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□覚えててよ
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「本当に?」
「うん」
「本当に何も覚えてないの?」
「うん、そうなんだよ…えーっとアミ?」
そう。バンくんの記憶が飛んだ。きれいさっぱりと。何があったか。それはすごく簡単なこと。僕とバンくんで階段を上っていたんだ。ダックシャトルの。そうしたらいきなり揺れて、二人で階段を転がり落ちた。二人して気を失った。そして目が覚めるとべっどだった。僕は脚を捻挫しただけで済んだが、バンくんは怪我さえなかったものの頭を打って記憶がすべて飛んでしまったと。
「1分後に治るかもしれないし、治らないかもしれないって…」
「とりあえずいろいろ試してみるしかないよ」
「そうだね」
僕は動けないからベッドの上でバンくんを見つめる。本当に何も覚えてないようだ。見るものすべてが新しいらしい。まるで子供…。僕のことも忘れてしまったのか。あの時の言葉もすべて…そう考えると心が痛かった。でも、きっとバンくんなら思い出してくれる。それにもし戻らなくても、もう一度恋をすればいいじゃないか。まぁそんな安易な考え。
「バンくん、大丈夫かい?」
「あー…えっと誰だっけ?知り合い…だったんだよね?」
まさか。ここまできれいに忘れるものなんだ。きっと不安だろうな。何もわからないんだから。でも彼がこうやって振る舞えるのはきっと前のバンくんが少し残ってるからなんだと思う。僕は微笑む。
「僕の名前は海道ジン」
「へー。よろしく!ジン」
「ああ、よろしく」
そのあと、ジンの目ってすごくきれいだね。と言われて思わず顔が熱くなった。でも、今のバンくんはバンくんじゃない。僕を想ってない。だから…。違うだろう。と自分に言い聞かせる。
「ねぇねぇ、アミって可愛いよね。俺好みかも」
「は……え?アミ?」
え。僕じゃなくて?アミ?でもよく考えればそういうこともあり得るのか。だってこのバンくんはバンくんじゃないから。そっか…僕とこのバンくんはもう仲間でしかないんだ。恋人じゃ…ない。
「可愛くない?ジンは?かっこいいのに誰か彼女いないの?」
いるよ。君が彼氏だったよ。なんて言えるわけもなくて。いないよ。とバンくんに言ってごまかした。アミかぁ…確かに可愛いとは思う。でもカズがいるし、バンくんの恋はかなわないよ…。まぁでも黙っておく。
「ジン、何難しい顔してんの?足痛い?」
「いや、大丈夫だ」
「そっか。あ、アミだ!」
アミ〜。なんてかけていくバンくんは本当に年相応…いやそれ以下くらいに見えて、本当に……今襲われたらどうするんだろう。
「ああバン頭うってるのよ。じっとしてて」
「はーい」
バンくんがベッドに戻ってきた。にこにことしているが目線はずっとアミ。昨日まで…いいや、さっきまではその視線は僕のものだったのに。胸が痛くなるが、黙ってアミを見つめるバンくんを見た。本当はこれが正しい姿なんだから。男が女を好きになる。おかしかったのはむしろ前までの僕たちだったんだから。
「アミって好きな人いるの?」
あ。
「えっバン?って、あぁ…そうね、いるにはいるわよ」
バンくん、フラれちゃうよ。悲しい事なんだよ。好きな人が振り向いてくれないって、本当に。やめときなよ、深追いはリスクが高いって、いや、リスクが高いどころか、失恋決定なんだから。
「いるにはいるってなんだ」
カズが文句を言ったが、アミが一睨みした瞬間、バッと顔をそらした。そしてすみませーんと謝りながら部屋を出て行った。気まずい。この部屋にはバンくんと僕とアミだけ。僕は顔をしかめた。するとアミが僕を見てジン、足痛いの?なんて聞いてきて。大丈夫だというと、そうよかった。と返ってきた。バンくんは無表情で僕たちを見つめている。
「とにかく、バン…好きな人よりさっさと記憶戻しなさい!そうしたら…わかると思うし……」
アミは恥ずかしくなったのかダッと部屋を出て行ってしまった。ドアが閉まった時バンくんが僕のベッドの前に来た。一体なんだろう。少し表情が曇ってる。
「どうしたんだい?」
「言ってくれよ…」
「え?」
なにを?と問う暇もなく、バンくんは僕に叫んだ。いや、この場合は怒鳴った。の方がいいかもしれない。キッとバンくんの茶色い目が僕の双眼をとらえる。怒ってる…?
「アミがジンを好きだってことなんで言ってくれないんだよ!一人で舞い上がってさ、バカみたいじゃん!」
「バ、バンくん…?」
「知ってて黙ってたのか!?人がフラれるとこ見てそんなに楽しいのかよ!」
「な、何言って…」
「ジンなんて嫌いだ!友達でもない!もう顔も見たくないよ!」
そう言ってバンくんは僕に弁解する暇も与えず、ダッと走って行ってしまった。大丈夫だろうか、頭を打っているのに。しかし僕自身追いかけられない。いや、こんなこと考えている場合じゃないのかもしれない。バンくんに嫌われた。これはまがいもない現実で、もし記憶がもどらなかったらバンくんとは一生仲良くなれない。新しい恋なんてもってのほかだ。なんで、こんなことになってしまったのだろう。アミが僕を好き?そんな訳ないじゃないか。アミにはカズというれっきとした彼氏がいるんだから。なぜそれが勘違いされるようなことになる。アミに好きな人を聞いて、アミが濁して、カズをにらんで、僕が顔をしかめた。そしてアミが僕を心配し、バンくんに叱咤をし、赤面しながら出て行った。これでどういう……ん?こういうことに疎い僕が持っている脳をフル回転させた。アミが僕を心配して、赤面しながら出て行った。もしかしてこれかもしれない。これでバンくんは勘違いをしてしまったのかもしれない。
「そういう…」
とりあえずバンくんのもとに行って話がしたかったが、この足では動けそうにない。バンくんがこっちに来るか…せめて杖みたいなものがあったらよかったのだが…。僕はため息をついた。事情は分かったにせよ、バンくんが最後に言い残した「ジンなんて嫌いだ!」という言葉が嫌に耳に張り付いて、僕の中を反芻していた。
「嫌い…か」
このまま記憶がもどらなかったら。僕は……。もう祈るしかなかった。バンくんと前のように、せめて友達のようにでも接することができたら。お願いします神様。バンくんの記憶を戻してください。どうか…。
それからどれくらいの時間が経ったかはわからない。ただドアのあく音にびっくりしたのは分かった。ドアの方を見るとジェシカがご飯をお盆に乗せて運んできてくれたようだ。ベッドに付属している机を起こしてそこに乗せてくれた。僕はお礼を言うと静かに咀嚼した。最初はバンくんがいたこの部屋の一人だとずいぶん静かなものだ。
「おいしいよ」
「よかった。早く治るといいわね。脚」
「ああ、心配かけてすまない」
「いいのよ。困ったときはお互い様でしょ?じゃあね」
「ああ、ありがとう」
短い会話をしてジェシカはみんなのいる部屋に戻った。そういえばバンくんの居場所を聞くのを忘れたな…あ、杖がほしいというのも忘れていた。記憶がないとはいえバンくんに言われた言葉は僕に結構なダメージをもたらしめているようだ。
その夜、なぜか眠ろうとして涙が出た。なぜかは分からない。ただ涙が出た。寝たのはいつだったろう。ただ窓の外が少し明るくなってきた頃だったのは覚えている。泣き疲れて寝てしまったのだろう。眠りは浅かったと思う。でも、夢を見た。バンくんと仲良く喋る僕。でも急にバンくんは怒って僕を突き飛ばした。そして最後に言った。大嫌い。と。
「ジン、ジン!」
「バンくん…?」
「ねぇ、大丈夫?泣いてるよ?」
なんで君がここに…。僕に嫌いだと言った君が…。また夢でも見ているのだろうか。だって目を開けて起き上がっているのに、涙も震えも止まらない…。バンくんが僕に普通に接してくれる現実を理解できない。
「なんで…」
「俺、昨日記憶飛んじゃったらしくて…もう大丈夫なんだよ?でも、ジンに酷いこと言ってたらどうしようって…それに怪我したって聞いたし」
「もう、バンくんなの…?」
「…そうだよ、ジンの知ってる…俺」
そう言って涙を拭ってくれる。バンくん、バンくんなんだ。僕の、バンくん。そう安心したらまた涙が止まらなくって、バンくんを困らせてしまった。
「バンくんは…僕のこと好き?」
「何言ってるのジン…当たり前じゃん。大好きだよ」
「…僕も」
fin.