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□センパイと俺
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センパイと俺







 ブオオオオという音と共に回転するファンが部屋の空気を掻き回す。それは同時に冷たい風を室内に提供してくれるのだが、今はその機器の目の前に座っている人物のせいでその冷風を受けられないでいた。
「あーくっそう、あちぃー…」
「……おい、てめぇ…扇風機を独占してんじゃねぇよ」
 その、扇風機の前に座り込み、その風を遮っている張本人――Wに、凌牙は低い声でそう言った。風でWのもっさりした髪が揺れている。そんなに暑いならそいつを切れよ内心思いながら。
 するとWは凌牙に振り返ってくる、拗ねるように唇を尖らせて。

「なんでこのクソ暑いのに、凌牙の部屋にはエアコンがないんですか。この暑さの中、扇風機一台とか狂気の沙汰ですよ」
「…ぶっ壊れて修理中なんだからしょうがねぇだろ」
 そんなことより早くこっちに戻れと凌牙が言えば、しかしWはムッとした顔を崩さずに凌牙に言った。
「…りょーがぁ、それが人にものを頼む態度ですかぁ?」
 その言葉に凌牙もうっとなる。凌牙の座っている目の前には折り畳み式のテーブルがあり、その上にはノートと教科書と乱雑に散らばった筆記用具。その上に載せていた手をぎゅっと握り締めてから、凌牙は再び口を開いた。

「……勉強の続き、教えて下さい、W先輩」
「ふふふ、いいですよ、凌牙くん」
 それを聞いてWは満足そうに笑い、凌牙はキッと奥歯を噛み締めた。




 ことの発端の1つは凌牙の妹が事故で入院したことだった。妹は幸い一命は取り留めたものの予断を許さない状況が暫く続き、そのことに凌牙の気持ちも落ち着かず、妹の容体が安定してホッと安堵したところではたと気付いた。定期テストが目の前に迫っていたという事実に。普段凌牙は授業にはサボりがちで不真面目な態度ではあるがテストである程度の点数を取れていたから教師から特にそこまでのお咎めがなかった。妹の件もあるからといって、教師全員が知っていることもないだろうし、これを機会に干渉されてきたらそれはそれで面倒だと思って。
 とはいえ周りも自分の勉強に追われて他人の勉強まで見る余裕はないだろう、一応、1つ先輩のVにも相談したのだが、やっぱり自分の勉強で手一杯だと言っていた。
『あ、でも、高等部は中等部とテスト日程がずれているから、兄様だったら大丈夫かもしれないよ』
 そしてその時、Vが提案してきたことに凌牙は思いっきり顔を顰めた。凌牙はVの兄、Wのことが嫌いというか苦手だったから。だからどちらかといえばその存在に頼ることに抵抗があったのだ。
 そしてその話を聞いたWは案の定、機嫌よくそれを快諾した。どんなことでも気軽に聞いて下さいね、丁寧に教えてあげますから、にこりと笑ってそう言ったWの顔は、ひたすらに胡散臭かった。

 そういうワケでWは凌牙の家に来ていた。すると自分の家まで彼の訪問を拒絶するかのようにエアコンが動かなくなる。どんだけだと思いつつそんな蒸し暑い部屋で扇風機一台に頼りながら二人は勉強を続けていた。
「…そんなに暑いなら、図書館でも行くか?」
「あーそれもいいかもな。今度は図書館でも行くか」
 あまりに暑いと喚くので凌牙が与えたアイスをくしゃりと一口口に含みながらWはそう返す。それでも凌牙の勉強はちゃんとみているのだからこいつの変な真面目さはなんなのだろうか。
「…今からじゃねーのかよ?」
「んー、今から外に出るのもしんどいし、めんどいし…それに」
 Wがペロリと溶けて滴れてきたアイスに舌を這わせる。そんな動作を目の前で見せながら。
「図書館とか、人目につくところでは出来ないこともあんだろ?」
 こちらを挑発するような笑みを向けられて、ドクンと凌牙の心臓が跳ねた。慌てて、ノートに顔を映す、それでも先程のWの顔がチラついて、頭は勉強のことなど考えられなくなる。
(…くっそ…これだからこいつは…!)
 だからWに勉強を教わることを頼みたくなかったのだ。それは弱みを握られることもあるし、何よりWと二人きりになってまともに勉強できる気がしなかったから、今の今まで少しでも真面目に勉強出来ていたのが奇跡に近かった。
(…Wのやつ、あくまで自分からではなく、俺を煽ってこっちから手を出させようとしてやがるしな…)
 相変わらずの性格だと思いながら、凌牙がギュッとペンを持つ手に力を入れていれば。

「……どうかしましたか、凌牙?」
 食べ終えたアイスの棒をチラつかせ、明らかにこちらをからかうような声でそんなことを言ってくるW。ああ、お前がそのつもりなら、乗ってやっても構わないと思いながら。
「…ここ、なんだけどよ」
 凌牙が教科書の適当な場所を指差してそう言えば、Wが「ん?」とそこに顔を寄せてくる。Wの顔が近づく、顔を上げればすぐにでも、その唇を奪えてしまいそうなほど。
 だが、それを狙って凌牙が顔を上げた直後、その唇にWの指がピトリと当てられる。思わず目をぱちくりとさせた凌牙にWはニッと笑って言った。

「…今、何をしようとしましたか、凌牙?」
「…っ、…」
「凌牙が私に勉強を教えて下さいって頼んだんですよ、それなのに勉強をそっちのけてキスをしようとするなんていけない子ですねぇ」
 クスクスと笑いながらWがそんなことを言うものだから凌牙はムッとして、Wのその手を引き剥がした。
「…っ、散々煽っているのは、てめぇだろうが…!」
「煽った?何がですか?私はそんなことしていませんよぅ?」
 肩を竦めてあくまで自分からの行動を否定する。もどかしくてイラついた。ここまでくると、もう勉強どころではないのに。
「…いいから、キスさせろ…!でなきゃ、集中なんか出来ねぇよ…!」
「おやおや…暑さで頭でもヤられちゃいましたかねぇ…」
 Wの襟元を掴み引き寄せるが、Wはあくまで淡々とそう言ってくる。それから何かろくでもないことでも閃いたのか「あ」と声を出した。
「…だったら、こういうのはどうですか?凌牙が問題を1つ解けたら、ご褒美にキスしてあげますよ」
 その提案に凌牙の口からは低い「あ?」の声が漏れたが、Wは言葉を続ける。
「勉強だってちゃんとやらないとまずいんでしょう?だったら目の前に餌をチラつかせた方が、しっかり勉強出来るんじゃないですかね?」
 その餌がこいつのキスだとか胸くそ悪くて溜まらないが、Wの襟元を掴み上げる凌牙の手にWがそっと触れてくる。こちらを見透かすようなWの笑みに更に煽られて、それでも凌牙はぐっと堪えた。

「…キスされたいんじゃねぇ、俺はしたいんだよ」
「じゃあ、凌牙がするでもいいですよ?」
「それって口限定か?」
「…額とか、頬の方がお好みですか?」
 Wの問いに凌牙はごくりと喉を鳴らすと、ニッと笑みを浮かべた。
「…そうだな、こういうのはどうだよ。一問解いたら額、もう一問解いたら頬、その次は唇、その更に次は首筋…」
 その部位を言葉にしながらそこに視線を向ける。それは口に出した首筋で止まらず、Wの服に阻まれた場所にまで移動している。
 その意図にWも気付いたのかふぅと呆れたように息を漏らした。
「…そんなことをしたら、10問も解かないうちに勉強どころじゃなくなりますよ」
「…俺はもうとっくのとうに勉強どころじゃねーよ」
 珍しく思ったことをそのまま口に出していた。自分のことながら煽られすぎて余裕がないのかもしれない。Wも目を見開いて、それからまた小さく息を吐く。ああどうして、こいつはこんなにも平気な顔をしていられるんだ。
 もどかしく思う、凌牙を尻目に、Wの手がそっと凌牙の顎に添えられる。

「…それならいっそ、勉強を全部終わらせたら、私のことを好きにしていいですよって、した方がいいですかね?」

 ブオオオオという扇風機の音、風に揺れるWの髪、乱れたシャツの襟元から露出した褐色に近い肌、言動も含めてすべてが、凌牙の理性を鈍らせる。

「……それじゃあ、いつもと変わらねーし、我慢出来ねぇって言ってるだろうが」
 それだけ返すと、凌牙は目の前のテーブルを横にやり、強引にWの体を引き寄せる。そのまま後頭部を掴んで、押しつけるように口付けた。バランスを崩したWの身体が凌牙の上に覆い被さってくる。その腰を引き寄せて、更に密着させた。

「…っ、べんきょーは…いいのかよ…」
 唇が離れてすぐ、Wがそう言ってくるが、凌牙は構わずその首筋に口付けた。
「…明日から図書館でガンバればいいだろ…」
「……は、ほんと、ゲンキンなやつだよなぁ…」
 そういいながらもWは抵抗らしいものはしてこない。凌牙に腕を回しながら抱き付いてきて、そこからはドクンドクンと異様に高鳴っている鼓動が聞こえた。
 なんだ、こいつも十分やる気だったんじゃねーかと思いながら、凌牙は再びちゅっとWに口付けていた。















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