせてやりてぇな。

「じゃあなんで八雲の事が嫌なんだよ。俺も娘がいるからなあ、どんな奴が駄目とかってのは気になるぜ?頼むよ、教えてくれ」

 両手を合わせて拝む振りをすると、渋々といった様子で一裕が口を開いた。

「あいつは、駄目だ」

「だから何で」

 一裕は拳を握り固め、深く息を吸い込んだ。





「あいつは…、恵子と組んで俺で遊ぶからだ…!」




「・・・・・。はい?」

 予想外の言葉につい手を耳に当てて聞き返す。




「恵子1人でも大変なのに…2人だなんて!これ以上あいつらに遊ばれて溜まるか…!」




 食いしばった歯の隙間から絞り出された言葉を聞き、後藤はたいして大きくもない目をきょとんと瞬かせ…そして大声で笑い出した。










*************










 どこかで携帯の着信音がする。


 身体が本調子じゃないせいか、昨夜あれだけ眠ったのにも関わらず、またうとうととしていたようだ。朝からこうして何度も浅い眠りを繰り返し、目が覚める度に調子が良くなってきているようだった。
 晴香は起き上がるとぐっと伸びをして、今まで休んでいた部屋を出た。


(お姉ちゃん!)

「あ、奈緒ちゃん」

 頭の中で直に呼ばれて見回すと、兄と同じ漆黒の髪の少女が心配そうな顔で駆け寄り、ぽふっと抱きついてきた。

(お姉ちゃん、もう大丈夫?お熱下がったっておかあさんが言ってたけど)

「うん、大分楽になったよ、ありがと。迷惑かけてごめんね?」

 首を傾けて謝ると、いいの、と奈緒が頭を降って黒髪を揺らす。
 晴香はその幼く小さな手を握り、不安そうに見上げてくる可愛らしい顔に微笑みかけると廊下を並んで歩き始めた。

(お姉ちゃん)

「なあに?」

(もう、痛くないの?)

「痛い…って何が?」

 訊き返すと、奈緒は自分の胸を指して(ここ)と伝えてきた。自分の気持ちが奈緒に流れてしまったのかと晴香は慌てたが、そうではなく何となく感じた程度だとわかって安心する。
 ごめんね、と謝ると奈緒はまたううんと首を降って、繋いだ手に力をいれた。

(昨日から、お姉ちゃんもお兄ちゃんもここを痛がってるから、奈緒は心配なの)

「…八雲君も?」

 意外な人の名が出てきた事に僅かに動揺を感じ、思わず足を止めて奈緒のつぶらな瞳をまじまじと見つめる。自分の顔が変に強張っている気がしたけれど、何とか口角を上げて微笑みを作った。

(うん。お兄ちゃんは普段閉じてるからはっきりとわかるわけじゃないけど…痛そう)

「…そう…、心配だね」

 不自然にならないように言葉を続けたが意識が逸れているせいか途切れがちで、仕方なく2人とも口を噤み敦子がいるだろう居間へと入っていった。



「うん…うん…、わかったわ」

 敦子が携帯を片手に1人頷いている。電話中だと気付いて踵を返そうとすると、それに気づいた敦子に手で止められた。
 いや、止められるというよりも呼ばれている。手招きする敦子に「私?」と指で自分を指すジェスチャーで訊くと、敦子は首を縦に振って「そうそう」と答えた。

 促されるまま敦子の傍に行き、すとんと正座をする。電話を変わるつもりらしく、「本人が起きて来たから」と電波の向こうの人間に伝えていた。

 …後藤さんかな?私に用ってなんだろ。

 そう思い渡された電話に何の気なしに耳をあて、呑気な声ではい、と出た。








『――――もしもし』








 途端、よく通るテノールに心臓がどくんと大きく跳ね上がる。


「…八…雲、君?」


 恐る恐る震える声でわかりきった事を尋ねると、短くそうだとかえってくる。

 なんで、八雲君が。

 2人のマンションを泣きながら飛び出してから、話すのはこれが初めてだ。昨日の事なのに、もう随分時間が経ってしまった気がする。
 困惑する晴香をよそに、八雲は感情のこもらない声で淡々と用件を話し始めた。

『敦子さんには言ったんだけど…後藤さんは今日帰るが、僕はまだ帰らない。君はまだ本調子じゃないから、泊めさせて貰った方がいいだろう。仕事もそっちから通えばいい』

「え…あ、そうなんだ」

 帰らない、ってどういう事?
 あんな事があったばかりだから、つい邪推してしまう。自分と顔を合わせたくないのか、と。
 そう思っても不思議じゃない状況になってしまった事が、なんだか酷く悲しかった。

 戻りたい。戻れない。でも今は兎に角、普通に会話をしよう。…それが、薄氷の上を歩くようなものでも。


 晴香は携帯を握りしめたまま項垂れて、言葉を探した。

 何を言えばいいだろう。お礼?看病してくれた事への…って、でもそれじゃあ昨夜抱き締めていてくれた話になっちゃう。それはちょっと…気まずい。

 言いたい事はたくさんあるのに、言葉にできる事はなんて少ないのだろう。
 話せることが無いのに、電話を切りたくない。だって、この先は八雲と繋がっているんだもの。
 電話が切れたら、自分達の縁も切れてしまいそうで晴香はとても怖かった。なのにうまく声が出なくて、出せなくて、もどかしさは募るばかり。
 きゅ、と唇を噛み締めると、囁くような小さな声で名前を呼ばれた気がした。





 まさか。





 出会ってから一度も名前なんて呼ばれた事ないのに、こんな…こんな微妙な関係になった今になって呼ばれるわけがない。
 自分の耳を疑い、携帯を当てているのとは逆の耳たぶを引っ張った。
 普通に、痛かった。






『…晴香』






 よよよ呼ばれた!?




「は、はいっ!」

 有り得ない出来事に、返事をした声が裏返る。おまけに、余りに驚いたせいか、ぴしっと音が出そうなくらい背を伸ばしてしまった。
 名前を呼ばれ返事をしたが、その先は暫しの間が空く。
 動揺に顔を赤らめ、抑えきれない動悸に若干呼吸を乱しながらも、晴香は八雲の言葉を待った。

 彼は迷っているように少し間を開けた後、口を開いた。その口調もやはり、常の彼らしくなく言い淀んでいたのだけれど。



『僕は…いや。
 戻ったら…その、今更だけど、君に聞いて欲しいことがあるんだ。
 少し時間はかかるけど…ちゃんと、帰るから』



 ―――帰るから―――。



「は…」

 その一言を聞いた晴香の肩から力がすとんと抜けた。
 何気無い一言。つい数日前には当たり前に使っていた言葉が、今はこんなに貴重なものに思える。
 帰るから、と言ってくれた。それは、取りも直さずまだ2人を結ぶ絆は切れていないという事。
 その事実に目が潤みそうになるのをぐっと堪え、わざと明るい声を出した。

「帰ってきてくれないと、困るよ。生活費は折半なんだからね!」

『わかってるって。約束したろ?少しは信じろよ』

 信じたいよ。でも、

「…信じていいの?」

 怖いよ。築き上げてきた世界はもう崩れてしまったから。心がぱっくりと傷口を晒して、まだ弱くて無防備な状態だから。





「ああ、信じろ。


 …僕はもう、君に嘘はつかない」






 どこからか入ってきた風がふんわりと髪を揺らす。



 真っ直ぐに向けられた言葉が、不思議と心にじんわりと沁み入っていく。




 晴香は瞳を滲ませると、小さな声で信じる、と素直に呟いた。














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