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□ひとひらの想い
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 その時、俺はまだ、その気持ちの名前を知らなかった。













ひとひらの 想い











 はぁと小さくため息を吐いてから、遊馬はポスリとソファの上に身体を倒した。チャリッと胸に付けている、皇の鍵が音を立てる。いつもこの居間で仕事をしている姉はいない、珍しく外に出ているのかもしれない。
“遊馬”
 不意に声が聞こえた。しかし、それは空気を伝って耳に届いたものではなく、頭に直接響いてくるような、声。それでも遊馬は気にせず、閉じていた目をゆっくりと開いた。
「…なんだよ、アストラル」
 その視線の先には見慣れた天井と、その手前にふよふよ浮いている白く光った存在がいた。彼の名はアストラル、少し前から自分の中に住み着いている存在で、その声は遊馬にしか届かず、その姿は遊馬にしか見えない。
 そのアストラルは、くいっと遊馬の上を横切ると、腕と足を組むような格好で、チラリと遊馬を見てきた。
“君が今日、そのようなため息を吐くのはこれで15回目だ。一体、どうしたというんだ?君らしくもない”
「いいだろ別に…てか、なに数えてるんだよ…」
 遊馬が呆れた顔でそう言った後、またため息。それを見て、アストラルはわずかに目を細めた。
“それだ”
「あん?」
“君のため息はどうにも何かに悩んでいるように見える”
「…なんだよ、俺が悩んじゃいけないのかよ…」
“…遊馬が悩む?何を不可解なことを言っているんだ”
「……お前さぁ…いや、もうめんどくせぇ、なんでもねぇよ」
 アストラルの物言いに言い返そうとするのをやめて、遊馬はごろんとソファの上で身体を転がす。冷たいマットが熱を冷ますかのように気持ちが良かった。
“……遊馬、君は本当に何かに悩んでいるようだな”
「…だからさっきそう言っただろ」
“では何に悩んでいるんだ?私で良ければ話を聞くが?”
 アストラルの言葉に、遊馬はチラリと視線を向ける。それからまた深々と溜め息を吐いた後、遊馬は身体を起こした。
「……てゆか、原因の一つはお前でもあるんだからな、アストラル」
“なに?”
 遊馬の言葉に、アストラルは目をパチクリとさせた。





「…ここ最近、カイトとデュエルすることが何度かあっただろ?」
“…ああ、ナンバーズハンター…”
「今のところ負けちゃいねーけど、勝ててもいない、ギリギリ引き分けに持ち込むかだ。まぁ負けてたら俺もお前もこんな風に呑気に話してられねぇけど」
 カイトとは、ナンバーズハンターとして遊馬たちの前に現われた少年のこと、その名の通り、ナンバーズカードを集めていてその方法も決闘に負けたら魂ごと奪われるという何ともえげつないもの。ナンバーズカードはアストラルが失った記憶のピースでもあるから、遊馬たちも収集しており、結果カイトに目を付けられる形となった。
 カイトは恐ろしく強い、決闘者として未熟な遊馬でもそれは十分に分かった。アストラルがいなければ、きっと自分は当の昔に、カイトに魂を狩られているだろう。
“…そのカイトと、君の悩みにどんな関係があるんだ?しかもそれに私が絡んでいるとは…”
「…この間の対戦で、たまたま俺が気付いただけだって…」
 街を歩いていたらカイトに見つかり、お決まりの台詞で決闘を強要させられた。あの時もアストラルの機転でなんとか負けは免れたけれど、決闘の最中、遊馬は気付いていたのだ、カイトの口の動きに。

『――アストラル…』

 カイトは遊馬と対峙し、その瞳に遊馬の姿を写しながら、その意識は遊馬を通り越して、アストラルに向けられていたのだ。
 その事実に、遊馬はガンッと頭を殴られたような衝撃を受けた。
(…確かに、俺はアストラルに会うまで、デュエルでは負けてばっかだった…カイトはアストラルと直接デュエルしたこともある、俺はカイトの眼中にもないって、それくらいちょっと考えれば分かることだ)
 それでも、自分は錯覚していたのだ、現にカイトの瞳には自分の姿が写っていた。貴様だとかお前だとか呼ばれているのは自分のことで、カイトの意識は自分に向けられているのだと。彼と対峙した恐怖や威圧感に身体が震えたり不安を抱きながらも、そのことに心が高揚して、だから。


「…だから、悔しかった」
 遊馬はそれだけ、自分の気持ちを吐露した。
 アストラルはそんな遊馬を彼の頭上からふよふよ浮きながら見つめていた。しばらくそうした後、不意にポツリと口を開いた。

“…なんだ、そんなことか”
「…っ、なんだとはなんだよ!」
“答えなど既に出ているということだ。つまり遊馬、君はカイトの視界に、入りたいということだろう?”
 いわれてむぐ、と口籠もるが、遊馬が「…まぁ、そうとも言うけど」と言葉を返せば。
“だったら、そうなるように、強くなればいいんだ。カイトが君を無視できなくなるくらい、君が強くなればいい”

 そうだろう?と問い掛けてくるアストラルに、遊馬は目をぱちくりとさせていた。それから、フッと口元に笑みを零す。
「…ったく、簡単に言うなよな…」
“しかし、言わなければ始まらないぞ、遊馬”
「あーくっそ、分かってるよ!」
 遊馬は天井に向かって叫ぶようにそう答える。しかし、その顔は先程とは晴れ晴れとしたものに、なっていた。

(…ああそうだ、俺が強くなればいいんだ、俺とのデュエル中に、アストラルの名前を呟くなんて、出来ないくらいに)
 自分のことを、ちゃんと見てほしい。


(……あれ?)
 そう考えたところで、遊馬は小さな違和感を抱いた。自分がカイトに抱いている感情が、悔しい、一言で収まらない気がして。
(なん、だ…?)

“…そのためには遊馬、もっと色々な決闘者と戦わなければならないな”
「あ……じゃ、じゃあ!ショッピングモールに行くぜぇ!!」
 それでも遊馬は、アストラルの言葉に頷き、そんな僅かな引っ掛かりが何なのか結論を出さずに、家を飛び出していく。




 心の奥に芽生え始めていた、一つの感情に気付くことはなく。







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それは、憧憬に似た恋心





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