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□道化師はただ笑う
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 がしりと腕を掴まれる。その痛みに顔を顰めれば、腕を掴んできた相手がぐっと顔を近付けてきてハッと顔を上げる。青い長髪を揺らし口の端を釣り上げながらこちらを見てくる相手に、ゾクリと悪寒を感じた。
 それと同時に。自分はトクンと胸を高鳴らせた。
 それは、自分でも気付いていた、襲い来る相手に恐怖したワケでも、手を上げられることを覚悟したワケでもなく――。

 だから、自分は思わずぎゅっと目を閉じていた。すると自分の口元に僅かに吐息が掛かる感覚がした。

『――W…』

 その口が、その声が、自分の名を、呼び掛けて。













道化師はただ笑う











 そこでハッとWは我に返ると、ガバリと身体を勢い良く起こした。はぁはぁと息が切れる。思わず心臓を鷲掴めば異常に速い鼓動を感じた。それを沈めるようにゆっくりと呼吸を繰り返す。視線を上げればそこは見慣れた自分の寝室だった。薄暗い視界に、自分が寝ていたベッドの白いシーツが写った。
「…くっ、そ……」
 どうやら先程の映像は夢だったようだ。次第に胸の鼓動が収まってきて、Wは深く息を吐くと髪を掻き上げた。いつもは綺麗にセットしている髪は当然ボサボサで更に汗だくだった。別に室温が高いわけではない。恐らく先程の夢のせいなのだ。
 Wは顔を顰めて舌打ちすると、そろそろとベッドから立ち上がった。


 その夢をよく見るようになったのはいつからだろうか、正確には覚えていないが、WDCが始まった頃なのは確かだろう。それならほんの数日前からのはずなのに、何故かWには随分前からその夢を見たことがあるような気がしていた。夢の登場人物はいつも決まっている。W自身と、そしてWに恨みを持つ少年――神代凌牙だ。
 凌牙がWを恨んでいるのはW自身がそのように仕向けたのだから後ろめたさなど全くなかった。なら何故彼が自分の夢の中に出てくるのか、最初はWもよく分からなかった、それでも。
 回数を重ねるごとに、Wは次第にその理由に気付き始めていた。それでも、受け入れることなど出来なかったけれど。



 ジャーッと勢い良く流れる水をすくい上げると、Wはそれをバチャリと自分の顔に掛ける。それを何度か繰り返してから、蛇口を捻って水を止めると、洗面台に持ってきていたタオルで顔に貼りついた水滴を拭う。
 Wが顔を上げれば目の前の鏡に自分の姿が写っていた。その覇気のない顔に表情を歪めつつもそっと鏡に手を伸ばす。その指が、鏡に写った自分の顔の輪郭をなぞった、その時。

「――W」

 不意に名前を呼ばれて振り返れば、洗面所を出た廊下のところにトロンがいた。いかつい仮面を被り、いつものひらひらした服ではなく、寝巻を着ていた。仮面越しに見える瞳はじっとWを見ていて、まるでWの心を見通しているようだった。
 だからWは気持ち悪さにごくりと喉を鳴らしたが、極力感情を表に出さないようにしながら「なんだよ?」とトロンに返した。
「いや、こんな時間に起きているなんてと思ったから」
「ちょっと…目が覚めたから」
「そう?興奮して寝れなかったのかな、僕みたいに」
 Wがチラリとトロンを伺うがしかし、トロンはあくまでいつも通りの雰囲気でWを見返してくる。
「明日からついにWDCの決勝が始まる――フェイカーへの復讐ももうすぐ叶うんだ」
 表情は変えないまでも、その声色からは確かにトロンが興奮しているのが感じられた。それでも、Wには何故か冷めた想いが心に疼いて「…そうだな」とだけ返して、部屋に戻ろうとすれば。

「…W、君の役割、忘れていないよね?」
 すれ違いざまにトロンに問い掛けられた言葉、それにギクリとWは身体を震わせた。それでもぎゅっと拳を握り締めると「ああ」と短く返した。
「俺の役割は――神代凌牙を再び地獄に突き落とすことだ。あいつを上手く俺が優位なフィールドに誘い込んで、叩きのめす」
「うん、そうだね、W。任せたよ」
 トロンはWの言葉に頷き、そして一言だけ、付け足した。

「――君まで、僕を裏切ったりしないでね」

 ドクンと心臓が強く跳ねた。収まっていた汗がまたどっと吹き出し、それでもWはそれを抑え込むように足早にその場から離れた。そんなWの背中を、トロンが一瞬、チラリと伺ったことにも気付かずに。


(…っ、トロンは、トロンは気付いているのか…?)
 早足で自分の部屋に辿り着くと、Wはすぐに入ってドアを閉めた。まるで見られたくないものでも隠すように。
 ドアに背中を預ければ急いで戻ってきたせいか、それともトロンの問い掛けのせいか分からないがはぁはぁと荒い息が漏れた。苦しくて、心臓が痛くて、思わず胸をぎゅっと抑えつける。

(…おれが…俺が、凌牙のことを…ッ…)

 自覚したのは、本当につい最近だった。凌牙を煽り自分への復讐を餌にWDCへ誘い込む、その自分の役割のために凌牙と再び関わり、それでも一定の距離を保つ。凌牙は飢えた野獣のようにWに食らい付いてきて、Wには次第にそれが心地よいものに変わっていった。それと同時に、凌牙の意識が自分以外に向けられることに、明らかな嫌悪を抱いた。
 その意味がWには分からなかった。分からなかったし、その自分の真意を探ろうともしなかった。それでも自分は気付いてしまった。自分がトロンのために、父親のための復讐を果たそうと強く思えば思うほど、凌牙を強く意識して、そうなってしまう本当の意味に。

「…凌牙、」
 その名前を囁けば、どうしようもなく心が疼く。身体が震えて顔は火照り、心は高揚する。その姿を思い出すだけで胸の鼓動が波打つ。
 そうなってしまったら、もう疑うことなんて出来ない、こうなってしまったらもう認めるしかなかった。
(俺は――凌牙のことが好きなんだ)

 そのままずずずっと身体を降ろし座り込む。膝を抱えるように蹲って、想いを吐き出すように深く息をした。それで少しでも凌牙への想いが薄まればいいと思うのに、そうは、なってくれなくて。
(だって、この想いは、許されないことだから、俺が、凌牙のことを、好きになんてなっていいはずがないんだ)
 凌牙はあくまで復讐のための駒、復讐のために引き込んだ人形、そんな存在に自分が恋をしていいはずがない。そもそも、そのために凌牙を焚き付けたのは自分だ、凌牙は自分のことを憎んでいる。そうなるように自分が仕向けたというのに。
 そんな相手を、自分が好きになっていいはずがない。そんな無謀な想いを抱く意味が一体何処にあるというのか。
 それでもそんな想いを抱くことに理屈なんて関係ないらしく、Wの凌牙への想いは募るばかりだった。

(…父さん、父さん……僕は、悪い子です)
 復讐しなければならない男の息子にはデュエルで負けて、更には自分たちの復讐の駒にすぎない男に恋をしました。僕は本当に、出来損ないの悪い子です。きっと父さんに、裏切られたと言われても、何も言い訳は出来ないでしょう。
(…それでも、それでもせめて、この感情を抑え込んで、ちゃんと役割を演じてみせるから、だからどうか見捨てないで、僕のことを。俺は誰よりも、父さんが大切なんだから――)

 Wはふと身体を起こし天井を見上げた。薄暗いそこには光は見えない。それでもWは笑ってみせた。絶望しか残らない明日を見据えて、決してくることのない未来の希望に夢の中で溺れながら。















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