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□境界線上の恋
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境界線上の恋







 月が綺麗な夜だった。屋根裏部屋の小窓から、ハンモックに揺られて、遊馬はぼうっとそれを眺めていた。アストラルも今は鍵の中なのか姿は見えない。こんな時、ついつい頭に思い浮べる人物は、大抵決まっていた。
 だから、その小窓からカタリと音がして、その人物が目の前に現れた時は、暫くその状況が把握できず、目を丸くしたまま、硬直していた。

「……え、」

 現れたのは一人の少年だった。遊馬より少し年上の、大人の雰囲気を醸し出し始めている、凛とした表情の。その小窓には外から飛んで来たのか背中の白いハンググライダーを解除すると、「オービタル、お前はそこで待機だ」と告げて。
 それから、遊馬にその鋭い視線を向けてきた。
 獲物を捕えたようなその目付きに、遊馬の身体が強ばる。

(…っ、まずい…!)
 本能的に危機感を抱いて、遊馬が後退ろうとすれば、その体重移動にハンモックが傾き「おわっ」とそこから床に落ちた。
 ドサッと尻餅をつき「いっつー…」と身体を抑える。すると目の前にカタリと少年の足が降り立つ。遊馬はハッとして顔を上げた。
 窓から入ってきた少年は黙って遊馬を見下ろしていた。

 黒と紺の尖った印象のあるコートに身を包んだその少年は遊馬が見知った人物だった。とはいえ、生い立ちや現在住んでいる場所など詳しいことは知らないし、そういうことを話す間柄でもない。自分は彼にとって標的にすぎず――正確には、遊馬に取り付いているアストラルが彼の標的なのだが――だからこそ、突然目の前に現れたということは目的はハッキリしている。
 それを理解して、遊馬は少年を、ナンバーズハンターのカイトを睨み返した。

「…っ、なん、だ、よ…家まで、押し掛けて来やがって…!ってかどうやって調べたんだよ!」
「……いや、今日はナンバーズが目的ではない」
 遊馬の言葉に、カイトは表情も変えずにそう返す。そのあっさりとした返答に遊馬の方が「へ?」と鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。
(…じゃあ、なんで…?)
 遊馬の内心の問い掛けに、カイトは当然だが答えない。そのまま床の上に引っ繰り返った状態の遊馬に近付き、屈み込んでくる。


「…九十九遊馬、お前が、好きだ」


 その言葉は、遊馬の耳に確かに届いた。それでも意味が分からず、遊馬は口をパクパクさせるだけだ。
 いったい、なにを、いっているんだ。

「…カイ、ト…?」
「お前のことが、好きなんだ」

 混乱している遊馬に再度聞こえたのは確かにカイトからの告白の言葉。告白、だ。好きな人に想いを伝える行為、想いを打ち明ける行為、それは知っている、分かっている。
 問題はどうしてそれを、カイトが遊馬にしているのか、ということだ。

「…なに、いってんだよ…」
 当然の、言葉だと思った。それでもそこで、カイトは僅かに眉を寄せた。ずっと睨むように遊馬を見つめていた視線に、苦しみのような色が写った。
「……俺は、本気だ」
 言いながら、カイトはそっと遊馬の頬に触れる。外から入ってきたせいなのかその手は冷たかった。

「…カイ、ト…?」
「…嫌だったら、俺を殴れ。いいな?」
 カイトの意図が読めない遊馬に、カイトはそれだけ告げると遊馬の身体を引き寄せて。
 そのまま、唇を塞いだ。

 遊馬の目が、大きく見開かれる。今、自分の身に起こっていることが理解出来ない。衝撃のあまり身体を引くことも相手を突き放すことも出来なかった。
 触れてきたカイトの唇は、掌同様冷たく乾いていた。その温もりと潤いを、遊馬から吸い取るように、口付けてくる。

「んっ…ん…」
 触れ合ったのはほんの数秒、すぐにカイトの唇と手は離れた。それでもカイトは遊馬の目の前からいなくならない。真っ直ぐその視界に遊馬を捕えて、見つめてくる。

「……遊馬、」

 そんな風に重たく、想いを込められて名前を呼ばれたのは初めてだ。それ以上に、カイトの遊馬を見つめる視線は先程から一変していて、熱っぽく想いを訴え掛けてくるようなものになっていた。
 まるで先程の告白と今の行為の意味を、遊馬に理解を求めるように。

(……そん、な…)

 しかし、そんなカイトの言動が、遊馬の中の何かを、急速に冷やしていくのが分かった。

「……なんで、だよ…」
 身体が震える。遊馬は顔を俯かせ、声が震えるのをなんとか堪えながらそう、自分の感情を口に出す。
「…なん、で…お前が、俺に、」

 好きなんていうんだ?
 優しいキスなんてするんだ?
 そんな熱っぽい視線を向けるんだ?

「…遊馬…」
「…っ、呼ぶな!そんな声で俺の名前なんて…!」

 喚くように遊馬は叫んだ。首を左右に振り、カイトの総てを拒絶するように。カイトは何事か言おうと口を開いたが、それは言葉にならずに、そのまま口をつぐむ。顔を歪めた後、一度瞳を閉じ、それから立ち上がった。

「……また来る。嫌だったら窓は閉めておけ」

 そしてそれだけ告げると、そのまままた窓から外へと出ていく。遊馬がゆっくりと身体を起こし、顔を上げれば、ちょうどカイトがハンググライダーで飛び立つのがチラリと見えた。その姿を一目見ただけで、息苦しくなって、思わず頭を抱える。

(……なんで、だよ、カイト…お前は…)

 お前の目的は、アストラルなんじゃなかったのか。だから俺のことなんて眼中になくって、それが分かっていたからこそ、俺はお前の視界に入りたくて、強くなりたいって思っていた。
(…でも、俺はまだ弱ぇ、アストラルに頼ることばっかりだし。カイトの視界になんて、入れる強さはまだねぇよ…)

 なのに。それなのに。
 どうして彼の視界に自分の姿が写っていた?何故彼は、まだこんなに弱い自分に、あんな訴え掛けるような視線を。

(……ああ、分かってる。違うんだ、カイトの言っている意味は。強さとか、関係ないんだ、たぶん)
 それでも、彼のその想いを、自分は受け入れられなかった。受け止め切れなかった。
(…カイトのことが、嫌いだからじゃない。俺も好きだから、ずっと好きだったから、カイトのことが)

 遊馬は蹲っていた顔を上げる。立ち上がって小窓から空を見れば、ぼんやりと浮かんでいる月があった。遠くて、遠くて、手を伸ばしても届かない、届くことはない、存在。
(俺にとって、カイトはまさにそんな存在で、そんで、そうであって欲しかった)
 自分なんて見向きもしない、ずっと遠くを突き進む、そんな彼を思うのは自分だけでよかった。自分だけでよかったんだ。
(…そんなカイトが、俺は好きなんだよ…)
 だから、あんな姿の彼を、見たくはなかった。


『…遊馬、』

 それでも、心は正直だ。あの時のカイトの声が耳から消えない。ほんの数秒だけ触れ合った唇に触れて目を閉じればその時の感触を思い出して頬がカッと熱くなるのが分かる。
 遊馬はそれを抑え込むようにその場で蹲る。耳を塞ぎ、唇を噛み、心の中で思い浮べるのはいつもの強くて高圧的で孤高の背中。
 その姿を思い浮べて、ホッと息を吐く。ああやっぱり、自分が好きなのはそんな彼なんだと。

 じくじくと疼く心に気付かないふりをして、遊馬は自分の意識を静かに手放して行った。










 憧憬と好意の、境界線が分からない










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地味に続くかもしれない…





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