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□空が泣いていた
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空が泣いていた







 その日は、朝からどんよりとした天気だった。降水確率は60%、「カイト様、傘をお持ち下さい!」とオービタル7に言われたが、それを断ってカイトは外に出た。雨が降ってきても構わない、その時はただ濡れるだけだと思っていた。
 真昼の川沿いの道、この時間のこの場所は人通りが少ない、立場上人目を避けなければならなかったカイトはそこをとぼとぼと歩いていた。時折傍らの車道を車が通過する以外は静かなものだった。たまにはこういう時間もいいかもしれない、適当な店でハルトへのお土産でも買って、雨が降り出す前に帰ろうかと、思ったその時。

「……ったく、お前さぁ…いい加減にしろよ…」
 不意に聞こえてきた声に、カイトがハッと気付いたのは。
 声のした方に視線を走らせれば、少し先の、川に沿うように作られた手摺りのところに、一人の少年が見えた。中学生くらいの、本来であれば学校か何処かにいなければならないはずの、そして彼は一人でいるはずなのに、何もない空に向かって話し掛けている。
「あのなぁ、アストラル、お前のせいで何回学校をサボるはめになったと思ってるんだよ…ああもう、いいわけ考えるのめんどくせぇ…」
 そんな彼の言葉に、カイトは表情を厳しくさせる。ぎゅっと拳を握り締めると、ツカツカと彼に近づいた。
「……え?」
 そして、カイトが少年の手を掴む直前、少年は弾かれるようにこちらに気付いた。
「ゲッ…カイト!?」
「…九十九、遊馬…!」
 驚いたような彼の表情が、掴んだ腕を引き上げたことで、苦痛に歪む。それもお構いなしに、カイトは淡々とお決まりの台詞を遊馬に告げる。
「…狩らせてもらうぞ、貴様のナンバーズをっ…」
「…はな、せ…!」
「カードを差し出すかデュエルを受けると言わなければ離さん」
「…っ…あーっもう、お前ら!!俺の意志を無視してんじゃねぇぇぇ!!!」
 堪らず叫ぶような遊馬の声。拍子にカイトの掴んでいた手はパッと離れ、それでも、遊馬はカイトの目の前で俯いたまま、その場から逃げようとはしなかった。
 ポツリポツリ、雨が降り始めた。



 雨足は暫くするとザーッととめどなく降り注いできて、周りの視界を鈍らせていく。まるでこの世界には自分と彼しかいないような、そんな錯覚に陥った。

「……アストラルも、カイトも…勝手なこと言ってんじゃねーよ…」
 そんな忙しなく聞こえる雨音に混じって、遊馬の声が聞こえた。そこでカイトは、遊馬が先程『お前ら』と複数形の言葉を使った理由を悟る。あれは、自分と彼の中に宿る、アストラルのことを差していたのだと。
(……アストラル…)
 自分もかつて、その世界に入り込み、その存在を見たことがある。彼の存在が手に入れば、自分は身を置いている組織で優位に立つことが出来る、最愛の弟を、守ることが出来る。
(…そのためには、デュエルに勝つ…!)
 カイトはデュエルモードへとチェンジしようとしたが、遊馬の声が、それを遮った。

「…カイト、俺は今、お前とデュエルはしない」
 その言葉に、カイトは僅かに眉を寄せた。
「…貴様の意志など関係ない。今すぐデュエルだ」
「うるせぇ!しねぇって言ったらしねぇ!」
 遊馬はキッパリとそう告げる。それからその顔を上げ、真っ直ぐカイトを見てきた。
 大粒で、緋色の瞳は雨に濡れて輝いているように見えた。

「…別にお前とデュエルしねぇとは言ってない。今は出来ないって言ってんだ」
 先程の荒げた声とは変わり、淡々と聞こえてくる遊馬の声、それでもカイトが返す言葉は決まっていた。
「…貴様の意志は関係ないと言ったはずだ。俺は一刻も早く、貴様のナンバーズを…」
「……俺の魂ごと、持っていくってのか?」
 その言葉を聞いた遊馬の顔が、僅かに歪んだように見えた。

「…なぁカイト、お前はどうして、そんなことするんだよ」
 ザ――――ッという雨音が妙に響くように聞こえた。

「…俺は、お前がなんのために必死にナンバーズを集めてるのかはよく知らねぇよ。それでもお前にナンバーズを取られた奴はどうなるかは知ってる。お前とデュエルして負けたら、どうなるかは」
 言いながら遊馬はそっと自分の右手を見ている。そう、カイトとのデュエルに負けた人間は魂と共に生気を抜かれ、年老いたような身体となってしまう。目の前の遊馬のその手も、潤いのない皮と骨だけのようになってしまうだろう。
 無論カイトもそれは承知のうえだ、そうなることが分かっていて、この手で相手の魂を抜いている。
 その罪を覚悟した上で。

「…でもさ、それってさ…すっげぇ悲しいことじゃねぇかな…」
 遊馬が再びカイトに視線を向ける。その瞳にはカイトのその行為への怒りや軽蔑は全く感じられず――その口が言葉にした通り、悲しそうに、苦しそうに見えた。
「…相手に同情するくらいなら、最初からこんなことはしていない」
「…違ぇよ。俺が言っているのは、お前自身のことだ」
 遊馬の拳が、ぎゅっと握り締められる。

「折角デュエルして、繋がりが出来たのに、どうしてそいつの魂を奪っちまうんだよ…俺はそんなの嫌だ!一度デュエルしたやつとは何度もデュエルしてぇ!負けたって勝ったって何度でも、何度だってさ!」
 荒げた声が止まる。そして遊馬は、顔を歪めたままポツリと一言付け足した。

「…俺はカイト、お前にもそう思うんだよ…」

 降り注いでくる雨粒が、そう言う遊馬の顔も濡らしている。しかし、それ以外の雫も、遊馬の頬を伝っているように、見えて。
「……何を、泣いている」
「…っ…泣いてなんか、いねぇよ」
 そういいながらも、遊馬はごしごしと目元を拭う。それでもそれは直ぐに雨粒に塗れてが、そんな遊馬の仕草が、カイトの中の何かを、ぎゅうと締め付けた。

(…九十九遊馬が、俺に…求めているもの…)
 暫く雨に当たっていたせいか、頭が冷えて、遊馬の言葉が少しずつ自分の中に入っていく。
 勝ち負けなど関係なく、何度も同じ相手とデュエルをする。確かにそれは自分がかつて、デュエルを趣味としてやっていた時は当たり前のことだった。たかがゲームに負けて命が奪われることなどないし、魂が抜かれることなど本来あるワケがない。
(…そう、デュエルモンスターズは本来、ただのカードゲームだ。ただのゲームで遊びで、楽しむために行うもの)
 それが自分の中ではいつの間にか、互いの命を掛けて、命懸けで挑まなければならないことになっていた。
 それを目の前の相手にも、当たり前のように押しつけて。

(……だが、ナンバーズの所有者は邪悪な意志に捕われる…それから解放するには、ナンバーズに勝ち、その魂ごと、解放を…)
 そこまで考えて、カイトははたと我に返り、目の前の少年を、遊馬を見る。真っ直ぐこちらを見据えてくる彼の瞳は驚くほど澄んでいて、眩しいくらい自分を真っ直ぐ見ていた。その瞳の何処に、邪悪な意志が宿っているというのか。
(ああ――俺は…)


 遊馬はいつの間にか自分の目の前から居なくなっていた。去り際、「だからさっさとナンバーズハンターなんてやめろよ!」みたいなことを言っていたような気がしたが、カイトは何も言葉を返さなかった。走り去っていく彼を追い掛けて、再度デュエルを求めることもしなかった。
 その心の中を、占めていた感情は。

(…ナンバーズハンターを、やめることはない。ナンバーズを回収しなければ、ハルトを救うことは出来ない、そしてその一番の近道は、ナンバーズのオリジナルであるアストラル、やつを手に入れることだ)
 そしてそのためには、遊馬の魂も奪わなければならない、遊馬の心が邪悪に支配されていなくとも、その瞳が一片の穢れすらなく自分を見つめてきていても。
 彼が純粋なデュエルを望み、自分に対峙してきたとしても。

 それは理解していた。だから今度彼を視界に捕らえたら絶対に逃しはしない、彼とのデュエルに勝ち、その魂ごと、ナンバーズを手に入れてみせると。

『…でもさ、それってさ…すっげぇ悲しいことじゃねぇかな…』

 不意に遊馬の言葉が頭に過り、カイトは空を見上げる。そこから真っ直ぐカイトに雨粒が降り注いできていた。それは冷たくカイトの顔を叩き、そして頬を伝って流れていく。

 まるで空が、泣いているようだった。










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決して涙は見せない君の代わりに





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